10.逢引の夜(強制) 後

 その場で体を強張らせるジョシュアに向かって、ミライアは宣告するかのように言った。


「こ奴は吸血鬼の中でも何クセもある輩だ。闘争とうそうよりも色事に興味を持つタチで有名でな。吸血鬼の“魅了みりょう”を使って男も女も入れ食いなんだと。今回は不意打ちで助かったのかもしれんが、こんなんでもコイツに同じ手は二度と通じんからな」


 面白がっているのか、それとも心配しているのか、彼女の言葉はぐさりぐさりとジョシュアを突き刺していく。


「それが嫌なら文句を言わず、人の血をきちんと飲め馬鹿者」


 ミライアの言う通りだった。ジョシュアは、まだ生まれて間も無くの吸血鬼だ。主食は人の血液で、どんなに嫌だろうが生きる為に口にせざるを得ない。さもなくば力は衰え弱るばかりで、どう足掻あがいてもそれだけは変えられない。


 けれどもジョシュアにはそれができなかった。長年人を救うハンターの仕事をしてきたせいなのか、吸血、というのは随分と抵抗感が強かった。


 生き血を啜って生きるくらいならばいっそ――、と考えてしまった事もあった。結局は欲にも力にも負け、度々口に突っ込まれてきてはいるのであるが。

 一倍、吸血に対する抵抗感が強いのはもう、ジョシュアにもミライアにもわかり切っている事だった。


 最早耳にタコができるほど繰り返しされてきている説教。それがジョシュアの為だというのも理解してはいるが、理性というのも効きすぎると厄介なもので。

 ジョシュアがちゃんとした吸血鬼になれるのは、随分と先のようにも思われた。


 そしてミライアは、そんなふざけた吸血鬼に対しては、隠し立ても容赦も一切しないのである。


「ま、血を飲んだとてお前ごときが勝てるとは到底思えんがな」


 絶句するジョシュアを目にしながら、彼女はジッとのその男を見下ろしていた。



◇ ◇ ◇



 ジョシュアはその日もまた、ミライアにこき使われる形で城塞都市の街中をあちこち見て回っていた。

 もちろん、彼女から与えられたの為だったが。今、ジョシュアは厳戒態勢げんかいたいせいのぞんでいる。


 何せ、あの吸血鬼とあんな出会い方をしたのだ。極力関わり合いにもなりたくなかった。何より報復が怖い。徹底的に避けたくもなる。


 同族には勝負戦いで負けた事のないミライアとすら並ぶような吸血鬼を、ジョシュアのようなひよっこが事前に発見するのはどう考えても困難だ。そこで、ジョシュアは徹底的に対策を講じた。


 ミライア曰く、あの男はこの街の周辺を拠点とする吸血鬼だという。

 ジョシュアはまず、徹底的に人混みを避けるようになった。人の気配に紛れて近付かれると、この前のようになりかねない。だからこそジョシュアは、常に姿も気配も隠す事にした。


 持ち得る魔力も惜しみなく使ったし、避難所になりそうな建物のチェックも欠かさなかった。ジョシュアが過剰に反応するたび、ミライアからは呆れたような眼差しを感じることもあったが。結果としては成功だった。


 あれから数週ほどは経っていたが、ジョシュアは男と接触せずに済んでいる。これは作戦勝ちだ。我ながら大成功だ、このまま何事もなくミライアの用事が済んでとっととこの街を出て行ってしまえば、己の勝ちである。

 ジョシュアは珍しく、その勝利を確信していたのだった。


 そんな機嫌の良いジョシュアに対して。

 ミライアはある時、その形の良い口を尖らせながらボソリと言った。


「お前……身を隠しながら捜索そうさくが出来るんならば最初からやれ、この馬鹿者」

「は?」

「人前にほいほい出るな、って事だ。お前が未熟だからあんな、人間に紛れて店の中やら入っていくものだとばかり思っていた」


 ミライアに睨まれながらそんな事を言われてしまって、ジョシュアは面食らってしまった。ボソリボソリと言い訳のように理由を告げれば、間髪入れずに彼女の突っ込みが入る。ミライアも随分と、ジョシュアという吸血鬼の性質を理解し始めているようだった。


