魔法少女サイケデリア

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学園ハスリン危機一髪! ガンジャガールと一触即発!?

 昼下がり、午後一発目の授業が半ばほど過ぎたころ、彩光さいこう女子学園高校の学び舎に銃声が響き渡った。悲鳴と怒号は一拍遅れ、つづいて主にガンジャガールズが使用する宇治抹茶十うじまっちゃてんに特有の、パタタタタ、という弱い爆竹を思わせる連射音が続いた。

 夢見ゆめみ愛美まなみは二階奥の女子トイレで頭を抱え、カタカタと震えていた。

 教室の扉が蹴り開けられた瞬間、愛美はガンジャガールズの急襲を悟っていた。椅子を蹴飛ばすようにしてしゃがんだのだ。そのまま後ろの扉から逃げようと思っていた。隣の席の雪ちゃんが、不思議そうにこちらを見た。

 やめろ。

 言う暇もなかった。左側の顔面に、花の枯れた蓮に似た黒い穴がブスブスと開き赤く染まって、右側が赤黒く飛び散った。あの匂いが忘れられない。愛美が教室を飛び出すのと、数学の先生が勇敢にもバカデカイ分度器で乱入者に立ち向かうのは、ほとんど同時だった。


「どうしてこんな、どうしてこんな、どうしてこんな……」

 

 同じことを呟きながら、愛美はガチガチと歯を鳴らした。あの匂い。血は鉄錆の匂いがするというが、そんな生易しいものじゃない。体液が混じり合ったあの悪臭はいくら鼻を擦っても消えてくれない。

 

「大丈夫だって、大丈夫だって言ったじゃん……!」


 言われたとおりにやったじゃん! と、愛美はミニスカートの折り目プリーツを握りしめた。また、銃声と悲鳴があがった。愛美は耳をふさぐ。学内にテロリストが飛び込んできて自分が動いてぶっ倒し、みたいな妄想はしたことがある。しかし、現実になると自分が逃げるだけで精一杯だった。


『ガッ、ギーーーーーン!!』

 

 と、スピーカーから耳障りなハウリングがほとばしる。咳払い。少女の声が続いた。


「出てこい、サイケデリア。人の縄張りシマ荒らしてんじゃねぇよ」


 ダウナー系にキマった声。聞き覚えがある。やっぱり。

 愛美は声を震わせた。


「やだよ……死にたくないよ……助けてよ……」


 私は何も悪いことをしていないのに。ちょっとお小遣いになりそうだからと、魔法少女同盟オラクルの認定試験イニシエーション突破クリアするため他に仕方がなくて、同級生にマジカル・リゼルグ酸ジエチルアミドLSDを提供しただけなのに。みんな愛と平和に目覚めてくれたのに。


「どうしてこうなるの……!?」

 

 すべては奴のせい。そう。あの、虹色の猫。


「……呼んだかにゃ?」

「ひっ!?」


 聞こえた猫撫で声に、愛美は息を呑んだ。トイレの個室の、高さ二センチあるかどうかという隙間から、まるで軟体動物のように、奴が流れ込んできた。

 全身を虹色に煌めかせる二対の翼が生えたサイベリアン。愛美の担当使い魔だ。


「あ、アルベルタ……」

「大変なことになってるにゃあ」


 アルベルタはわざとらしく声を丸くし、愛美の膝に飛び乗った。口を僅かに開いて宇宙色の眼で彼女の目を覗き、言う。


「ようやったにゃ。僥倖にゃ。愛美ちゃん、合格にゃ」

「……ご、合格?」


 アルベルタは猫らしく、くぁ、とあくびをするような仕草をした。


「愛美ちゃんがたっくさんマジカル・LSDを売ってくれたから、オラクルが愛美ちゃんを花の子どもフラワー・チルドレンとして認めてくれたにゃ。あとは正式加入の儀式イニシエーションをすませるだけにゃ」

「――認めてくれたんじゃないの!? 私、まだ正式加入してないの!?」

「んにゅ~……ここで死んじゃったら終わりにゃから……」


 申し訳無さそうに言うアルベルタに、


「なにそれ!? 助けてくれるんじゃないの!?」


 愛美は掴みかかった。脇の下に手を入れてうにょりと伸ばし、ガクガクと揺さぶる。時間とともに流れ移り変わるアルベルタの虹色の毛並みが残光の尾を引いた。まるでゲーミング猫だった。

 

「やめるにゃ、シャバぞう


 急に聞こえたドス黒い声に、愛美は揺さぶるのをやめた。

 アルベルタが、ねろり、と舌を回して見せた。


「芋ぉ引いとる場合にゃにゃいにぇんぞ。殺るか殺られるかにゃ」

「で、でも私……」

「大丈夫にゃ! 愛美ちゃんならできるって、わしゃ信じとるけぇ!」

「――え?」

「ウチは信じてるにゃ」


 ぱちくりと瞬きアルベルタは胸元にぶら下がる虹色の巾着袋を肉球で叩いた。


「でも、私、もう、あれは……」

 

 愛美は初めて魔法少女に変身した記憶を思い出し、顔を歪めた。あれは、いけない。売ってるだけならまだしも自分で使うのはヤバい。どうかなる。どうかなるのが分かっているし、もう一度つかえば戻ってこれなくなりそうな気がする。あれなしではいられない。欲しい。目の前にある。でもダメ。使ったら、終わり――。


「嘘だにゃ」


 アルベルタがニヤリと笑った。ような気がした。


「これを使って、魔法少女に変身するにゃ。ばっちばちの上物を仕入れてきたから愛美ちゃんもぶっりぶりやど」

「……い、いくら……?」

「愛美ちゃ~ん」


 アルベルタがニカっと破顔した。


「愛美ちゃんとウチの仲にゃあ。今回は……」

「こ、今回は……?」

「タダにゃ」

「頂きます!」


 アルベルタはさっさとそう歌えよと言わんばかりに後ろ足で首の横をカカカと掻いて巾着袋を開いた。


「わしゃ不器用じゃけ、自分で取ってにゃ」

「失礼します!」

 

 と、愛美は巾着からピンクパールを思わせる質感のピルケースを取り出し、そっと開いた。中には切手より僅かに小さいくらいの、ルーン文字が刻まれた青めいた紙片が収まっている。マジカル・LSDだ。皮膚に触れただけでも吸収されるため素手で触れるのすら躊躇われる。だが、触れたい。あの愛と平和の世界をまたみたい。

 愛美の胸中では欲望が理性をボコボコのボコにしていた。もはや理性は動いていない。

 そこに、アルベルタが誘いかけるように言った。


「ええんやで、二枚いっても」

 

 欲望の振るった拳が理性の脳漿を撒き散らした。愛美の指は流れるようにシートを二枚抜き取り、舌の上に乗せていた。顎を上げ、汚らしいトイレの天井を見据える。


「……マジカルLSD……オーバードーズ!!」


 愛美の瞳に映る世界が、虹色に輝きだした。

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