第2話 丘の上の不思議な洋館

 場所はK県。

 海沿いの小さなとある町H。

 かつて外国人や皇族の別荘地があったことで知られる静かな町だ。

 交通事故すら滅多に起きず、死亡事故の無連続記録を更新している長閑のどかなところである。


 ましてや事件などが起きようはずもない。

 平穏で平和な日常が繰り返されていく。

 誰もがそう信じて、生きていた。




 しかし、海を見渡す丘の上に立つ古めかしい洋館がいつから、そこにあったのか。

 誰も知らない。

 そして、知ろうともしなかった。


 門は常に固く、閉ざされている。

 如何いかなる者も受け付けないと言わんばかりの威容を誇っていた。


 強く、固く、立ちはだかっている。

 黒塗りの鉄製の門からは何人なんびとの訪れも拒まんとする気配が漂っていた。


 重く、冷たい門扉の横には二枚の表札がかけられている。

 『いかづち』と堅苦しい書体で書かれた漢字の表札と対照的にポップな書体で『IKAZUCHI』とアルファベットで書かれたものだ。

 そして、表札の下に手書きの小さな看板のようなものが付けられていた。

 そこには『よろず 悩み事 解決致します』と丸みを帯びた文字で書かれている。


 洋館は明治期に建てられたと思しき、いささか古ぼけた建物である。

 それでいながらも趣きと品の良さを感じられるお屋敷――さながら、旧華族の邸宅といった様相を呈している。

 木製の観音開きの扉は重く閉ざされたままで中を窺い知ることは出来ない。


 人の訪れをまるで拒絶しているかのように見える屋敷だが、不思議なことに庭の手入れはよく行き届いていた。

 庭木は剪定されており、花壇には色とりどりの花が咲き誇っている。


 庭先には花見を楽しもうというのか、黒髪の青年――そう言うにはまだ、幼さが抜けきれない少年のようにも見える――と色素が薄く、彩度・明度の低い金色の髪プラチナブロンドを左右で結ったいわゆるツインテールにしている少女の姿が見られる。

 丁寧に編み込まれたツインテールは特徴的なものだ。


 既に用意されていている一組のガーデンテーブルセットのテーブルの上には陶器のティーポットと二客のティーカップが置かれていた。

 ただ、不思議なことに人間は二人いるのにガーデンチェアは一脚しか用意されていない。

 チェアに腰掛けているのは青年で少女はその膝の上に乗っている。


「今日も誰も来そうにないね」

「いつものことじゃない。何を気にしているの?」

「そういう訳ではないさ。あれ? 俺の紅茶は……」

「あら? 欲しかったの?」


 少女は優雅な所作でティーカップに注がれた紅茶で自らの喉を潤すともう一度、口に含み目を瞑った。


「そういうこと?」

「うん。そういうこと」


 どこか焦ったような青年とは対照的に目を瞑ったままの少女は顔色一つ変えず、頷いてみせる。

 少女の透き通るように白い肌が心無し、上気したように桜色に染まっていた。


 生唾を飲み込み、目を白黒させていた青年だが、やがて覚悟したのか、二人の唇の距離が縮まっていく。

 その時、不意に軽やかな鈴の音が風に乗って、聞こえてきた。


「お客さんが来たみたいだね。行ってくるよ」

「そうね。仕方ないわ」


 触れ合い、吐息が届くまで近づいていた二人の距離が遠ざかっていく。

 少女を触れると傷がつく割れ物でも扱うようにそっとチェアに座らせると去り際に彼女の頭を数度、優しく撫でていった。


 少女は去っていく青年の姿をただ、優しく見守るだけ。

 確かにそう見えた。


(何というお邪魔虫かしら。空気を読みなさいよ。レオからキスをしてくれるのは珍しいことなのよ? 分かっていて? どういうことか、分かっていて? 万死に値するわ。でも、レオは優しいから……はぁ。好き。大好き。愛しているわ。

好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き。

いくら言っても足りないくらい)


 表情一つ変えない少女が心の中でそんなことを叫んでいようとは誰も想像出来やしない。

 だが、観察力に優れた者であれば、気が付いたかもしれない。

 少女の紫に近い青く澄んだ瞳が、不可思議な燐光を放ち、炎のような血の色をはらんでいたことを……。

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