第7話 備忘録CaseI・廃れる伝統芸能

 ユリナは不思議そうな顔をしている麗央と妙に神妙な菊と名乗る女に胡乱な目を送りながらも冷静に物事を捉えていた。


(違うわ。あれは確かに体を持っている者だわ。それもとても美味しそうな……)


 ユリナが出した結論は鈴を鳴らした犯人は、菊ではないというものだった。

 麗央が浮気をしている訳ではないし、そもそもが彼には菊が見えていなかったのだ。

 彼が自分を裏切るはずはないと再認識が出来た。

 それだけでユリナの機嫌は、かなり持ち直している。


「そっか。分かったわ! 菊さんはよろず悩み事で来たんでしょ? ね? そうでしょ?」

「え、ええ。そ、そうなのでございます」


 ユリナは敵でないと判断した者に対して、寛大な姿勢を取ることが多い。

 彼女の機嫌が戻って来たことに安堵した麗央は、ほっと胸をなでおろしながらもまだ、不安を完全に拭い去れないでいた。

 見えなかったということは菊という女性が、ではないことを明確に示していたからだ。


 これまでにもこういうことは何度もあった。

 文字通り彷徨う亡霊は救いを求めるかのようにユリナを訪ねてくる。

 彼女にとって、それは大して危険なことではなかった。

 何も心配することなどはないと頭では分かっている麗央である。

 もしも、ユリナに危険が迫ったら、命に代えても自分が守ると心で誓ってもいた。


 それを彼女に明かしたことはない。

 だが、分かっていた。

 己を犠牲にしても相手を守ろうとするのは昔から、互いに変わらないのだと……。


(だけど、面倒なことに巻き込まれたのは事実だな)


 麗央は心の中で溜息を吐くしかなかった。




「つまり、菊さんはタレントとしての方向性に悩んでいるってことでしょ?」

「そうなんだ?」

「え、ええ。たれんと? ではありませんが、そういうことでございまして」


 懇々、切々と時に涙を交え、菊は語った。

 地球には不可思議な力――マナが秘められている。

 龍脈とも呼ばれたその力の流れは、水の流れにも混じることが多々ある。


 菊はその水脈から、溢れるマナで霊体だった。

 井戸というフィールドに拠り、人間に恐怖という感情を与えることでマナを活性化させて、吸収する。

 それで生命を繋いできた。

 井戸の傍に佇み、「一枚。二枚。三枚……」とお皿の枚数を数えていく。

 「一枚足りない」と恨めしそうに振り返ると大方の人間は恐怖を感じ、逃げていった。


 菊が誕生した江戸時代はそれで良かった。

 ところが時代が進み、近代文明が花開いていくと勝手が違ってきた。

 次々と壊されていく井戸に菊は居場所を失う。

 辛うじて、見つけた古井戸を住処として、いつものように「一枚。二枚……」と伝家の宝刀を繰り出しても無視されてしまった。

 菊はもはや、自分が伝統芸能と同じ扱いになっていることを気付かされた。

 ゆったりとした台詞を言っている間に時短を好む現代の人間は通り過ぎてしまうのだ。


 無視される日々が続き、さしもの四百年の時を生きてきた怪異もメンタルをやられてしまった。

 このままではいけない。

 そう考えていた菊の前を偶然、通りかかったのが御田部愛おたべ まなだった。

 彼女は無自覚の歩く龍脈と言うべき存在である。


 その為、本人が気付かない間に色々な怪異に憑かれていたのだが、菊もそのうちの一人だったという訳だ。

 そして、さらなる偶然で『新しい世界』を謳う『歌姫』に出会ってしまった。

 藁をも掴む勢いで愛を操り、やって来たのだ。


「だいたいの話は分かったわ。まずはが大事ねっ♪」

「え?」

「い、いめちぇん?」


 茶目っ気たっぷりにウインクをするユリナとは対照的に麗央は何を言い出したのかと怪訝な顔になっているし、菊は何を言われているのか、見当もつかずにきょとんとしている。

 二人とも見事にフリーズして、固まっていることに気付いているのか、気付いていないのか。


「私を信じて。任せてよ」


 自称何でも解決する『歌姫』は自信に満ちた表情でそう宣言するのだった。

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