第36話 長妹は義兄のを舐める

 あ……、やばい。

 ほのぼのしてたはずなのに、なんか一気に、デートっぽい。


「……ん」


 ここでヘンに躊躇ったら逆効果だと思って、白羽の口元に手を伸ばす。

 きゅっとまぶたを閉じる白羽のあどけなさに目を奪われつつ、指をその唇の端に這わせ、そっと優しくクリームを拭い取ってあげた。

 ……肌、やっぱすべすべだな。

 とかぼんやり考えていたら。

 ゆっくりと開かれた白羽の瞳が、離れる俺の指先を追いかけて──


「……ぁむ」


 ──ちゅぷ、とまれた。


 指先がクリームごと唇の内側の柔らかさと熱さに包まれ、ぬるりと、その口内で舌に舐め取られる。

 なにが起こっているのかすぐに理解が追いつかず、抵抗も制止もできずに、びっくりしたまま眺めてしまった。


「っ、白羽……!?」


 やっと声を出した頃には、軽く吸いつかれ、ちゅぱっと離されたあとだった。

 白羽が赤い舌を覗かせて自分の唇を舐めるその仕草が、いやに煽情的に映って焦る。


「クリームで汚れちゃったから……。だめ、だった?」

「だ、だめっていうかっ……人の指舐めんの、やじゃないの? 汚いとか……っ」


 白羽は口元を隠すように手で覆い、恥じらいのこもった上目遣いで俺を見上げてきた。


「ひ、陽富ひとみくんのだったら……汚くないから、舐められる、よ……?」

「……………………」



 衝撃を通り越して、俺だけ時間が停止した。



 …………い、いま、本気で、自分の心の汚さを全力で呪いたい。

 白羽は、悪くない。俺があまりにも最低すぎる。

 いや、本当は彼氏でもない相手にそんなことしちゃだめだって、ちゃんと注意してやらなきゃいけないんだけど!!

 いまの穢れている俺に、白羽を叱る資格がねえ……!!


「し、白羽っ……マジで、ごめん……っ」

「? ごめん……?」


 口に含まれて舐められた感触も相まって、身体が反応しそうになったことに冷や汗と動悸と罪悪感がドッと押し寄せてきて、白羽を見られなくなった。

 無垢な義妹相手に、なに一瞬、想像してんだ。

 一番俺がやっちゃだめなことだろうが……!!

 浅ましすぎる自分を脳内で思いきりぶん殴っていたら、いつの間にか出していたポケットティッシュで白羽に濡れた指を拭き拭きされていた。

 ……アフターケアまで施してくれる(?)純粋で優しい義妹だというのに、反して俺は愚兄にもほどがある!!



