SOL28

 ヒナをNASAに返す日はすぐにやってきた。

 迫りくるタイムリミットに怯えながらも、俺はなるべくこれまで通りに過ごすよう心がけた。これが最後の日、なんて顔に出さないようにして。

 ヒナは食べもしない朝食の食卓に顔を出しては、祖父母を笑わせた。それから日課になりつつあるお風呂――通常メンテ。今日だけは特別と、いつもより念入りに洗ってやった。

 2人でいつものコースで近所を散歩し、祖母に頼まれた買い出しにも行く。ついでに駅前の花屋を覗き、ヒナが「香りはわからないけど目で楽しめるから」と笑うので、ひまわりを一輪買って帰った。せっかくだからと、母さんの遺品のサンプルチューブに活けた。

 こんなどこにでもあるような日常のカケラを集めては、ヒナは始終満足そうにしていた。俺の日常にいつのまにかヒナが加わって、またいつのまにか居なくなるのか。彼女と過ごしたなんでもない日々は、なにもなかったからこそ大切。こういうのは失ってから大切さに気づくんだろう。

「行くんだね?」

「――うん。行くよ」

 俺たちの関係は、明日ぷつりと途切れてしまう。なんか不思議な感じ。そもそも俺たちは普通の意味で出会ってない。首の短い先祖からどうして首長のキリンが生まれたか分からないみたいに、いずれ俺たちがどうしてつながっていないかなんて、誰も気にしなくなってしまうんだろう。だから、今日はいつもどおり過ごし、別れればいい。

 またいつか会える日が来るよ――。

 自分に言い聞かせながら、ぎゅっとアンドロイドを抱きよせる。

「あたし、会いに来るよ。少しだけ、待ってて」

 俺は約束だよと繰り返すばかりで、ろくに彼女に返事もしてあげられなかった。「いつか」はすぐにやってくると強く信じようとしても、永遠に再会できないような気がしてしまう。彼女は声を詰まらせ、涙を流さずに泣いていた。俺は涙をぬぐってやることもできず、唇をかみしめた。


 黒石が再び家に来た。網野も一緒だ。

「約束の日だ。覚悟はきまったか?」

 彼は俺の返事なんて興味はないとばかりに、部屋に入るなり一方的に話を始めた。

「君にも取り調べが待ってる。サイバー攻撃および火星での事故の重要参考人としてな」

「は? 俺?」

 どういうことだ? 全然、意味がわからない。

「いいか。認定ホワイトハッカーなら、私情を挟まずに聞け」

 黒石の真剣な表情に、俺は思わず姿勢を正した。

「NASAの監察総監室は、君の母親の関与を疑っている」

 何を言い出すかと思ったら。

「かっ、母さんはそんなことするような人じゃありません!」

 俺は真意も掴みきれぬまま、噛み付いた。

「もちろん動機は不明だ。しかし誰かに頼まれて、ということもある」

「あり得ません! 大体、母さんの何を知ってるっていうんですか!?」

 俺は自分の口から出た言葉に驚いてしまった。だって、落ち着いて考えてみれば、俺だって母さんが火星で何をしていたのかなんてよく知らなかったのだから。

「ソラくん。落ち着いて。らしくないわよ」

 制止する網野の手を、振り払った。

「網野さん! だって……」

「いいから! 彼は別に敵ってわけじゃないのよ!」

 どこかこの男は信用できない。けれど、その理由はイマイチはっきりしない。口の悪さも不気味な風貌も正直、嫌いなタイプではある。でも別にそれで信用できるかどうか判断しているわけじゃなかった。俺はわざとらしく頬を膨らませ、話の続きに耳を傾けた。

「敵、味方。攻撃者、ホワイト――。正直どうでもいい。人間はバグの塊。信じられるのはログデータだけだ。いいか、よく聞け。火星基地はインターネットには直接は繋がっていない。タイムラグがあるからな」

「それは分かります」

「地球から直接に攻撃できない火星のアンドロイドへの不正アクセスが先で、その後、地球−火星間通信ネットワークへの侵入という順だった。これが、どういう意味か分かるな?」

 それなら答えは1つだ。

「最初の攻撃は、火星で行われたんだ」

「……それは、そうでしょうね」

 俺があまりにも無反応なのを見て、黒石は「まぁ少年もう少し聞け」とと諭すように俺の肩をポンポンと叩いた。

物理フィジカルのログ――つまり業務日誌も調査済みだ。実際の行動データを計画と比較した。調査隊5人のうち、正規の行動とのパターン合致率が最も悪かったのは誰だと思う?」

「えっ?」

「君のお母さんだよ。異常値だ。これが何を意味するか――。私も、彼女の犯行とまでは断定しない。しかし、計画にない行動をとった。何か我々の知らないことを知り、我々の知らない行動をとった蓋然性がいぜんせいは極めて高い」

 母が犯罪に手を染めるはずはない。異常値? しかも〈火星の石〉を人質にして?

