SIDE01 暖かな光(前編)

※過去編(瑠惟17歳、絋夢15歳)―絋夢視点―



 初めは大嫌いだった。

 いつもへらへら笑って何を考えてるのか分からない。

 誰にでも優しくて、怒った姿なんか見た事が無い。

 こいつの本心を探りたかった。

 可愛い顔を怒りで歪めてみたかった。

 なぁ一度くらい怒ってみせろよ?


◇◇◇



 高校に入ってすぐ、小遣い稼ぎで学校近くの喫茶店でバイトの面接を受けた。

 その喫茶店は夫婦で経営していて、マスターは物静かなのんびりとした感じの人で、奥さんは明るくはきはきとした人だった。2人共とても優しくて感じの良い、バイト先として申し分の無い場所だった。それで俺は「働いてみる?」という奥さんの言葉に迷うことなく「はい」と答えた。

 この夫妻には高3の一人息子が居た。今回の募集は息子を受験勉強に専念させたいから、と言う理由だったらしい。

「瑠惟、ちょっと下りて来て」

 二階が自宅になっているらしく、奥さん……瑠美子るみこさん(と呼んで欲しいと本人が希望)が階段を上った先にあるドアを開くと誰かの名を呼んだ。

「どうしたの?」

 声がしたと同時に、俺と同じくらいの身長――おそらく175センチくらいの、くりくりと大きな目をした やたら線の細い奴が顔を出した。

「絋夢君、この子が息子の瑠惟」

 そうなのかな? と予想はつけていたが、実際に告げられて驚いた。この顔はどう見ても……聞いていた年齢にそぐわない。

「高3ですよね?」

 尋ねた俺に、瑠美子さんがくすくすと笑う。

「私に似て可愛いでしょ?」

 いや……そう言う問題じゃなくて。思わず出そうになった言葉を飲み込む。

「母さん……だぁれ?」

 それまで黙ってやりとりを見ていたそいつが、ゆったりとしたリズムで口を開いた。

 不思議そうに瞬きしている姿はどう見ても高3には思えない。

「こちら今週末の夕方から働いてもらうことになった宇佐美絋夢君」

「えっ?」

 そいつは目を見開いて、瑠美子さんと俺を交互に見た。

「母さん! おれ手伝えるよ!?」

 そう言ったそいつに瑠美子さんは優しく微笑んで、「勉強は今しか出来ないから……悔いの無いように挑戦して欲しいの」と告げる。

「母さん……」

 目前で繰り広げられた甘い雰囲気に吐き気がした。

 色んな家庭があるから、こんな家族がいても不思議はない。

 だけど、決して仲が良いとは言えない家庭で育った俺には、この場は居心地が悪く、嫌悪を感じずにいられなかった。



 でももっとイラついたのは、忙しい時に手伝っていた、あいつのあの姿を見た時だ。



 その日はガラの悪い学生が数名店に来ていた。

 他の客の対応をしていた俺は、その学生の注文を取りに行くのが遅れた。やっと時間が出来て訊きにいこうとしたところで、いつの間に二階から下りて来ていたのか、あいつが奴らの元に行った。

 すると、奴らは来るのが遅いって理由だけであいつに水をぶっかけたんだ。

 俺が文句を言いに行こうとすると、目で俺に来るなと訴える。

「遅くなって申し訳ありません。ご注文をお伺い致します」

 前髪からポタポタと雫が落ちているのに、気にした様子もなくにっこりと微笑んだあいつに奴らは嘲るように笑い、

「こんな店もう来ねぇよ」

 と言い捨てて出ていった。

「宇佐美くん、ごめんね……ちょっと着替えてくる」

 ホールから戻ってきたあいつが隣を通り過ぎようとした時、腕を掴んだ。

「奴ら注文する気なんハナから無かったんだ。文句付けて、からかいに来たんだぞ? 何で怒らない!?」

 詰め寄った俺に、柔らかく微笑んで、「店内に居るかぎりお客さまだから」と言ったんだ。

 訳が分からなかった。

 あいつだって心の中じゃ怒ってるに決まってる。何で隠すんだよ?

