第8話

 事務局を抜け、しばらく歩き続け、会議室ばかりの棟、まるで空港施設のような建物の三階に、僕たちは立っている。司令官執務室に入るには一度秘書官の座る受付を通る必要があり、八割以上が日本人で構成されている横須賀基地内では珍しい、赤みがかったブロンドの東欧出身の女性秘書官に確認を取ってもらう。

「確認しました。どうぞ、芦原大尉、相模少尉」

 事務的なやり取りを経て、執務室へと入室した。無駄に広い、中央にソファーとテーブル、奥に大きな執務机が置かれた広い部屋だった。

「芦原、相模、出頭命令により参りました」

「ご苦労」

 芦原大尉の声に応えたのは、大きなデスクに座る二十代前半に見える男性だ。

 高遠慎哉たかとうしんや准将。MUF横須賀基地司令官であり、柔和な笑みで僕と芦原大尉を見上げている。

 それとは対照的に、高遠司令の隣に立っているのは表情堅く、四角いフレームの眼鏡をかけた背の高い中年男性だった。

「父さん……」

 僕は思わずボソリと零した。そう、この眼鏡の中年男性こそ、僕の実の父である、この基地の副司令、相模桧杜かいと中佐である。彼はこの基地内に住んでおり、まず僕と会うことがない。あるとすれば、事務局ですれ違ったり、基地内の売店PXで鉢合わせするくらいである。しかも、互いに会話はなし。僕は母さんを早くに亡くしているため、肉親は父親だけだ。それでも、母さんが死んでからは僕は親戚の家に預けられた。それから、僕は叔父夫婦に迷惑をかけまいと勉強に没頭し、飛び級できるまでに学力は上がっていた。僕が今夢中になっている昔の映画も、元は叔父さんの影響で、息抜きにどうだ?と勧められたことが発端である。

「んん?」

 僕の小さな呟きを、父さんは見逃さなかった。明らかに不快な声を発し、僕に無言の重圧を与えた。

「失礼しました、相模副司令」

 僕が訂正すると、副司令は沈黙を以ってそれを由とした。

 そう、今、僕と彼の関係は親子ではない。上官と部下、ただそれだけである。

 それを見て、腕を組んで椅子に座っている年若く見える司令官が面白いものを見たとばかりに顔を綻ばせていたが、副司令の視線が向けられると何もなかったかのように、本心を隠す柔和な笑みを僕たちに向けた。

「では、司令」

「ああ」

 副司令の呼びかけに、高遠司令が答えた。

 この司令官殿、ただ童顔なだけで、実はアラフォーである。

 『MUF』横須賀基地司令官、高遠たかとう慎哉しんや准将は、奇抜な発想と手腕によって、異例の若さで将官に昇った男である。

 普段から微笑みを崩さず、常に余裕を持って思考・判断し、部下に「この人がいるから安心できる」と思わせる、存在感の大きな、ちょっと変わった司令官なのである。

 副司令の手により、分厚いA4の紙束が渡された。

 表紙は司令官の直筆サインのある命令書で、後はひたすらに図と文字が羅列してある。

 二二世紀、世界は情報化社会である。連絡事項はほとんど電子データで、給与明細や公共料金の支払いも、全て電子データで管理されている。戦闘機の整備ログも電子ボードでやり取りされるし、日常生活でも、新聞は定額料金で電子スクリーンにダウンロードするし、広告だって登録すれば携帯電話や電子スクリーンに落として見ることができる。

 そんな、紙と縁遠い社会で渡される紙の命令書や資料にどんな意味があるかというと、一言で言えば機密保持のためだった。軍のデータバンクはネットワークから独立している。ハッキングを防止するためだ。しかし、それを個人に送る以上、どこかしらでその情報が漏れる可能性がある。だから、本当に重要なものは紙面にて扱い、使用後はすぐに焼却処分することになっているのである。現に、命令書及び資料の機密レベルはA。基地外への持ち出し及び関係部署以外での開示厳禁はもちろん、万一情報が漏洩したときのことを考えると身震いするくらいの機密事項である。とりあえず第三者どころか他の基地にも知られてはならないことである。