 ありえない。馬鹿げている――。俺は奥歯をぎりぎりと噛み締めた。

「話は以上だ。アンドロイドを搬出する」

「ちょっと待って下さい」

「君の調査については、追って連絡する」

「いや、そうじゃなくて!」

 黒石は呆れた顔で肩をすくめ、ヒナのほうをちらっと見た。

「電源は君の手で落とすか?」

「……いやです」

「君、自分が何を言ってるか分かってるのか?」

 ヒナと、約束したんだ。

 夏が終わるまでに、なくしものを探そうって。居場所を探そうって。

 根っこを探そうって――。

「ヒナには――こいつには、まだもう少しだけ居場所(アンドロイド)が必要なんです!」

 俺は今にも取っ組みかかろうかという勢いで、黒石を睨みつけた。

「こいつ、根は明るくて、いたずらも好きで、じっとしてられない猫みたいなやつなんですけど、でも、まだ、物理フィジカルは向こう側で引きこもっていて……。ほら、前に来たとき、あなたも言ってたでしょう。アンドロイドは『橋』だって」

「だから?」

「渡ってる途中なんです。だから、いま外されたら、彼女はたぶん一生こっちに来られなくなる。もう少しだけ、夏の間だけでいいです。この機体ボデイをここに置いてちゃダメですか!?」

 探しもの。せっかく見つかりかけてたのに――。

「ダメだ」

 首を横に振る黒石。

「火星の石を取り戻すのにセキュア・チップが必要だ。わかるだろう?」

「わかりません! 彼女にだって機体ボディが必要です!」

「子供みたいなこと言うな!」

「子供なんです!」

 分かってる。俺だって分かってるよ。

 論理なんてすでにどっか行っている。

「あのな、俺にはどうすることもできん! 人類の宝がかかってる」

「人類? 宝? 彼女はどうなる!? 俺にとって、彼女はずっと探してた宝物なんだよ! アンタには、心ってものがないのか!」

「――それも人生だ」

 気がついたときには俺は黒石の胸ぐらをつかんでいた。でも次の瞬間、妙な胸騒ぎとともに、とても嫌な感じがしたせいで力を緩めてしまった。がくんと床に崩れる黒石。

 彼は顔色ひとつ変えず襟を直し、落ち着きはらった様子で音もなく立ち上がった。

「その『橋』のせいで物理フィジカル世界が危険に晒されている。だから塞ぐ。それだけだ」

 俺を見下ろすようにして、黒石が冷たい口調で呟く。

「君ならわかるだろう。アンドロイドはサイバー攻撃を物理フィジカル空間に具現化するアクチュエーターだ。サイバー世界を危険に晒すだけじゃない。サイバー世界のマルウェアが、物理フィジカル世界で人を殺せるんだぞ!」

 男の言葉が、部屋で小さくこだました。ヒナが柔らかい表情で俺に声をかけてきた。

「ソラ、もういいよ。ありがとう。もうこの身体でやりたことは全部やったからさ」

「ヒナ……」

「火星の石か少女か。残念ながら、君にも私にも選ぶ権限はない」

 相変わらず感じ悪い黒石。

「……うぅ。クソッ」

「しかし私も鬼じゃない。最後にもう一度だけ聞く――電源は君の手で落とすか?」

「――――――――――――――――――――はい……」

 俺ががっくりと肩をおとすと、ヒナが明るい声を振り絞ってくれた。

「ソラ、電源ボタンの場所、分かるでしょ? さぁ、ひと思いに押しちゃえぃ!」

「ヒナ…………」

「それであたしたちの夏はおしまい。楽しかったね」

 俺は静かにヒナの背後にまわりこみ、胸元の電源ボタンを長押しした。

「また会お

 彼女は静かに目を閉じた。

 機体ボディが緩衝材とともにあっという間に木箱に収められると、外で待機していた作業員が黒石の合図で運び出した。葬儀みたいに玄関先で見送る。頬を伝う涙が、棺桶のような木箱にいくつもこぼれ落ちた。

「ああ。ヒナ。ああああああ」

 黒い業務用車が角を曲がるまでずっと睨んだ。恨めしい。雨が降ってきて、丸くなった俺の背中を濡らした。網野が優しくさすってくれた。

「ソラくん。風邪引くよ。中入ろう」

 ヒナとの連絡用にと手渡されたタブレットはフリーズし、画面にはヒナのアバター画像が遺影のように残っていた。

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