 怒れば良いじゃないか?



 その日は……胸の中の苛々が一日中おさまらなかった。



「絋夢くーん」

 カウンターから呼ばれて駆け付けると、瑠美子さんがティーカップを2つのせたトレイを手に持っていた。

「何ですか?」

 尋ねると、手にしていたトレイを差し出して、「これ君と瑠惟の分」と押しつけるように俺に渡す。

「瑠惟ってあいつ今2階じゃん!!」

 叫んだ俺に「お願い」と両手を合わせる。

 溜め息を吐きながら仕方なく頷いて、紅茶の片方を半分程飲んでカウンターに置き、口を付けてないほうの紅茶を持って2階に向かった。

 数回ノックしてみたが返事がない。仕方なくそのまま扉を開けた。

 入ってすぐはキッチンになっていてその奥にリビングが続いている。

「おいっ飲み物持ってきたぞ」

 玄関先で大声を上げると、しばらくした後……あいつが顔を出した。

「あれ? 宇佐美君?」

 俺の目の前まで歩いてきたそいつにトレイを押しつける。

「瑠美子さんから」

 受け取ると嬉しそうに「ありがとう」と笑った。

 その時、いつもより明るい光の下である事に気が付いた。

「お前の目……緑掛かってるな。カラコン?」

 告げた瞬間、ほんの一瞬だけその目が悲しそうに伏せられた気がした。

「生まれつきだよ」

 あいつはそれだけ言って奥に引っ込んでしまった。

「生まれつき?」

 マスターと瑠美子さんはどう見ても生粋の日本人だ。それなのにあの色が生まれつきなのはおかしい。

 その日、俺の中にある疑惑が生まれた。






 それからさらに数日経った早朝。

 いつもの様に繰り広げられた夫婦喧嘩にいい加減うんざりした頃、その標的は俺に取って代わった。

 いきなり……高校生はバイトなんてせず勉学に励めとかごちゃごちゃ言い出した母親が煩わしくて、さっさと家を出た。

 しかしむしゃくしゃした心は静まらず、授業に身が入っていなかったため、あてられた問題に答えることが出来なかった。

 元々教師受けが良くない俺は、ここぞとばかりに沢山の課題を課せられた。

 重い気分はさらに俺にのしかかる。

「はぁ」

 溜め息を吐いたら後ろから名を呼ばれ、はっとして振り返るとあいつが立っていた。

 バイト中だったことを思い出し、慌ててテーブルを拭きにいこうとしたところで話し掛けられる。

「何かあったの?」

 心配そうな瞳にイライラが募った。

「お前には関係ない」

 無視してホールに向かおうとした腕を掴まれる。

「そんな顔で接客するつもり?」

 別にこいつが悪いわけじゃないけど……段々膨れ上がる苛立ちを、制御出来なくて、目の前の奴にぶつけてしまった。

「お前はなんなんだよ? いつもへらへらして本心見せないで。たまには怒ってみせろよ。ムカつく奴なんかざらだろ? 何で怒らない」

 一気に叫んで肩で息をしていると、「今日はおれがホールに出るから宇佐美君は帰って」と俺から布巾を取り上げようとする。

 取られまいとそれをぎゅっと握り、そいつを睨み付けた。

「俺は帰らない」

「宇佐美君、一応おれオーナーの息子だからさ、言う事聞いてくれない?」

 困ったように笑った顔に何かがプツンと音をたてて切れた。

「ホントかよ? お前本当にマスターの子供かよ」

 俺の言葉でそいつは動きをとめた。それでも頭に血が昇った俺は、こいつを傷つけると分かりきっている言葉を止めることが出来なかった。

「お前の目、どう見たって日本人じゃないじゃん。お前本当はマスターや瑠美子さんと血、繋がってないんじゃないか?」

 軽く笑った俺から視線を逸らした。横目で見ると、その目は伏せられ、唇は堅く結ばれたまま微かに震えている。

 言い過ぎたと後悔した時には遅かった。

 布巾から指が離れたと同時にあいつは2階へと走っていった。

「あ……」

 呼び止めようとした言葉は、結局口に出せなかった。

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