強襲

結局、兵枝令仁は黒嶺蝶子の言葉に従う他無かった。

普段は歩く兵枝令仁だが、今回は、黒嶺蝶子と共に学校から出て、車に乗る。

黒嶺家が用意した車だ。それに乗車して扉が締められると、車が発進しだす。


車の中には運転手と、助手席に座るのは狩人だった。

もしも、送迎中に化物と対峙しても、黒嶺蝶子と兵枝令仁が生存出来る様にと、黒嶺神太郎が雇った狩人である。


送迎で揺れながら、兵枝令仁の方に視線を向ける黒嶺蝶子。

彼は窓の外を眺めていて、なんとも詰まらなそうにしていた。

会話が無いので、また、会話をしても全て空返事である事は分かっていた。

だから、黒嶺蝶子は何も言わずにポケットに手を伸ばす。


「(…なんでかなぁ)」


黒嶺蝶子は嫉妬している。

何れ体を交わし、式を挙げ、子供を作り、平和な日常の最中で、生涯を終える。

それが当たり前であると認識しているが、しかし兵枝令仁が見ているものは、黒嶺蝶子では無いのだ。


「(私が居るのになぁ、なんで私の方を見てくれないんだろう)」


兵枝令仁は、既に魅了されている。

それは女性では無い。ましてや男性でも無い。

簡略して言えば、兵枝令仁は化物に魅了されている。

いや、更に深く根掘れば、兵枝令仁は死に近づこうとしているのだ。


生まれた時からの性癖とでも言うのだろうか。

とにかく、絶世の美人である黒嶺蝶子よりも、魅力的なものが、其処にあるのだ。

兵枝令仁から取り上げた狩猟奇具を握り締めた。

決して、トリガーに指を掛けぬ様に、慎重になりながら握っている。


「…もしもし」


車が移動している時。

携帯電話が振動した。

それは黒嶺蝶子ではなく、狩人の携帯電話だった。

狩人は無口ながら、静かに頷いている。


「…この周辺に、そうか」


携帯電話を離して、運転手の方に声を掛ける。


「この周辺に化物が出現したらしい、何時もの道ではなく、遠回りを…」


喋っている途中だった。

十字路を抜けようとした時、真横から車が突進して来たのだ。

それによって、激しい衝撃が車内へと伝わると共に横転。

車の中がくるくると回り出して、窓が割れ、エアバッグが噴き出し、運転手が包まれる。

シートベルトをしていた黒嶺蝶子と兵枝令仁は逆さまになった状態で吊り上げられていた。


助手席に居た狩人は、持ち前のナイフを使ってシートベルトを切ると、扉の窓を割って外に出る。


「ぐ…うう…あ、あー、は、…大丈夫か、今、たすけ、る」


契約通り、二人を助けようとしているのだろう。

だが、外へ出た後、狩人は気配を察してポケットから狩猟奇具を取り出した。

それを構えて、戦闘態勢に入ろうとした時に、背後から化物が出現した。


「あっぱぁん」


鳴き声の様な声を漏らすのは、二足歩行のトカゲだった。

馬の様に大きな口を開くと共に、化物が狩人の首を包み込んで、食い千切った。

首から血飛沫を飛ばしながら、地面に倒れる狩人。

トカゲ型の化物は、狩人の死体に夢中で食している。


「…え、あ?」


黒嶺蝶子は気絶していたらしい。

彼女が目を覚ますと、兵枝令仁の顔が其処にあった。

予め持っていたナイフを使って彼女のシートベルトを外すと、割れた窓から外に出る。


「大丈夫か、蝶子」


そう聞く兵枝令仁に、黒嶺蝶子は立ち上がろうとして、足首に痛みが走る。


「い、たい…令仁、くん、歩けない…」


片足が負傷している。

兵枝令仁は彼女の肩を抱いて逃げようとしたが、黒嶺蝶子は首を左右に振った。


「駄目、化物は走ると早い、から、すぐ追いつかれちゃう…一度、車の中に戻った方が…」


