第3話

 それから三〇分は経っただろうか。無言な時間というのは辛いものだと、今日は二度も実感した。タクシーの運転手って、いろいろ気を遣うんだな。なんて、心の中で同じ事を十回くらい繰り返していたとき、

「――っくしゅっ」

 なんかかわいいくしゃみが聞こえた。

「ティッシュをくれ」

 三〇分ぶりに、少女が口を開いた。ずっと沈黙が辛かったので、僕は思わず破顔してしまう。

「でも、僕はパイ生地に肉や野菜を載せてオーブンで焼く料理なんて作れないよ?」

 思わずボケてしまった。わかってほしい。これは『ティッシュ』と『キッシュ』をかけたジョークだ。

「?何を言っているんだチェリーボーイ」

 はい、あっさりスルーです。よくよく思えばイグドラシルの人間がフランスのアルザスなんて知るはずないですよね。失敗失敗。しかも最後なんかまた馬鹿にされたし。

「いいから、早く鼻をかませろ」

 少女はやや鼻声で訴えた。よくよく思えば、彼女はまだ服(下着)や髪(超ロング)が濡れたままだった。エアコンからの冷気が、薄着&濡れにより余計に彼女の体温を奪ってしまったらしい。ちなみに、今「濡れる」という表現から、またもエロいことが頭を掠めました。ごめんなさい。誰に謝ってるのかわからないけど、とりあえずごめんなさい。

 手を伸ばして箱ティッシュを取る。それを少女に渡そうとするが、そこで脳内に豆電球がピカッと点いた。

「君の名前を教えて。そしたらティッシュあげる」

「フィオナ・フェルグランド」

 即行だった。僕が心の中で「ナイス、僕って頭いい!」とか自画自賛するより早く、少女は名前を吐いた。かなり切羽詰まっていたらしい。僕としても、かわいい女の子が鼻水垂らしてるところなんて見たくないし、そもそも僕のベッドに鼻水つけられたくないので、迅速な対応に感謝したい。

「おい」

 僕が心の中で素直な少女に感謝していると、その本人から不機嫌な声がかけられた。一体なんだろうかと思ってみると、彼女はくいくい、と顎で何かを指そうとしている。その仕草から判断するに、恐らくベッドの格子らへんに……

「ごめん、鼻かめないよね」

 両手両脚をベッドに縛り付けられているので、身動きが取れず、鼻なんてかめないはずだ。いやぁ、うっかりしてた。

 しかしどうしたものだろう。拘束を解けば早いのだが、そうなると彼女はまた海岸の時みたいに暴れ出すんじゃないだろうか。

「これを解け」

 少女が偉そうに言った。

 いや、確かにそうするのが一番手っ取り早いんだけど、でもそのデメリットをずっと考えていたわけであって、「はいわかりました」なんて言えるわけがない。

「別に抵抗する気はない」

 さらに少女は続けた。

 でも、そんなこと言われたって、これまた「はいわかりました」なんて言えない。

 じっと黙ったままの僕に焦れているのか、さらに言葉を紡ぐ。

「それに、疲労と演算機の紛失で今は魔法を使えない。万一わたしがお前に襲いかかっても、男のお前なら腕力でどうにでもなるだろう」

 そう言われると、そんな気がする。僕はいくつもの格闘技を習っていたし、単純な腕力でも、女の細腕に負けるとは思えない。それに、今は大丈夫でも、トイレに行きたいとか言われると困る。とてもじゃないがあの三角の布に手を掛ける勇気などないし。

「それとも何か?君はベッドの上で少女が粗相をしてしまう姿に興奮する性癖でも持っているのでどうしてもこのままにしていたい、と?」

 この子は心を読んでいるんじゃないかと思うほど、心中の不安を突いてきた。っていうか、この少女は僕を馬鹿にしなきゃ気が済まないのかね。勝手に変な趣味の人間にされてるし。