 命令書にはこうあった。

『本日を以って、第一五二航空飛行隊 相模龍斗少尉を、AHW―X1SC〈アルフェラッツ〉のテストパイロットとする。これに伴い第五二試験機甲小隊へ転属とする』

 何度目を通しても、書いてある字が変わることはない。どこをどう読もうが、同じ結論しか出てこない。恐らく、隣の大尉も似たような命令書を持っているに違いない。

 一応の時間を取り、高遠司令は腕を組んで僕たち二人を、相変わらずの微笑で眺め、

「そういうわけだから、頑張ってね、二人とも」

 簡単に、言ってのけた。

「質問があれば受け付けよう」

 相模副司令が言うので、僕は真っ先に挙手した。

「なぜ、わたしたちが、いえ、選ばれたのでしょうか?」

 芦原大尉は優秀な人材だから、テストパイロットとしていい仕事をしてくれると思う。しかし、僕はまだ軍に入って四ヶ月しか経っていない。筋がいいとは言われているが、あくまで訓練の上での話だ。試作機を預けるには分不相応に思えた。

「適性が一番高かったからだ」

 返答は早かった。この質問は想定内のことらしい。

 その適性という言葉に、僕は引っかかった。戦闘機のパイロットとしての実力は、この上官たちはある程度わかっているはずだ。なのに、なぜ僕を選んだのか。

 戦闘機のパイロットとしての腕は望んでいない。

 なんとなく嫌な予感はしていた。

 僕は恐る恐る、聞いてみた。

「もしかして、この機体は……」

 全てを聞く前に、高遠司令が口を開いた。

「Anti Hulk caster Weapons――対ハルクキャスター兵器である第三世代型人型機動兵器ハルクレイダー、その試作機だ」

 嫌な予感が的中した。

 普通、ロボットアニメで人型ロボットの試作機に乗るというのはかなり名誉なことであり、主人公の特権とも言えるだろう。

 しかし、それはあくまでアニメの中だけだ。

 はっきり言おう。人型機動兵器は史上最も効率の悪い兵器である。

 正面投影面積が大きいせいで被弾率は高いし、装甲はヘリ以上装甲車以下。移動速度は戦車と大差ない時速七〇キロ前後、機動性はパイロットによっては戦車より若干上。この程度である。マニピュレータにより多くの武装を扱い、二本足機動による場所を選ばない踏破能力などの汎用性を売りにしているのが人型兵器であるが、ミサイルが必要なら戦車に加えてもう一台車両を用意すればいいだけだし、それこそ物量があるのだから一機でどこもかしこも移動する必要がない。その場その場で最適な移動手段と兵器を用意すれば、汎用性のメリットは大きくならない。それに、インターフェイスの問題で多くのパイロットが太極拳みたいなスローモーションでしか動けないという、運動性すら死んだ兵器。戦闘機相手にはまず攻撃すら難しく、人型兵器一機に対して旧世代の戦闘ヘリである〈アパッチ〉で挑んでも、パイロットが超越した身体能力と反射速度、同時並行処理能力を持っていない限り、一〇戦してヘリが一〇勝することだろう。

 メリットが活きない兵器、それが人型機動世紀なのである。

 それに対し、イグドラシル連合は人型兵器であるハルクキャスターを主力とし、多大な成果を上げている。あれは高い機動性と、戦車の正面装甲に相当する防御力を有している。誘導兵器などものともしない俊敏な動き、戦車砲でも極至近距離での発射で、やっと手足のパーツがもげるくらいの防御能力。この横須賀基地など、ハルクキャスターが一個中隊もいれば殲滅されてしまうだろう。それだけの差が、地球と連合の間にあるのである。

 だいたい、僕は試作機が好きではない。最新鋭機と言えば聞こえはいいが、これってつまり『試しに作ってみた機体』なのだ。新兵器やら新システムで何が起こるかわからない試作機より、安定した性能と信頼性のある何年も実戦で使われた量産機を、僕は常々支持している。

「詳細は渡した資料に記載してある。シミュレーターも自由に使ってくれて構わない。頑張っていいデータを取ってほしいな」

 簡単に言ってくれるな、と僕は思ったが、またもや何か引っかかった。なんだかよくわからないが、違和感というか、なんというか……。

「よろしいですか?」

 これまで沈黙を守っていた、隣の芦原大尉が挙手した。よろしい、という声を受け、

「話を聞いていて気になったのですが――」

 前置きしてから、彼は聞いた。

「なぜ、今になって人型兵器の開発などを?しかも、対ハルクキャスター用、とわざわざ銘打って」

 そう、僕が疑問に思っていたことはまさにそれだ。

 地球製の人型兵器は第一世代に強化外骨格パワードスーツのようなものの派生機、第二世代としてハルクキャスターに対抗し、また人型兵器の有用性を確認するための、寸胴なロボットであった。第二世代型は最終的にはハルクキャスターのように、『人』の形をした、スマートなものも造ったが、総合性能はまだ寸胴な方がマシだった。それさえも、運用価値の低い物としか認識されず、機甲部隊の一部としてや施設建造などの裏方で使用するに留まっている。