黒嶺蝶子の提案を、兵枝令仁は話半分で打ち切った。

トカゲ型の化物が、兵枝令仁と黒嶺蝶子の方に気が付いたのだ。


「令仁くん…ッ」


兵枝令仁は、近くに落ちていた狩猟奇具を手にとった。

それはどうやら、狩人が使用しようとして、使い損じてしまった狩猟奇具である。

狩猟奇具を握り締めながら、兵枝令仁は迷わずトリガーを引き抜いた。

小型の箱の中から、ピンク色の筋肉繊維が伸びると共に、体液が溢れ出す。

体液が大気に触れると共に硬質化していき、触手が形状を変化させていく。

一振りの刀身へと変わると、兵枝令仁は軽く振って感触を確かめる。

狩猟奇具の原材料は、化物の肉体である。

なので、狩猟奇具は生きている武器と称されていた。


「何してるの、令仁、くん」


「逃げる時間も無い、戻るにも時間が居る、だったら、時間稼ぎしか、無いだろ」


その言葉と共に、兵枝令仁は刀を構えた。

先刻、兵枝令仁は狩猟奇具を何度か使った事があると、そう言っていた。

だが…あくまで試運転として使用したに過ぎないのだろう。


その証拠に、トカゲ型の化物が地面を蹴ると共に、その臀部から生えた尻尾が、兵枝令仁の脇腹を叩きつけた。


「っ!!」


咄嗟に狩猟奇具で防御したのは、反応が良い証拠だが。

地面に叩き付けられる兵枝令仁、痛みで悶絶とした表情を浮かべた。


「ぐ、は…はッ」


息を吐いて体を立ち上がらせる。

腹部を強打された事で骨が軋んでいる。

内臓が破裂しているのかも知れない、口から血を流しながら体を起こす。


「はーっ…あーッ」


痛みが、体全体を覆っていく。

死に対する恐怖を浮かばせるだろう。

死にたくないと思えば、思うほどに、体中に痛みが回っていく。


「は…はっ、はは」


だが、兵枝令仁は、戦闘意欲を削ぎ取る攻撃を受けたのに対して。

口を歪ませながら、兵枝令仁は笑っていた。

腹部を抑えながら狩猟奇具を握り締めている。

この状況を、兵枝令仁は楽しんでいる。


彼は既に、魅了されているのだ。

生と死の狭間、微かな淵を綱渡りの如く歩く所業。

死に近づけば近づく程に、兵枝令仁は生を実感出来る。


異常な笑顔。

それを車の近く、遠くから黒嶺蝶子は見て、絶句している。

まさかここまで、兵枝令仁が壊れているとは思って無かった。

その姿は狂人に近く、身近にそんな人間が居たと思うだけで身動ぎしてしまう。


「はぁ…はぁ…」


息切れをしている黒嶺蝶子。

彼女は興奮していた。

この状況で精神に異常を兆してしまったかも知れない。


兵枝令仁の血に汚れた笑顔を見て。

彼女は、心臓を高鳴らせていたのだ。

顔面が紅潮しだして、恍惚とし過ぎて脳が蕩けそうになる。


「(令仁くん…令仁くんが笑ってる…うぅうう、好き、その笑顔好きぃッ)」


…思えば、黒嶺蝶子は、黒嶺神太郎から幼い頃より、兵枝令仁の為に、生きろと言われていた。

その言葉に、黒嶺蝶子は拒まず受け入れていた。

黒嶺神太郎が作ったレールを歩くだけに過ぎない人生である。

その時、兵枝令仁と共にする人生はさも当然であるように語っていたが…しかし、心の内では、兵枝令仁に恋心と言うものは抱いてなかった。


しかし、それは杞憂であった。

既に、黒嶺蝶子は魅了されている。

兵枝令仁の姿に、その勇ましい姿に、恐ろしい姿に、悍ましい姿に。

喜び、尊び、叫び、感動し、感嘆し、感極まっている。

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