序章―始まりと終わり

Episode.0 始まりの音

『―――ねえ…聞こえていますか』


ここは――?


『あなたに――お…が――』


あなたは、だれ―――?


『どうか――――』


『どうか、始まりのスコアを――』


始まりの…音――?


『ああ―どうか――』


終焉終わりの風が目覚めてしまう、その前に―――』


―終焉の―――風?


『どうか――紡いで』


―♦――♦――♦――♦――♦―


 世界の中央に位置するアストリスタ魔法帝国。

 広大な国土には優秀な人材が集まり、どこへ行っても詠唱の声や魔法の紡ぐ光が満ち溢れている。

 当然、それらの魔法によって技術者たちが作り出した帝都ルクシュエのテクノロジーは世界の先頭を行く。地理的な話だけではなく、人口の面で見ても技術の面で見ても文字通り「世界の中央」と言える国である。

 帝都にはその属性を問わず様々な人が集まり、妖精や獣人など、世界的に見れば数少ない人外もそれなりに見ることができる。


 いつでも賑やかな帝都の隣街、少しばかり喧騒から遠ざかった場所に学舎を構えるのは、聖リオレンタ魔法学園。

 優秀な魔法使いになるための登竜門であり、約7万もの生徒を抱える、いわゆるマンモス校である。その歴史は長く、古くは周辺諸国の建国に関わった人物もこの学園を卒業した、などという伝説も存在する。

 学舎は広く、大講堂には3000人以上入ることができ、ちょっとしたコンサートホールのような様相を呈している。これだけ多くの生徒を抱えておきながら食堂のメニューは好きなものを選び放題という腹太っぷりも魅力と言えるだろう。


 そんな聖リオレンタでは、【七属性魔法】――火、水、風、光、闇、聖、創からなる7種の魔法をどれだけ扱えるかで地位や成績が決まる。扱える属性が多ければ多いほど、同じ属性でもその中で使える魔法が多いほど、また美しいほど、成績は上位になり、それだけ周囲の生徒から敬われるのだ。


 ――国の未来を担い続ける格式高い学園の中庭、一本の樹の下でうたた寝をしている影がひとつ。


 中等部3年、アイラ・グランティア。創属性以外の魔法を扱うことは出来ないが、どこまでも美しい魔法と有り余る魔力の恩恵でその学年にそぐわぬ大きな影響力を持ち、中等部で唯一生徒会にも所属している生徒である。

 紫色の長い髪の毛は午後の緩やかな風に揺れ、制服の袖や裾から覗く肌は木漏れ日を映して白く透き通っている。制服には芝の欠片がついているが、丁寧に着ているらしく染みやほつれは見受けられない。

 膝の上には母親の形見なのだというぬいぐるみがちょこんと座っている。何度も直した跡のある兎のぬいぐるみは、それだけ大事にされているのだろうことがうかがえる。


「……アイラ、そろそろ起きないと午後の講義に遅れる」


 心地よさそうに寝ていたアイラに、樹の上から声をかける男子生徒がひとり。黒く柔らかい髪の毛と月の光のような金色の瞳を持つ彼は高等部1年のバーナード・レイニア。創属性以外の属性魔法をすべて使いこなす天才であり、アイラの幼馴染である。本人は風属性魔法を得意としているつもりだと言うが、素人目にはどの属性の実力にも大差はないように見える。また、アイラと共に生徒会に所属している生徒でもある。

 余談だが、バーナードの操る魔法はアイラの創属性魔法と相性がよく、ペアで模擬戦を行った場合彼らに勝つ者はそうそう現れないほどの実力を誇ると言われている。


「…ん……うん…おはよ、バーニー」


 バーナードの声に反応して、アイラの瞳が開かれる。宝石のような輝きを持つ髪の毛と同色の瞳は、まだ少し眠たげに細められている。

 伸びをしてぬいぐるみを抱えたアイラを見つめ、身軽な動きで樹から降りてきたバーナードが口を開く。


「アイラ、確か今日の午後は実践授業だろう?急いだほうが良い」


「うん、わかってる…ふあぁ……」


 大きなあくびをしながら立ち上がり、ゆっくりと校舎の方へ歩き出す。そんなアイラの背中を眺めながら、バーナードがふとため息を零す。ひとつ年下のアイラのことを心配している様子だ。


「あんなにぼんやりしていて大丈夫なのか……?」


 と、ここまで呟いたところで授業開始5分前の鐘が鳴る。ぼんやりしているのはアイラだけではないのだ。


「やっべ…俺午後の授業別棟だった……」


 慌てた様子で走り出すバーナードの背を、午後の日差しが優しく照らす。


 魔法に満ち溢れた学園の、とある日の午後。日常の一コマが、今日も紡がれていくのであった。


 ―♦――♦――♦――♦――♦―


「…では、今日は創属性魔法の実践授業となります。グランティア、前へ」


 学園の中庭にて、教師に声をかけられたアイラが生徒たちの前に進み出る。何か適当な魔法を見せるようにと指示をされて頷いた彼女が手のひらを上に向けて目の前に差し出すと、そこに煌めく蒼蝶が現れる。息を呑む生徒たちの前で蝶は手のひらを飛び立ってあちこちに光る鱗粉を振りまく。振りまかれた鱗粉は地面につく前に解けて消え、清らかなそよ風を吹かせた。


「グランティアは、その才を国に認められています。風属性を得意とするレイニアと共に、卒業後【七空】への登用が決まっているほどの実力者ですから、創属性魔法のことでわからないことがあれば彼女を頼ってください。……それでは、ここからは各々で練習を」


