第一章 無敗の吸血鬼

01.大禍時 前


  彼がソレに出会ってしまったのは、偶然と運命の気紛れに過ぎなかったのだろう。


「走れ! 前だけ見て走れ! 振り返るな!」


 前を駆ける女性と自分をすらも叱咤するかの大声で叫びながら、ジョシュアは駆けていた。

 背筋をゾクリと震わす恐怖に脚が竦むよう。しかし、足踏みする暇もなければ振り返る暇もなかった。

 少しでも遅れれば死ぬ。そんな想像が出来てしまうほど、ジョシュアは追い詰められていた。手を出すんじゃあなかった、そうは思えども覆水盆に返らず。


 まさか、こんな平和で大きな街の郊外にまさか、がいるだなんて。

 なんて物騒な世の中だ。この世界にそう文句を言いたくなる。けれどもどんなに足掻いても叫んでも愚痴っても状況は変わらない。


 背後からじわじわと己を追い詰めてくる気配に、ジョシュアは必死で駆けずりながらぶるりと身体を震わすのだったーー。



◇ ◇ ◇



 彼の立ち寄ったその街は、十年ほど住んだあの街よりかは南に位置しており、国の北部の中でも一番に栄えた街だった。中心街ともなれば、どこを見ても賑やかで人通りの絶えない豊かなところだ。


 そんな街を拠点にすれば、ある程度国の状況も分かるし、何より怪物退治やらハンターの依頼に困ることは無い。あまり難易度の高くない、彼にうってつけの依頼も豊富に用意されている。


 街の栄えた様子をジロジロと見て歩く。しばらくここに厄介になろうか、なんて人混みに辟易としながらも、ジョシュアはぼんやりとそんな事を考えていた。

 この人の多ささえなければ、とすら思うのだが、人が多くなければ依頼は集まらない。彼の葛藤は推して知るべし。


 街に着いたその足で、ジョシュアは街のハンターギルドへと向かった。

 依頼を受けるにしろ、討伐を依頼するにしろ、あらゆる街に設置されてあらゆる情報が集まり、それらの依頼を斡旋するハンターギルドは、怪物モンスターを退治するハンターにとっては欠かせないものだった。


 ジョシュアは外から来たハンターである。ハンターとして登録されている場合、各街のハンターギルドに滞在を登録する事が義務付けられている。

 そういった制度のお陰で、街は滞在中のハンターを把握する事も出来るし、同時に街を訪れるハンターのサポートを的確に行う事も出来る。


「ジョシュア様ですね。滞在はどの位ご予定されていますか?」


 案内表示に従い受付に願い出れば、にこにことした印象の良い受付嬢が彼を迎えた。

 ジョシュアが何年も生活をしていた田舎街とは違い、広くしっかりとした作りのこの街ハンターギルドは大いに賑わっていた。


 見たところ、施設にはざっと30人ほどのハンターが居り、思い思いに過ごしている。登録待ちの者、依頼掲示板に目を通す者、誰かを探す者、受付に馴れ馴れしく話しかける者、様々な人相の、そして様々な格好をした人間達で賑わっていた。


 元々ひと月ほど滞在する予定だったが、気が変わってもう少し居るかもしれない。ジョシュアは、街への登録を待ちながらそんな事を思った。田舎ばかりで過ごしていた彼には、煩くともしかし、魅力的な街でもあった。


「では、登録が完了いたしましたので、ご案内いたします。ジョシュア様は【C】級でいらっしゃいますので――――」


 ハキハキと説明をした彼女に礼を言い、彼は早速貰った羊皮紙に目を通しながら、ジョシュアは依頼掲示板に向かった。

 この街の依頼について情報を集めるために、ふらふらとしながらギルドの様子を一通り眺めるのだった。



 しばらく依頼内容を眺めてからギルドを後にしたジョシュアは、次に街中を見て回る事にした。

 このような都市に出てくるのは随分と久しぶりのことで、装備や日用品など、売られているものに興味があったのだ。


 宿をとる方が先でも良かったが、久しぶりに湧き上がる好奇心には勝てなかった。

 魔術の効果が付与されたソレや、いかにも珍品と思わしきもの、田舎ではお目にかかることもない魔術師用の品など、いたく興味を惹かれたのだ。見ているだけでも楽しかった。


 片田舎に卸される品物などたかが知れていて、流行の物などはそもそも入ってはこない。立ち並ぶ武器店をジョシュアは時間をかけて一軒ずつ見て回った。珍しくも気に入った武器を新調しながらフラフラと街を回れば、日が傾くのもあっという間だった。