「あー、もう!」

 僕はもう考えるのを止めて、立ち上がった。ベッドの脇にあるデスク、その上にあるペン立てからカッターを取り出し、少女を拘束するビニールテープを切った。手も足も、これで少女はかなり自由になった。ただし、左右の手首の拘束だけはそのままにしておく。ちょうど手錠をかけているのと同じ状態になる。

「感謝する」

 少女は念願のティッシュで鼻をかむ行為に移り、僕はゴミ箱を差し出した。

 それから、彼女は立ち上がった。僕は反射的に身構えるが、

「トイレを借りるぞ」

 何の躊躇いも恥じらいも見せることなく、至って平静に言った。僕の数少ない知識によると、女の子は男の前ではトイレに行くとはストレートに言わない(らしい)し、発言には躊躇いを覚える(らしい)。だとすれば、この子、実は女の子じゃない?とか馬鹿なことを考えるに至ってしまった。なんか一人で勝手に暴走してしまった。気をつけねば。

「そこの扉抜けて、玄関の右にあるから」

 それを聞き、スタスタと、下着姿の少女が扉を開け、トイレのドアを開けた。僕はぼーっと立っていたが、一応見張っていようと思い、後ろについていった。

 少女はトイレのドアの前に到着すると、僕に振り返った。

「外で待っているつもりか?」

「いや、だって一応警戒――」

「少女の放尿音で興奮するクチか?」

 どうやらこの子はどうあっても僕を変な性癖の持ち主にしたいらしい。この子は誰に対してもこういう態度なのだろうか。だとしたら友達いないんじゃないだろうか。でも、もしこの態度が僕限定だとしたら、それはそれで悲しいな。

 結局、彼女は僕のことなど無視してトイレに入った。言われたばかりなので、なんとなく両手で耳を塞いでたけど。

 ほんの一分足らずでジャー、という音が聞こえてきた。あ、いや、頃合いかな、と思って耳から手を放しただけなんで、別に耳をそばだてていたわけじゃありませんよ。あしからず。

 少女はトイレから出ると、なんだか少しだけ機嫌がよくなったのか、腕を振って歩き出した。ぐっと背伸びをして、それから我が物顔でソファーに座り、テレビのリモコンを手にした。

 寛ぎすぎだ、っていうか少しは自分の置かれた状況理解しろよ、と言おうとしたとき、ふと違和感に気づく。

――腕を振って歩き出した…?