「あまり遠いと情報収集も流石に苦労する。人混みなら、紛れやすいかと……」

「それが馬鹿野郎だというんだ。出来るんならば、目撃されない程度に遠くからやれ。我々が魔族だの吸血鬼だのとバレたらどうするつもりだ」

「どうって……」

「吸血鬼やら魔族やらを専門とするハンター達も居ない訳では無いのだぞ。数は相当少ないがな」

「そんな命知らずが……」

「魔族の中の化け物が居るならば、人間の中にも化け物が居るという話よ。ちゃんといたければ覚えておけ」

「……分かった」

「それとだ、あまり人前で軽々しく我らの名を呼ぶなよ。私の真名まなは教えとらんが、それ以外の名もだ。そう何度も呼んでくれるなよ」


 最後のたった一言だった。ジョシュアはまるで、雷に打たれたかのような衝撃を受けたのだ。

 ミライアというその名は、彼女の本当の名前ではないと。

 またしても呆然としながら、彼女の話の続きを聞いていた。


「名前というのは、我らに力を与えもするし縛りもする。余り多くの者達に呼ばれ過ぎてしまうと、真名でなくとも力を持ってしまうのだよ」

「な、名前がか……?」

「私がお前の本名を何度呼んだか、数えてみろ」


 いつものように仁王立ちしながら、ミライアはジョシュアにそう問うた。

 はた、と思い返して考えてみると、彼女からまともに名前を呼ばれた事がないと気がつく。


 ここ数ヶ月程ミライアと行動を共にしている事になる。“下僕”だの“ストーカー”だのとはよく呼ばれたが、ジョシュアと呼ばれたのも片手で数える程で。てっきり、揶揄からかうつもりでそのように呼ばれていたのかと思っていたのだが。きちんとした理由はあったようだ。


「ほとんど、呼ばないな……“下僕”とか、“お前”って……」

「そうだ。だからお前も、人前に限らず余り名を聞いたり呼んだりするなよ。あの“赤毛の”男を含め、他の同族に対してもだぞ? それが我らの礼儀だ。分かったか?」

「ああ、分かった」

「よし。なら決して、破るなよ。忠告を無碍むげにして、同族やら魔族やらに報復されても知らんからな」


 ミライアが話の一番最後に、最も恐ろしい爆弾を持ってきてくれるのは相変わらずのようで。クラリとする頭を必死で動かしながら、ジョシュアは名前を呼ばない練習をスタートさせるのだった。


 ただ一つ、ここでジョシュアが気付いていない事がある。なぜ、ミライアがこのタイミングでそんな話をしたのか、という点である。

 これは偶然ではないのだ。きちんとした理由があって、彼女はジョシュアにそんな話をしたのだ。


 この時、“赤毛の”男の話を出した彼女の思惑を理解する間もなく。何も知らないジョシュアは、せっせと苦労して情報を集めていくのであったが。

 ミライアが真名についての話をした本当の意味を、ジョシュアが正しく理解する頃にはもう、完全に手遅れなのであった。



「やった! そうそう、この子この子、さっすが姐さん、俺の事分かってるぅー!」


 情報収集を終えたジョシュアが、窓から宿の部屋へと戻ったその瞬間だった。

 彼を出迎えたに愕然とする。隣で鬱陶うっとうしそうに顔をしかめるミライアの、珍しく張り上げたその声すらジョシュアには気にならなかった。

 覚えのあるその男の姿を、ジョシュアはただただ見つめるだけだ。


やかましいわ! 静かに話せんのかお前は……そのふざけた態度をとっとと引っ込めろ。この話は無かったことにするぞ、“赤毛の”」


 “赤毛の”、というその呼び方に覚えのあったジョシュアは即座に理解した。

 ミライアは恐らくあの時から、この“赤毛の”男とジョシュアを引き合わせるつもりだったのだろうと。でなければ、そのタイミングでああも同族についての話が出るはずがないのだから。


 彼はミライアと並ぶ大男で、長めの赤いその髪を一つに結っている。

 ミライアが絶世の美女なのだとすれば、男は見た目、姫を助ける騎士様のようだった。


 見た目の上では、である。例え中身がアレであったとしても、他者を惑わす魔力を持っていればそれこそ、誰も彼もが見た目に騙されて魅了されるに決まっているのである。


 普通の人ならば。

 ただし、ジョシュアは別である。先日の事もある。声にもならない悲鳴を上げながら、ミライアに訴えかけた。


「な、何でっ! おい!」

「あ?」


 こんな状況下にありながら、頑張ってミライアの名前を呼ばなかったジョシュアは随分と健気な様子なのではあるが。ミライアがそんなジョシュアが面白くて、観察しながらずっとニヤニヤしていたなんて事、本人は知る由もない。


「この前、話しただろ……!」

「話は聞いたが了承した覚えはない。使えるものは使うだけだ」

「そうそう! 何でも姐さん、俺に協力して欲しいらしくってさぁ? 代わりにアンタを貰った」

「!」


 最早ジョシュアは得もいわれぬ。売られたのだ。師に、売られた。

 ジョシュアは、頭をガツンと殴られたかのような衝撃に、その場ですっかり固まってしまった。


「おい、私はお前とコイツを会わせるだけだと言ったろう。やるとは言っとらん」

「ええ――っ! そんな、話が違うじゃんか!」

「五月蝿いっ、何も違っとらんわ! 私は引き会わせるだけで、その後の事は関知かんちせんと――――」

「――、……手始めに――」

「――! ――――?」


 その後も何やら言い合っていたようだが、ジョシュアの耳には全く入ってこなかった。


 監禁かんきんだの去勢きょせいだの、信じられない言葉の数々が聞こえた気がしたが、生憎あいにくとジョシュアの頭は、それを理解する事を拒んでいた。

 自分は一体どうなってしまうのか。そればかりが頭の中を巡っていた。

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