SOL2

 俺は担任に呼び出されていた進路指導室には結局顔を出さず、そのまま教室に向かった。

 いつものように幼馴染の三石みついし希海のぞみが「おっはよう」と声をかけてくる。

「おう、ミッチー、おはよう」

 俺がいつものあだ名で呼ぶと、やっぱり彼女は少し恥ずかしそう頬を赤らめた。小学校の頃からの呼び名だから、今さら変えられず。

「おはよ。ソラ、今朝は早いね。どした?」

「そうか?」

「ああー、また呼び出し?」

「――まあね。でも、行ってない」

 彼女がいい加減な人間が嫌いなのはよく知ってる。昔から何にでも白黒つけたがりで、でもそのさばけた性格はどうも女子から絶大な人気があるらしい。で、後輩にもたいそう慕われているらしい。生物部の部長もしている。

「得意げに言わないでよ。ちゃんと行きなさい」

 そう言って彼女がビシッと俺の鼻先を指差すと、後ろでトレードマークの二つ結びがぶんぶんと元気よく跳ねた。こんなふうに、いつも姉ちゃんみたいに俺のことを気にかけてくれてて頼りになるときもあるんだけど、俺の母親が亡くなったのを知ってからは、ちょっとエスカレート気味。

「はいはい」

 なんてつぶやきながら窓際の席につき、青い空を眺めた。

「……いいよ。どうせ決まってるんだ。言われること。それに――」

「あ……」

「うん」

「――相変わらずなの?」

 手をぐーぱーと動かして見つめると、横からノゾミが心配そうに覗き込んできた。俺はおもむろにリュックから白いタブレットを取り出して彼女に突き出した。

「わり。これ、返すよ」

「やっぱ、だめだった?」

「……ごめん」

「ふむ。〈パウリ病〉って案外深刻なのね」

 俺は個々ぞとばかり申し訳無さそうにして、上目遣いで彼女の顔を見つめた。タブレットを受け取った彼女は

「まいいよ。またリクに頼んで直してもらうし」

 なんて明るく笑ってくれた。

 俺は触れた電子機器を故障させてしまうやっかいな病気を患っていた。実験が不得意で機材をよく壊すことで有名な天才物理学者パウリに因み〈パウリ病〉とも呼ばれる現代病の一種。原因は不明。身近な家族を亡くした心理的ショックではないかと医者には言われている。

「あーあ。大学どうしよっかなぁ。今どきパソコンが触れないんじゃどこも行くとこなんて無いよなぁ。ハハッ」

 そう自分に言い聞かせるように、わざと乾いた笑い声を上げてみた。

「そういえばさ、ソラぁ。ちょっと聞いてよ。昨日返された地理の答案さぁ」

「えっ?」

「サービス問題とか言って『世界で一番高い山は?』ってのあったでしょ?」

「うん。それがどうかした?」

「バツにされた。すごいハラタツっ」

 ノゾミは制服の半袖ブラウスをさらにたくし上げ、腕組みしてぷんすかと頬をふくらませた。そうやって少し黙っていれば可愛いのに――なんて口が裂けても言えない。

「ハハハ。ってか、おまえ何て書いたの?」

「オリンポス山」

 ノゾミは「とーぜんでしょ」とドヤ顔で笑った。彼女は、クラスで浮いていると言うほどではないが「少し変わったコ」と見られていた。それでも、俺らの通う工業高校では、女子は多くないので、ノゾミは何かとチヤホヤされていた。まぁ、いわゆる〈姫〉ってやつだな。

「火星の、でしょ?」

「もち! 標高2万5千メートル。エベレストの3倍はあるよ?」

 確かにオリンポス山は太陽系最大の火山だけどな。

「ハハハ。んで、バツだったの?」

「うん」

「ははは。だろうな」

「なんで? っていうかさ『地理』はさぁ、別に地球のことだけじゃないのにさ。何なの地理ムッチー! 世界せまっ!」

 地理ムッチーとは、2人いる武藤先生のうち社会科の男性教師を指す。点の付け方が厳しいので「無糖」などと揶揄されたりもしている。ちなみに、もうひとりは「理科ムッチー」で、うちのクラスの担任の若い女性教師である。最近結婚して佐藤姓となり、点の付け方も甘めである。

「よし、決めた。わたし、直接抗議してくる」

「おいおい」

「止めないで。何事も、ナマが大事なの。こういうことは、特にねっ」

「ちょっ、ミッチー、言い方!」

 とりあえず落ち着けと窓を開ける。すぐに夏らしい湿った空気が入ってきて、彼女の前髪がゆれた。

「あ――ごめん、ソラ」

「ん?」

 何のことかよくわからず、目をじっと見つめると彼女は背筋をぴんとしてから頬を盛大に赤らめた。何? ひょっとして俺、嫌われてる?

「あ、あの、火星の、話……」

「え? あぁ。――大丈夫。気にすんなって」

 2年前――2031年。史上初の有人探査のため、世界中から選ばれた6人の宇宙飛行士が火星に送られた。地質学者だった母さんは、その1人として火星の土を踏んだ。

「うーん、ほんとうー? だって、さぁ……」

 予定された16ヶ月の滞在期間の半分が過ぎた頃に事故が発生。母は還らぬ人となった。詳細は今も不明。俺はともかく、じいちゃんやばあちゃんにも当局から何も明かされてはいない。

 伏し目がちにしていたノゾミは、今度はぐっと俺の顔を覗き込んできた。まるで珍しい動物でも観察するみたいに、じろじろと。

「ほら、なんとなく、こうなる覚悟は、ずっと昔にしていたからさ」

「ふーん。まぁ、ソラがそう言うんなら……」

 すぐそばまでを顔を近づけて匂いをかぐように俺の真意を確認しようとするノゾミ。

「ありがとな、心配してくれて」

 夏風になびく俺の前髪を少し見てから、彼女はとても恥ずかしそうに窓の外に目を移した。

「秘密を知ってそうな人に、会わせてあげようか?」

「あン?」

「知りたいでしょう? どうして、亡くなった理由?」

 俺が何も答えずにいると、はぁ、と小さなため息をつき、彼女は1枚のチラシをつきだした。

「夏休みのインターン。一緒に来る、よね?」

「は?」

 相変わらず経緯とか説明とか全然なしにいきなり本題に切り込んできやがる。しかも、こうやってこいつが唐突に思いついたように言ってくるときは大抵、外堀は全て埋まっている。抵抗しても無駄。

「ふーん。泊まりがけ? 今から申し込めるの?」

 ふっかけてみるも、彼女は1ミリも動じない。

「リクも誘ってあるからさ。いいでしょ?」

 なんて言ってはぐらかしながら、最後はお決まりのセリフ。

「何事も、ナマで経験するのが一番! じゃあ、きまりっ。ねっ」

 やれやれ。俺が口角を緩めると、彼女は姉ちゃんにでもなったみたいに満足そうにうんうん頷いた。

「まぁ確かに、夏休みは予定を立てるときが一番楽しいんだよな」

 彼女が小学生みたいに歯を見せて笑うと、俺たちの間をもう一度、夏の風が抜けた。

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