「って君、ちょっと!」

「何のために名前を教えたと思っているんだ」

「あ、ごめん。フェルグランドさんだっけ」

「フィオナでいい。長いだろう」

「あ、うん。ありがとう、フィオナ。じゃあ僕も……、って違う!そうじゃない!」

 僕はまんまと相手のペースに乗せられながら、本題からそれないように軌道修正する。

「なんで両手が自由になってるの!?」

 リモコンでテレビのチャンネルを選択しているフィオナに、僕は息を切らしながらも質した。すると、

「人間の歯はかなり堅いって知っているか?」

 疑問形で返されたが、言いたいことはわかった。噛み千切ったんですね。ワイルドですね。こんなかわいい顔してるのに。

「安心しろ。何度も言うが、別にどうこうしようと思っているわけではない」

 僕が文句を言おうとしたら、フォオナが先に口を開いた。

「魔法も使えないし、武器だってない。友軍に連絡もできないし、まさに孤立無援だ。わたしには帰る手段もないし、敵軍に捕まれば尋問が待っている」

 一応僕もその敵軍の一員なんだけどな、と思ったが、それを言うよりもフィオナの口の方が早かった。

「だったら、ここで大人しくしていた方がいい。お前は人が良さそうだしな」

 なんだか完全に見くびられてるが、それはさておき、さっきフィオナが言ったことを思い出し、

「僕は、相模龍斗さがみりょうと

 なんとなく「お前」と呼ばれ続けるのが気になり、していなかった自己紹介を、遅ればせながらもした。

「多国籍統合軍『MUF』の少尉で、一応戦闘機のパイロットだ」

 続けて自分の仕事のことも伝えておく。あんまり隠し事はしたくなかったというのが本音だが、それにより先ほどの「敵軍に捕まれば~」という彼女の言葉に対する反応を見たかったという建前もある。僕をただの無害な一般人と判断したまま行動されるのも恐い。本当はそんな事態に陥ったところを見たくないと思っているだけだというのもわかっている。でも、損得勘定だけで、敵だから無条件で殺す、なんてことだけはしたくなかった。そう思うのも、きっと日頃見ている映画の影響だ。つい先日も韓国と北朝鮮の兵士が密会して仲良くしている映画を見ていた。軍人として、感化されすぎだろう。あれは映画であって、全てが映画みたいに上手くいく訳じゃない。現にその映画だって、最後は仲良く語り合っていたうちの半分が死んだ。

 だからって、彼女を――フィオナを軍に渡したくない。尋問は厳しいものになるはずだ。連合の捕虜は珍しい。こちらの人間が使えない『魔法』を使用し、次元孔ディメンションポケットはまだ連合しか開けることができない。それらの謎を解くために、捕虜とは名ばかりの、人体実験が始まるのだ。尋問で技術を、体を開いて魔法を、それぞれの情報を得る。開戦から三〇年、地球側が受けた被害も大きい。それなりに怨みを持つ人間も多いはずだ。軍内部どころか、世論の反発も、思っているよりも大きくならないだろう。「それだけのことをしたのだから」と、非人道的とわかっていながら目を瞑る人もいるのではないか。

 少し考えただけで、これだけ不安が広がっていく。それに目を逸らしたいと思いつつも、逃げるなと言う自分もいる。理屈だけではダメだ、僕は心を持った人間だ。そうやって、何度も心の中で唱え続けていた。

「ほう、軍人か」

 にはならなかった。それにホッとしつつも、それにしてもかなり淡泊な反応だったな、とどこかがっかりしている自分も確かにいた。テレビのチャンネルが決まったのか、リモコンをガラステーブルに置いて、視線が画面に固定されていた。

「ならば、我が軍とどこかで戦ったか?わたしはこちらで戦闘はしたことがないので相見えたことはないだろうが」

 その質問に対して、僕は返答に詰まった。軍人になって三ヶ月、訓練だけで実戦には出たことがない。『実戦形式の模擬戦』はあっても、『実戦』の経験は皆無なのだ。

「実は、まだ実戦経験ないんだ」

 苦笑いして、頭を掻きながら答えた。

「どうせ僕なんて、出てもすぐ落とされちゃうだろうし……」

 面倒な心理だとは思うが、女の子の前で格好をつけたいと思ってしまうのは男の性だ。それができないとわかると、僕はさらに自分を卑下するタイプだ。きっと情けない顔をしていることだろう。「そんなことない」と言ってほしいという心理が丸わかりだ。

「必要以上に自分を卑下するのは感心しないがな」

 フィオナは譫言うわごとのように、テレビのバラエティ番組を見ながら言った。

「何にでも初めてはあるものだ。やってもいないことでダメだと諦めるのは早計だろう」

 呆れているようにも、面倒くさそうにも聞こえる声で、少女は僕の弱音を諫めた。

「まだやってもいないことに絶望するようでは、戦場でもただの的だ。そんなに自信がないならやめればいい。そうすれば周囲の人間に余計な迷惑をかけずに済む」

「あ……、うん、ごめん」

「謝る必要はない。それより、腹が減った。それと、何か服をくれ。寒い」

 なんだか最後はうやむやになったけど、もしかして励ましてくれたんだろうか。彼女はそんなに悪い人間じゃない、ということだけはわかった。やはり、イグドラシルの人間だろうと、心を持ち、考える、僕たちと同じ人間なんだということを、理屈ではわかっていたが、今初めて実感した。

