第27話「これでおあいこっ!」


 寄せては返す人のさざなみが、ざわざわと鼓膜を揺らす。


 四鷹駅の駅前通りを中心に夏祭りが開催されている。

 俺の目的は、この夏祭りに参加することだ。


 駅の入口で行き交う人々の波間を眺めながら、集合場所に立ち尽くして待ち人の姿を探す。

 しかし姿が見当たらないので、念のためスマホで確認する。


『着いたよ。もういる?』


 メッセージを送ると、数秒で返事が来る。


『ゴメン! もうちょっとで着く!』


『わかった。急がなくていいよ』


 そう気遣うと「ありがとう」の文字が付いたクマのスタンプで返って来た。

 夕方とはいえめちゃくちゃ暑いので早く来てほしいのが本音だが、待ち合わせの時刻にはまだ早いので、急げと言うのは違うだろう。


 なるべく暑さを意識しないように待つこと、三分ほど。


「お待たせ、衛士!」


 カラコロと下駄を鳴らし、白地に青い紫陽花の模様を散りばめた浴衣の銀髪美少女が、手を振りながらこちらに駆け寄って来る。


 もちろん砕華だ。

 普段と違って長い髪を漆塗りの髪留めで後ろにまとめていて、唇はいつもより赤みが少し強い。

 プールの時とはまた違った、艶やかな印象だ。


 砕華は小麦色の肌に弾汗を浮かべながら、片方の手で首元を扇いでいる。

 走って来たのだろう。


「急がなくてよかったのに。浴衣だから走りにくかっただろ?」


「だって、暑いところに待たせたくなかったし。それに……」


「それに?」


「この浴衣、早く衛士に見せたかったし」


 砕華は頬を赤らめ、伏し目がちに言った。

 その仕草に俺は思わず息を呑む。


 今日の砕華は外見の大人っぽさと内面の可愛らしさで完全武装し、最強に見える。

 いや、彼女はいつも最強なのだが、今日は二重の意味で最強だ。


 言葉に詰まっていると、砕華が口をとがらせる。


「それで……さ。なにか言うことないわけ?」


 砕華はぐっと俺に近寄り、今度は上目遣いで見つめてきた。

 分かっている。俺とて、このまましどろもどろでいるだけではない。


「すごく似合ってるよ。いつもより大人っぽい感じ」


「それって、普段は子供っぽいってことー?」


「色っぽくて素敵って意味だよ。髪留めも、砕華によく合ってる」


「ふ~ん……ありがとっ」


 俺の褒め言葉に砕華は満足したのか、上目遣いをやめて指先で前髪をいじる。

 挨拶もほどほどに、目的を果たしに行こう。


「それじゃあ、とりあえず大通りに行けばいいのか?」


「うん! まずはいくつか屋台を巡って、それから花火見る感じ」


「分かった。じゃあ早速――」


「あ、ちょっと衛士!」


「うん?」


 大通りに向かおうとして、すぐ引き止められる。

 何事かと思って振り向けば、砕華がこちらに手を伸ばしていた。


「ほら! 手!」


「え? でも――」


 それは「手を繋げ」という要求だった。

 砕華の要求に俺は戸惑った。


 決して、手を繋ぐことにドギマギしているわけではない。

 プールデートが終わったことで俺達の偽物の恋人関係は解消され、俺達が手を繋ぐ理由がどこにもないからだ。

 もはや恋人の練習をする理由はなく、ましてや慧斗達がいない場所でそういった素振りをする必要もない。


 それでも手を繋ぐべき理由とは、なんだろうか?


