18

「最初は、私がいじめられていたんです」



 

 相変わらず頼りない、細い声だったが、彼女なりに配慮して、声量を大きくしてくれているようだ。


 その声は、車のエンジン音にも負けることなく、ひとり前席で運転している遠山にも、白石の隣に座る伊沢にも、しっかりと聞こえていた。


 

「私は、如月小から弥生中に来たので、中学校に入学した時に、知り合いはあまりいませんでした。


 弥生小から来た子は、元々一緒の友達がいたりして。

 私はただでさえ、トロいし、人見知りだったので、輪に入ることもできなくて……。


 結局、私はいつもひとりでした」

 


「如月中には、行かなかったんスか?」

 

 と伊沢が疑問を呈す。

「あー」と、遠山が代わりに答えた。


 

「3年ほど前に、如月中学校は廃校になったんです」

 

「えっ?!そうなんスか?!!」

 

「人数が少なかったので……」

 

 大袈裟に驚く伊沢に、白石も付け加えた。

 

 


 ……やがて、決まったグループに所属せず、いつもひとりで居た白石を、面白く思わない人間が現れた。

 

 ____『一匹狼気取りが、ムカつく』

 

 井尻イジリという、不良風を吹かせる男子を筆頭とした、そのグループに、白石は何かと目の敵にされるようになった。


 

「最初は、陰で悪口を言われる程度でした」


 

 自分が気にしなければ、きっと飽きてやめてくれるだろう。


 そう考えた白石は、なにもせず、気に留めないように努めた。

 


『そういうスカした態度がムカつく』

と、直接罵倒された時に、それは悪手だったと気づいたのだと、彼女は語った。

 

 

「田んぼに落とされたり、物を隠されたり、廊下で鉢合わせると、わざとぶつかってきたりして。

 最初は先生にも相談したんです。

 その度注意はしてくれるんですけど……。


 先生はただの喧嘩くらいにしか考えてくれなくて、だから余計皆も深刻に捉えないというか……。


 私のこと、いじめてもいい存在だって、認識していたんだと思います」


 

 ハンドルを握る遠山の手に力が篭る。

 手の甲の血管が、隆起していた。

 

(サイレン鳴らして学校に突入してやろうか)


 

 窃盗罪、器物損害罪、精神的にも傷害罪は成立する。

 いくらでも、いじめは罪に問える、犯罪なのだ。


 

 そんな遠山とは反対に、伊沢は、至ってなんでもない話を聞くような、そんな態度を崩さなかった。

 白石の言葉に「でも」と言葉を繋げる。


 

「みどりくんだけは、違ったんスね」


 

 白石は、この時、乗車して初めて、顔を上げた。

 目を大きく見開き、伊沢を見て、わなわなと唇を震わせる。



 やがて、目から頬を伝って、大粒の雫がこぼれ落ちた。

 


「ありゃ。

ひよっこくん、ティッシュ」


 と、伊沢が声をかける。


 遠山には、後ろの詳細が知れなかったが、しゃっくりが聞こえてきたので、大体を察することができた。


 信号の止まったタイミングで、助手席に置いておいたティッシュボックスを持って、後ろを振り返った。

 


「これを、使ってくれ」

 

「ありがとうございます……」


 

 白石は、数枚目元に当てて、

「ごめんなさい」

 と呟いていた。

 



「転校してきてすぐに、みどりくんは、クラスのことに気がついていたんだと思います。


 みんな、私のことなんて気にしないのに、みどりくんは一緒に教科書を探してくれたり。

 正面から、井尻さんたちに注意してくれることもありました。


 私が、みどりくんまでいじめられると言っても、みどりくんは私を庇うのをやめませんでした。


 それでも、良いって言って」

 


____『僕は、取り柄のない人間だけど。

 せめて、間違っていることを平気でやる人間にだけは、なりたくないんだ』


 

 それから、真咲みどりは、白石のような嫌がらせを受けるようになっても。

 それが原因で、見当はずれに教師に怒られても、決して屈することはなかった。


 ましてや、白石を責めることも、無かった。

 


 ただ、両親には心配をかけたくないからと、ひとりでなるべく対処しようとしていたらしい。

 


(そうだったのか……)

 

 遠山は、それまで、大人しいそうな子という印象でしかなかった〝真咲みどり〟という人間像が覆されていくのを感じた。

 



 みどりのいじめは、ヒートアップしていき、反対に、白石の被害は少なくなっていった。


 しかし、みどりの方は、最近では、金銭までも要求されるようになっていたらしい。


 

「みどりくんは私を庇ってくれたのに、私は怖くて、みどりくんを庇うことなんてできなかった。


 ただ、皆がいなくなった後に、『大丈夫?』なんて声をかけたりして。


 あはは……。

 最低ですよね、私。

 大丈夫って返ってくるって、分かっててやってるんです。


 結局みどりくんにも嫌われたくなくて、中途半端なことして、それで、みどりくんは、学校に来れなくなって……」

 

「……白石さんは、そうだねって言って欲しいんスか?」


 伊沢が、少し怒ったように言う。

 伊沢は、白石の自罰願望を咎めているようだった。

 

「だって、みどりくんは、私がもっといじめと向き合ってたら、いじめられなかったかも知れないじゃないですか……!


 みどりくんがいじめられて、学校に来れなくて、今更、今更こんなことしたって……」


 

「その子が守ろうとしたものを、アンタが貶すのは違うでしょ」


 

 はっきりと、伊沢は彼女の言葉を遮った。

 

「我が身が可愛い?

 当然ッスよ、人間なんスから。

 第一みどりくんは本人の言う通り、自分の道理に反してたから行動しただけ。


 自己満足な行動でしかないんスよ?」

 

「そんな勝手なこと……!

 みどりくんのこと、そんな風に言わないでくださいっ!!」

 

「いんや言わせてもらうッス。


 みどりくんは自己満足の行動をして、たまたまアンタが助かっただけ。

 でも、それで助かった人間が居たんだから、良いじゃないッスか。


 自己満足でも、ただ見過ごせなかったから、助けたかったから。

……立派じゃないッスか。

 

 アンタも。

 今度こそ、みどりくんに恩返しがしたかった。


 だから、オレ達に助けを求めた。

 それで良いじゃないッスか。

 

 高尚な理由である必要は、ないッス。

 

 それが許せないのは、それこそアンタの勝手で、みどりくんは関係ない」

 

 

 伊沢は、再びポロポロと涙を流し始めた白石を見て、「あーもー、泣かないッスよぉ」とティッシュを雑に押し付けた。


 

「アンタだけなんスよ。


 アンタだけが、みどりくんの行動を認められるの。

 お礼が言えるのも、こうやって感謝を示せるのも。

 

 そのアンタが、泣いて、自分を責めちゃ。


 みどりくん、なんのための行動だったのか、分からなくなっちゃうじゃないッスか」


 

 白石は泣きながら、こくり、こくりと頷いた。

 

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