 そこへ、わざわざ第三世代の登場である。何か画期的な技術が盛り込まれたと見るのが妥当だが、なぜこの基地でそれが行われているのかも疑問になる。こういうものはアメリカが率先してやりたがるだろうし、もし日本の技術力云々が関係しているとしても、そもそもこの基地には人型兵器の本格的な運用をしていない。出動は専ら火災等の災害現場である。そんなところで、わざわざ人型兵器の開発を、パイロットはおろか技術陣も慣れない作業に追われるはずの、この基地で行うのだろうか。

 芦原大尉の疑問に、椅子に座る司令官は組んでいた腕を解き、何やら嬉しそうに手で口を覆っていた。その隣に立つ副司令の方も、特別表情には出さないが、何やら感心している様子だった。

「いい着眼点だ」

 司令は再び腕を組み、満足げに唇の端を吊り上げた。副司令もまた、大きく表情は変えないが、なるほど、と言っているかのように、瞼を微かに揺らしていた。

「理由は二つ」

 司令は指でV字を作って言った。

「三年前に、ニューカッスルやリッチモンド、ニューサウスウェールズ州の基地が壊滅した時のこと、知ってるかい?」

 その問いに、大尉は頷いたが、僕は詳細までは知らない。ただ、それが連合によるオーストラリア制圧の第一歩であることだけは知っている。

 第四次オセアニア会戦。

 その時の被害は凄まじかったらしい。特にシドニー側――リッチモンド基地の部隊は殲滅され、沿岸部でも第七艦隊が戦闘に参加したものの、艦隊だけで二二隻の艦と八〇機以上の艦載機が撃墜され、惨敗。かなりの戦力を導入したにも関わらず、結果が伴わない戦闘であった。

「その戦闘で、艦隊は多大な犠牲を払いつつも、一つの戦果を得た。それが、敵機動兵器であるハルクキャスターの鹵獲であり、ソフト・ハード共にデータを解析。それのデータが各基地に送られて、いろんなところでハルクキャスターのコピーの開発を進めているわけ。で、横須賀ここで完成したから、とりあえずあれからどれだけ人型兵器が良くなったか、その有用性はどうか、っていうデータが欲しいわけ。オーケー?」

 司令の、無邪気とも呼べる説明に、はぁ、という曖昧な返事しかできない。

「で、ここからは完全に横須賀ここでの独自情報。四日前に哨戒機がハルクキャスターを発見したってことで非常警戒態勢に入ったよね?実は、あの後その機体が見つかったんだ。これまで交戦記録のあるどのハルクキャスターとも違う、恐らく新型のね」

 その発言に、僕だけでなく芦原大尉も思わず声を上げ、目を丸くした。

「一部装甲に破損が見られて、航法装置に異常が見つかったけど、かなり原型を留めたものだよ。三年前のものとは違ってね。だから、少尉、君が乗る機体はそれのカスタム機みたいなものだと思えばいい」

 その最後の一言に、僕はギョッとした。

「あの、もしかして、その回収した敵機をほとんどそのまま使ってるって、ことですか?」

「そうだね」

 なんでもないように、司令官殿は言うが、僕は余計に不安に駆られた。ただでさえ試作機という言葉に敏感になっているのに、それがほとんど丸々鹵獲ろかく機だとは。かなり嫌な予感がする。

 その様子に気づいたのか、副司令は「不満か?」と尋ねたが、そもそもそれは問ではない。これは「嫌ならやめていい」という意味ではなく、「まさか嫌とは言わせないぞ」という意味だからだ。『MUF』は比較的軍規が厳しい方ではないが、上官からの命令に従わなければならないことに変わりはない。不当な命令ならばまだしも、「適性が高い」という当てにならないまでも一応の理由を付けられると、言い返すことができない。

 僕がここでできることは限られている。結局、「失礼します」と言って退室することしかできなかった。

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