 僕は一旦寝室へ入り、適当にTシャツとジーパンを取り出して「とりあえずこれ着て」と、バラエティ番組をじっと見つめるフィオナに渡しておく。彼女はすぐにそれらを着始め、ここで着替えるの!?と一瞬焦ったが、元々下着姿だったので、上から着るだけ。無駄に慌ててしまった。まぁ、女の子の下着姿を見慣れるっていうのも、おかしな話だけど。今になってなんだかドキドキしてきちゃったし。

 それはともかく、今度はキッチンへ。冷蔵庫を開け、材料をチェック。しかしロクなものがない。昨日は家に帰れなかったし、その前日も基地で待機だった。一応料理はするので調味料くらいはあるが、あとは…………、あ、戸棚からパスタ発見。そういえば二週間前に安かったので大量に買い込んだのを思い出した。確かあれから二日に一回はパスタだった気がする。そこでさらに思い出し、冷凍室を開き、さらに野菜室、そして一度見たはずの観音開きの冷蔵室をもう一度開けた。

 凍ったトマト、これまた凍った半分使ったシーフードミックス、半分に切ったままのレモンと、あ、パセリもあったっけ。いやー、いろいろ出てくる出てくる。

「よし」

 今夜はシーフードパスタに決定。決定っていうか、選択肢がない。僕の料理のレパートリーってたかが知れてるし、大量生産のパスタをどうにか加工して創作料理をしてみようなんて考えもない。だいたい、この情報化社会に料理レシピなど五万と転がっているのに、それに従わずに独自性を加えようなどと思うから失敗するのだ。書いてある通りに作れば、それなりに普通以上のものができる。僕は失敗したくない。よって、創作以前に、これで何か作れないかと調べることすら面倒くさい。僕もそれなりにお腹が減っている。よって、宣言通りにシーフードパスタに決定。

 まずはお湯を沸かして、塩を入れた鍋にシーフードを突っ込んで適当に茹でる。それをザルに上げて冷水で洗い、それから水気を切る。トマトを切って、オリーブオイルやら塩胡椒、あと粗挽き黒胡椒も入れておく。適当に混ぜて冷蔵庫へ。あとはパスタが茹で上がったら粗熱とってソースかけりゃ完成だ。言うより時間かかったけどね。

 出来上がったものを盛った皿をリビングのガラステーブルに置く。フォークを渡すと、フィオナはテレビから視線を離し、L字型に置かれたソファーの短辺、つまり九〇度横に座った僕にその目を向けた。

「器用だな」

 何やら感心した風に呟いた。

「いただきます」

 呟いた後、どこか畏まった感じでいただきますして食べ始めた。イグドラシルでもいただきますって言うんだ。へぇー。

「どう?」

 作った本人としては、味の如何はかなり気になるところだ。独りで作って食べる分には失敗してもそれほど気にはしないが、それを誰かが食べるとなると話は違ってくる。やっぱり「美味しい」って言ってもらいたいし、その方が嬉しい。よくドラマとかで作った料理を出したときに黙って相手の反応を待っている女優の姿があるが、今ならその気持ちが十二分にわかる。やっぱりドキドキしてしまうものだ。

「普通だな」

 以上、彼女の感想終わり。

 泣いていいですか?いや、あんまりショック受けるのもよくないな。別に僕は料理得意じゃないし、そこまで美味しくないのに「美味しい」と気を遣わせるのも憚られる。あー、複雑だ。

 とりあえず僕も自分の皿に盛られたパスタを口にする。

「…………普通だ」

 今度真剣に料理の勉強しようかなと、真剣に思った。

 それから、僕はなんとなく会話が欲しくて「イグドラシルってどんなところ?」と聞いたところ、フィオナは渋ることなく話をしてくれた。主に三つの国があることや、都市部ではこっちの世界みたいに高層ビルが建ち並んでいること。とにかくいろいろと喋った。

 後片付けを済ませて、それからしばらくまた話して、いつの間にか日付が変わろうかという時刻にさしかかり、ああ、時間が経つのって早いなあ、と思いながら、段々と眠気に襲われて…………

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