 あれでもないこれでもないと考えていると、しびれを切らしたのか、砕華の方から俺の手を握ってきた。

 いつもより強引なので少し驚いたが、繋いだ手と砕華の顔を交互に見やれば、彼女は頬を赤らめて視線を逸らしている。


「アンタが言った通り、今日は浴衣で歩きにくいから。はぐれないように繋いでてよ」


「ああ、なるほど」


 聞けば納得の理由だ。

 大通りを行き交う人の波間を進もうと思ったら、歩幅を合わせても飲まれる可能性が高いだろう。


 ふと、なぜか俺も顔が熱くなってきた。

 恋人関係でもないのに手を繋ぐという状況がそうさせるのか、プールの時よりも幾ばくか気恥ずかしい。


 二人して沈黙していると、ふと砕華の手の力が少し強くなる。

 今一度、砕華の顔を見る。


 今度は真っ直ぐ俺の目を見つめていた。


「ちゃんとエスコート、してよね?」


 そう言ってはにかむ砕華。

 その言葉と仕草に心臓の高鳴りを感じた。


 もう、そんな感情は抱くべきではないというのに。

 もう、迷う余地はないはずなのに。


 ただ俺は砕華の言葉に強く頷いて、彼女の向日葵のような笑顔を享受するしかなかった。






 * * *






「あむっ……んん~、美味しい~! りんご飴って初めて食べたけど、めっちゃ甘いね!」


「俺も初めて知った。食べきれるかな……」


 真っ赤な瑠璃の様なりんご飴を片手に、俺達は屋台が並ぶ大通りを練り歩いていた。

 夏祭りの定番ということで手始めに二人でりんご飴を一つずつ買ったのだが、思いのほか甘いし正しい齧り方もよく分からないしで、とても苦戦している。

 左手に持つりんご飴を回すように眺めるばかりだ。


 右手は、砕華と繋いだままだ。

 砕華の温もりが、彼女の左手を通して俺の体に伝わり続けている。


 そんな砕華は嬉しそうにりんご飴を齧っていて、見ていて飽きない。

 思わずじっと眺めていると、視線に気付いた砕華が少し恥ずかしそうにはにかんで、頬を赤色に染め上げた。

 三つめのりんご飴の出来上がりだ。


 俺の体も火照り始めたのは、きっと夏の暑さのせいだけではない。


「衛士、食べきれそうにない? じゃあアタシが少し食べてあげるよ。あむっ」


「あっ」


 砕華はグッと体を寄せてきて、俺のりんご飴に齧りついた。

 それも、俺が齧ったところを。


 間接キス――なんて指摘をする間もなく、砕華は嬉しそうに俺のりんご飴を咀嚼している。


 突然のことに呆けていると、砕華は自分のりんご飴を掲げて俺の視線から隠れた。


「あんまじろじろ見んなし~。っていうか、さっきからどしたん?」


「あ、いや、美味しそうに食べるなと思って」


「そう? でも確かに、アタシこれ結構好きかも」


 砕華は何事も無かったかのように、自分の分のりんご飴を楽しむ作業に戻る。

 俺は砕華が齧った箇所と、砕華の横顔を交互に見比べた。

 おそらく無意識の行動だったのだろう。ならば俺一人が意識するのも変だ。


 俺はわずかに躊躇しつつ、自分が齧っていた箇所にもう一度かぶりつく。

 瞬間、砂糖飴の甘さと共に胸を締めつけるなにかが、俺の心を満たしていった。


「……やっぱり甘いな」


 口を突いて出た言葉。

 りんご飴と己のどちらに向けられたものなのかは、自分でも分からなかった。


 甘い破片を奥歯で砕いていると、砕華がこちらを覗き込んで来る。


「衛士、今、間接キスしたっしょ?」


「んなっ!?」


 砕華はニヤニヤと口元を歪めている。

 謀られた。

 だが、それを言うなら砕華もだろう。


「さ、先に間接キスしたのは砕華の方だろ!」


「アタシは最初意識してなかったし~! でも衛士は分かっててアタシが齧ったところ食べたんだ? 衛士のむっつりスケベ~」


 ぐうの音も出ない。完全にやられた。

 少なくとも夏祭り中はこのネタでいじられるに違いない。


 思わず天を仰ぐと、砕華がまた体を寄せてくる。


「衛士。もっかい食べさせて」


「え?」


「あむっ」


 そう言って、砕華はなぜかまた俺のりんご飴を齧った。

 食べてくれるのはありがたいのだが、これでは先程と違って砕華も確信犯になってしまう。


「間接キス、しちゃったね……これでおあいこっ!」


 りんご飴をしっかり咀嚼し、そして飲み込んでから、砕華は笑顔でそう言った。


 可愛い。

 とても可愛い。


 あまりの可愛さにじっと見つめていたら、砕華は視線から逃れるように顔を背けた。

 耳まで真っ赤にしているのが分かる。

 余程恥ずかしかったのだろう。


 かく言う俺も、得体の知れない心の高鳴りで沸騰寸前。

 多幸感と後ろめたさの板挟みでどうにかなりそうだ。


 もうこのまま砕華と夏祭りを楽しんで、花火を見て、まっすぐ帰るのもありかもしれない。

 俺の任務などもうどうでもいいと、投げ出すのもありかもしれない。


 そうすればきっと楽になれる。

 どこまでも自由な翼になれる。

 



 ――今さら後戻りなんて考えるなよ、シロ。




 瞬間、諌める様な言葉が脳裏に響き、心根を真っ黒に焼いていく。


 分かっている。

 俺は「俺」のために、成すべき事を果たすために、ここに来たのだから。


「あ! 金魚すくい! アタシやったことないんだ。衛士は?」


「俺もないよ。やってみようか」


「うん!」


 楽しそうに駆ける砕華に引きつられ、俺も駆け出す。

 最後の時が来るまでは、全力でこの時間を楽しむことにしよう。


 そうしたいと考える俺も、間違いなく俺自身なのだから。

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