 ※ ※ ※



 他愛ない雑談に花を咲かせることでなんとか気を紛らわせ、クレープを食べ終えた俺たちは、モール内を散策することにした。

 女子の好きそうな品のいい雑貨屋についたところで、俺の中でひとつ悩みが生まれる。


 さっき、クレープを買った時にさりげなく残金を確認したところ、三千円くらいだった。

 今朝までデートするなんて夢にも思っていなかったのでしょうがない。

 まあいまは特に欲しいものもないし、雑貨やちょっとしたアクセサリーなら予算内に収まるだろうから……、たぶん大丈夫だ。

 考えるべきはもっと、根本的なところにある。

 一応、予行演習と銘打ったノーカンデートなわけだし、形に残るプレゼントとかはやめたほうがいいんだろうか……。


「お待たせ……っ、陽富くん」


 店頭に置かれたバレッタやヘアゴムを見ながら頭を悩ませていると、いつの間にか店内を回っていたらしい白羽が、戻ってきた。

 ……この店の袋を提げて。


「え、はやっ。なんか買ったの?」

「うんっ。紅羽くれはに似合いそうな髪留め見つけたから、お土産に」


 丁寧にラッピングされた小さな袋を見せてきた白羽は、今日一番柔らかい表情ではにかんだ。

 言ってくれたらお金出すのに、と思ったが、きっと白羽はそんなこと考えもしていない。


 デートの内容やクレープの種類にはたくさん迷っていた白羽が、妹にあげるものは即決で購入できる。

 それくらい妹のことを知り尽くしていて、そしていつも心のすぐ近くに置いている存在なんだろう。

 なんか……、本当に仲いい姉妹って感じで、こういうのめちゃくちゃいいな。


 俺はもっともっと根本的なところから間違っていたのかもしれない、と思った。

 デートだからとか、でもノーカンだからとか関係なく、俺も白羽にあげたいと思うものが見つかったら、素直に買って渡せばいいんだろう。

 デートの相手としてじゃなくて、兄貴として。



 ※ ※ ※



 ──このデートの本来の目的をうっかり忘れかけていたが、満月みつきからの電話はきていない。

 もともと犯人をおびきよせるための疑似デートなので、犯人が釣れなかった場合も、ちゃんと連絡をくれる手筈だ。

 つまり、俺たちのデートをいま犯人はどこからか見ていて、またそれを生徒会がどこからか見張っているが、犯人を捕まえられる決定打はまだない──ということなんだろう。


 ……コレって、ほんとにふつうに楽しんでていいんだろうか。

 とはいえ、白羽はなにも知らず純粋に楽しんでくれているんだし、不自然なことをしてぶち壊してしまうのは避けたい。



「……あ」


 引き続き散策している最中、電子音で溢れかえったゲームコーナーの横を通った。

 あるクレーンゲームの機体が視界に入り、足を止めると、白羽も立ち止まって首を傾げる。


「白羽、あれすぐれそうじゃない?」


 目を留めたのはなんとなく、ディスプレイに飾られた猫のぬいぐるみが白羽っぽいと思ったからなのだが、同種の景品が思いのほか取り出し口に傾いた形で置いてある。


「そうなの? ああいうの、やったことないから……」

「ああ、そっか。UFOキャッチャーなんかしねえよな」

「ゆ、ゆーふぉー、きゃっちゃー……?っていうんだ」


 名称も知らなかったらしい。言い慣れてなさまで可愛いな。

 お嬢さまだし、ゲームセンター自体行ったことないんだろう。


「アーム動かして、景品掴んだり押したりして、この中に落とせばゲットできるんだよ」

「あのぬいぐるみ落としたら、もらえるの? すごい……っ」


 説明してやると、白羽は興味津々な顔でアームや景品を見た。

 周囲を見渡してみたが、両替機の前に人はいないし、そもそもあまり広くないコーナーなので客は数人しかいない。

 前の客はぎりぎりまで粘って残金が尽きたのかもしれない。


「やってみる? 何回か動かせばすぐ落ちそうだし、これ」

「! うんっ……やってみたいっ」


 ということで、手始めに百円を二枚投入し、プレイ開始した。

 妹の自主性を育むのも兄の務めだろうと、指示したいのを我慢して最初はなにも言わずに見守るつもりだったのだが、


「ひ、陽富くんっ……。どきどきして、動かす勇気、出ない」


 いざレバーを握った白羽は、一ミリも動かせないまま早々にヘルプを求めてきた。

 いまのクレーンゲームは時間内ならアームをいくらでも縦横無尽させられるゆとり仕様だから、そこまで気張ることもないとはいえ……、初めてだと戸惑ってしまうのもわかる。


「じゃあ、ちょっと触っていい?」

「えっ、うんっ……」


 一度手本を見せてから、交代してやればいいだろう。

 白羽の握っているレバーを指さして言えば、白羽は緊張した面持ちでこくっと頷いた。


 それから数秒、ふたりとも無言の時間が訪れる。


「さっ……さわ、触って、いいよ……?」

「え、……あ、うん?」


 ……あ、これ、白羽の手の上からってこと!?