 久々の心躍る買い物を済ませて、さて宿をとろうとジョシュアは、その場から最も近い宿を選んだ。ひとまずは3日ほどをと、纏めて代金を支払えば、受付のふくよかな女性は人の良さそうな笑みを浮かべて部屋のキーを彼に渡した。


 抱えていた荷物を部屋に置き、ジョシュアはそこでようやく一息をつく。野宿生活が何日も続いた事もあり、ゆっくりと体を休めると思うとホッとした。

 ホッとすると次に、腹が鳴り出した。正直な己の体に内心で苦笑しながら、ジョシュアは街の情報収集がてらに酒場へと繰り出す事にした。


 店では、適当な酒とつまみとを注文し、端の目立たない席でひとり、ちびちびと飲んだ。ひっそりと息を潜めるのは得意な方で、物騒な雰囲気の客に絡まれるような事もなかった。耳を済ませてみれば、店のあちらこちらで様々な話が飛び交っている。


「――隣国の女王がこの国に来て視察して――」

「最近、巷で行方不明になる奴らが増えて――」

「――のギルドで、とんでもないハンターが現れて、S級のモンスターをひとりで倒しちまって――」

「幻の魔族の目撃情報が――、――もし出会いでもしたら俺達なんて――」


 有益そうな情報に耳を傾けながら飲んでいれば、あっという間に頼んだグラスがカラになる。もう一杯、と食事と共に注文したところで、ふと女性の二人組がジョシュアの目に入った。


 酒場の隅で、やけに楽しそうにクスクスと語り合っている。このような物騒な場所で女二人だなんて随分と珍しい。ジョシュアは何ともなしに目をひかれた。


 一人は、肩につく程の茶色の髪をした小柄な女性。白いシャツに紺色のワンピースを身に纏い、お淑やかに柔らかい表情でもう一人の話を楽しそうに聞いている。


 そしてもう一人は、黒いウェーブがかった長い黒髪で、随分と男勝りな格好をしていた。白いシャツに黒いピッタリとしたズボン、そして膝下丈のブーツを履き、苔色のフードローブを肩に掛けている。


 足を組んで豪快に酒を飲む様子からも一層、その男勝りな様子がうかがえる。しかしどことなく表情に色気があって、その女性が何故だかジョシュアの気にかかった。

 あの雰囲気は軍属か何かだろうか。

 周囲もそれを察してか、彼女たちに絡むような人間はいなかった。


 女二人で夜の酒場、面倒事にならなければ良いけれど。そんな心配をしながらも一旦は興味を無くし、ジョシュアは再び噂話に耳を傾け始めたのだった。


 たまに、ジョシュアが新入りだと目敏く気付いた者が、親切にも声をかけるなどしたが、また後日、などと適当にあしらってしまった。

 その親切心は身に染みたが、慣れない事をしてさすがの彼も疲れ果ててていたのだ。見知らぬ場所で見知らぬ人間の相手をする元気はない。

 酒も料理も空にしてすぐ、ジョシュアは店を後にする事にした。


 ほろ酔い気分でのんびり宿への道すがら、仄暗い空を見上げて大通りを歩いていく。

 ここまで大きな街であっても、早い時間から殆どの店は閉まってしまう。昼と夜の境目の【大禍時】――或いは【逢魔が時】とも云われるこの時間帯には、ヒトの理から外れた者達の跋扈すると伝えられている。人通りは殆ど無かった。


 そこで突然、ジョシュアの耳が女性のものらしき話し声を拾った。驚いてふいと後ろを振り向けば、先ほどの女性達二人組が大通りを歩いているのが目に入った。彼女ら以外に人の姿は見えない。


 同時に、黒髪の女性が予想以上に体格が良かった、なんてどうでもいいことに思考がいってしまう。ジョシュアはその女の立ち姿を見て面食らってしまったのだ。


 下手をすれば、ジョシュアの身長よりもだいぶ上かもしれない。遠目から見て勝手に敗北感を感じながら、ジョシュアはその女について考えを巡らせた。


 彼女の佇まいからして、やはり何処かの軍にでも所属しているのだろうか。だからこそ、この時間帯でも出歩けるのかと。


 いやさそれにしても、女性だけでこの時間に外を彷徨くなんて、本当に大丈夫なんだろうか。不安は尽きなかった。

 そんな彼の心情を余所に、彼女らは相変わらずかしましくも楽しそうだった。


 少しの興味本位と心配とで、彼はペースを落として宿までの道をゆっくりとした足取りで歩く。

 こんな時間帯に出歩くなんて、一体二人はどんな事を話しているのか。ジョシュアは心配とそしてほんの少しの下心で、彼女らのに耳を傾けた。


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