 はーい、と間延びした返事があちこちからあがり、すぐに魔法の放つきらびやかな光が辺りを包む。同時にアイラを呼ぶ声が聞こえだし、紫色のシルエットがせわしなく動き回る。


 【七空】――それは、国内で最も高位の魔法使いに与えられる称号である。基本七属性のそれぞれに1人ずつ存在し、魔法研究の第一陣を担うとともに多大なる影響力と発言力を持つ。

 火属性の【アスケラ】

水属性の【サダルメリク】

風属性の【ベラトリクス】

光属性の【キタルファ】

闇属性の【サダクビア】

聖属性の【ハッサーレ】

そして創属性の【アルフィルク】

これらから構成され、選ばれた者は各々の担当する属性の魔法をより高めていくことを求められる。

 そんな高位の存在は、現代の七空が次代を指名することで、帝国の長い歴史と共に受け継がれている。アイラとバーナードはそれぞれ、創属性と風属性の次代として指名されているのだ。


 さて、話を授業に戻そう。


「グランティア、少しいいかな」


 アイラが3人目の生徒から呼ばれ、その魔法のおかしな部分を指摘し、直した頃。人当たりのいい笑みを浮かべた教師が中庭にやってきてアイラに声をかける。


「…はい?」


 怪訝そうな顔をしたアイラが教師の元へ駆け寄れば、教師は声を潜めてアイラに話しかけた。


「放課後、メイシャ様がグランティアと話をしたいと…」


 メイシャ様。学園生なら誰しもがその名前を聞いたことのある人物である。その本名はメイシャ・「リオレンタ」。学園の理事長の娘であり、アイラやバーナードより上の学年……高等部3年に所属している。次代の七空、その水属性の担当に指名されている存在でもある。

 

「メイシャ…様……が…?」


 そんな彼女に呼ばれるとなると、大抵の人間は「自分が何かやらかしたのではないか」と考えるだろう。アイラのこの反応も納得である。


「って……あの…私、メイシャ様の前で着られるようなドレス持ってない………です…」


「ああ、それなら制服で構わないと」


 「制服でメイシャ様の前に出る」――生徒のほとんどが抱える夢である。普通であれば正装でなければ目の前に立つことさえ認められない彼女の前に制服で出ることを認められるということは「あなたは私と同等かそれ以上の存在」と認められるのと同義なのだ。


「せ……制服で………って……嘘でしょ…」


 普通の生徒なら両手をあげて喜ぶところだが、アイラは無邪気に喜びを表明するには少しばかりシャイすぎた。驚きと緊張のあまりヘナヘナと座り込んでしまい、その日の残りの授業はアイラがまともに参加できないまま進められることとなったのだった。


 ―♦――♦――♦――♦――♦―


 ――そして、放課後。

 メイシャの待つ部屋の前で、アイラが何度も深呼吸を繰り返していた。


「ふぅ……はぁ……大丈夫、制服でいいって言ってくださったんだから大丈夫……ちょっとくらいヘマしたってきっと許してくれる……」


 何度目かの深呼吸の後、小さなその手を伸ばしたアイラは満を持して目の前のドアをノックした。

 コンコンと軽い音が響き、すぐに清らかな女声で「どうぞ」と帰ってくる。それを聞き、扉の両脇に立っていた騎士が扉を開ける。ゆっくり開かれていく扉の先に広がっていたのは、真紅の調度が揃えられた広い部屋だった。


「……お…お呼びにあずかり光栄です、メイシャ様…中等部3年、アイラ・グランティア……です……」


 いかにも高級そうなソファにゆったりと座る、水色のドレスに身を包んだ女性。それこそがメイシャ・リオレンタであった。

 緊張でぎこちないアイラにふわりと優雅に微笑んだ彼女は、自らの目の前にあるソファを指し示して口を開く。


「ようこそ、アイラさん。どうぞ、そこのソファにでもおかけになって」


「し……失礼します………」


 その言葉を受けたアイラが、恐る恐ると言った様子でソファの端にちょこんと腰をかける。

 メイシャはそれを眺めてクスクスと笑い、横のローテーブルに置かれている紅茶のカップを手に取った。


「ねえ、アイラさん」


「っは……はいっ…」


「学業は順調かしら?」


紅茶を一口飲んだ後、メイシャがその唇に乗せたのはそんな他愛ない問いだった。


「え…っと……まあまあ…です…」


「そう、それは良かったわ」


端的な会話だが、その中にもアイラはメイシャの気遣いを感じた。きっと緊張をほぐそうとしてくれているのだろう、そう思いながら、次々と紡がれていくメイシャからの質問に答えていく。和やかな時間は、そのまましばらく続いた。


「……それで、本題なのだけれど」


 アイラの緊張がほぐれ「もしかしたら私と雑談をするために呼んでくださったのかもしれない」と、なんとも楽観的な考えがその頭をよぎった頃。カップをテーブルに戻したメイシャがおもむろに口を開く。


「アイラさんって……確か、かなりの魔力を持っていたわよね?」


「……え?…えっと……まあ、その……それなりに、は…」


 メイシャの気遣いから自らのもとに運ばれてきた紅茶を飲みながら首を傾げ、ボソリと答えれば、メイシャの顔に広がったのは満面の笑みであった。


「じゃあ、〈〉を1人で紡げるっていう噂は本当なの!?」


「――――――え…?」


 唐突に投げかけられたその問いは、アイラから言葉を失わせるのに十分な力を持っていた。アメジストの瞳に驚愕と隠しきれない焦りが浮かぶのを、メイシャはただ笑みを浮かべて見守っていた――。

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