 交代してもらうつもりだったんだけど、俺が言葉足らずだったのか。


「じゃあ一緒にやろっか」


 まあ操作性は単純だし、白羽の練習にもなるだろうから、そっちのがいっか。

 そう思い、白羽の右手を覆うように自分の右手を置いて、白羽の斜めうしろからレバーを一緒に操作してみる。

 小さな手の柔らかさと、ふわりと鼻腔をくすぐる甘い香りはあまり意識しないようにと、機体の中へ神経を集中させる。


 ……ってか、なんか、白羽ずっと俯いてない?

 景品のほうを見てるんだろうか。


「白羽、もうちょいこっち見て……」

「ひぁっ、ぅん」


 アームに目を向けさせようとしたら、白羽が突然びくんっと身体を震わせ、俺から距離を取るように仰け反った。

 その拍子に白羽の左手が決定ボタンにぽちっと当たり、座標を確定してアームが勝手に降下しはじめる。

 しかし、右耳を押さえて真っ赤になっている白羽に驚いてそれどころじゃない。

 とっさに両手を挙げて降参ポーズを取ってしまった。何度目のやってませんアピールだ。


「ごめん白羽、俺なんかヘンなことした!?」

「ち、ちがっ……、こ、こぇっ……!」

「こえ?」

「陽富くんの声が、すごくっ、近くて……っ」


 こ、声……か……!

 言われてみれば俺もアームばかりに集中していたせいで、白羽との距離感を考えられていなかった。

 いきなり耳のすぐそばで話されたら、誰だってビビるに決まっている。

 いやでも、よかった、気づかないうちになんかだめなとこでも触っちゃってたのかと……。


 ────ドサッ。


《景品ゲット! すご〜い! おめでと〜!》


「「…………えっ」」


 機体から効果音とともに流れたそのフレーズに、白羽とふたり揃ってそちらを見た。

 さっきまで取り出し口に傾いたまま止まっていたぬいぐるみが、姿を消している。


 足元に繋がった取り出し口の透明な蓋を開いてみると、ゆるい表情の猫が、鎮座してこちらを見ていた。


「……え? マジっ? 一回で獲れた。白羽天才!?」

「わ、わ、私じゃないっ、陽富くんが操作してくれたから……!」

「でもボタン押したの白羽でしょ! すげえな、どうやって落ちたのか見たかった……!」


 景品が落ちるとおのずとテンションが上がるものだが、それが一発ゲットとなれば段違いだ。

 どこに移動させたかもちゃんと憶えてないが、アームパワーが強くなる確率が作用したんだろうか。

 人が人なら動画に収めたかったと嘆くところだ。

 いや俺もできれば収めたかったけど。

 そんなものは結果論で、精力的にインスタを投稿しているわけでもなければ、プライベートを記録する習慣もない、なんなら休み時間も昼飯中もずっとSNSを見ているスマホ中毒者の時雨を反面教師にして外ではスマホを必要最低限しか出していない俺が、動画を録るなんて思いつくわけがない。


 ともあれ、すごいミラクルを起こしてくれた白羽に、笑って戦利品を差し出した。


「はいっ、白羽」

「ぅ……、ありが、とう……っ」


 獲ったのは自分なのにお礼を言って、白羽はきゅうっとぬいぐるみを両腕で抱きしめた。

 俺が手に持った時はそこまで感じなかったが、小さな白羽が抱くと、比率の関係でとても大きく見える。

 フワッフワの猫の頭部に口元をうずめていて、目元しか見えないが、頬を染めてすごく幸せそうな表情を浮かべているのがわかる。


 幼い子どもみたいでめっちゃ可愛い。

 この瞬間こそ、動画や写真に収めたいくらいだ。


「ぬいぐるみ、そんなに気に入った?」

「うんっ……。ぬいぐるみもすごく、うれしいけど」

「うん?」

「陽富くんが、……うれしそうなのが……うれ、しぃ」

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