第35話

 女性の言い放った言葉の真意が俺にはよくわからない。

 だけど、刺青男には何かが伝わったようだった。


「何だ、アンタの所の所属か。んだよ、それならそうと早く言ってくれよな」

「正確にはこれからスカウト予定ね。でも大金の出処は理解できたでしょ?」

「まぁな。……っつーワケだから兄ちゃん。さっきの話は俺の勘違いだから気にすんな。脅かして悪かったな」


 刺青男は態度を一変させて、親しげな笑みを向けてきた。

 先ほど見せた造り物の笑顔とは異なり、ちゃんとした友人に向けるような表情だ。

 ひとまず俺の稼ぎは非合法ビジネスじゃないと理解してくれたようだ。

 俺は心の中でホッと息をついた。


「は、はぁ……」


 とはいえ、いまいち状況が掴めていない事に変わりはない。

 そんなわけで未だに緊張の抜けない返事しか返せなかった。


「えっと、どういう状況ですか?」


 とりあえず俺は黒髪の女性に説明を求めた。

 よくわからないが俺に用事があるみたいだし、説明も彼女が適任だろうと思った。


「なら場所を変えてもいいかしら? こんな所で話す内容でも無いから」


 黒髪の女性は優しげに微笑みながら俺に移動を提案してきた。


「……」


 ぶっちゃけて言えば、彼女が信用できるかは少し怪しい。

 その素性も不明な上に刺青男とも知り合いなのだから、むしろ疑わない方が不自然だ。


「……まぁ、わかりました」


 それでも俺は了承することにした。

 少なくとも、この場に留まるよりかはマシに思えたからである。



「そうだ、兄ちゃん。これ持ってけよ」


 女性の後ろに付いてエレベーターに乗り込もうとした際、刺青男が俺に何かを差し出した。


「名刺……?」


 渡されたのは一枚の名刺だった。

 印刷されたロゴから察するに、バーの名刺っぽい。

 裏面を見てみると、そこには荒川竜二という名前が書かれていた。

 恐らくだけど、刺青男の名前だろう。なんか名前と顔が合ってるし。


現実リアルで困った事があれば電話してきな。大抵の事は助けてやれるからよ」


 俺が怪訝な顔をしていると、刺青の男──荒川は補足するように言った。

 その言葉を聞いて俺はますます訳がわからなくなった。

 どうして俺の事を助けてくれるのか。その理由がまるでわからない。

 

「へ? あぁ、えーっと……」


 返答に困った俺は、助け舟を求めて女性の顔を見る。

 だが、俺の意図が上手く伝わらなかったのか、彼女から返ってきたのは茶目っ気混じりのウインクだけだった。


「じゃ、何かあれば連絡します」


 仕方なく俺は、無難な返事を荒川に返してから手にした名刺を懐に仕舞い込んだ。



 ◇



 よくわからないまま、よくわからない事に巻き込まれてんな、俺。

 動き出したエレベーターの中でそんな事を思う。


「あまり深く考えなくていいのよ。彼は貴方に恩を売りたいだけだから」

「その理由がわからなくて困ってるんすけどね……」

「ふふ、それも含めて後で説明するから安心して?」

「は、はぁ……」


 そう言ってまたしても微笑む女性。

 何だか笑顔で誤魔化されている気もしたが、この場で話すつもりが相手に無いなら抗議する意味はない。なので俺はこれ以上の質問を諦めた。


「あ、それと別に敬語じゃなくていいのよ? 私と貴方って同い年くらいだろうし、気楽に行きましょ?」

「そうですか……いや、そうか。それじゃ遠慮なくタメ口でいかせてもらうからな」

「ふふ、全然構わないわ。私も貴方と仲良くしたいと思ってるから」



 ◇



 雑居ビルを出た後、俺は外に待機していた高級車に乗せられた。

 そのまま車で連れて来られたのは、とあるオフィスビルだった。

 促されるままにエレベーターに乗り、上層階へと向かう。


 しばらくすると目的地と思しきフロアでエレベーターは停止した。

 ドアが開かれると、何やら見覚えのあるロゴマークが目の前に現れた。


(黒い花のマーク……どっかで見たな……)


 はて、どこだったっけ。

 記憶力には自信があるが、脳の大半をウルちん語録が専有してるからな。

 興味の無い事に対する記憶はさっぱりだ。


「さ、着いたわよ。こっちにいらっしゃい」


 思い出せそうで思い出せないまま、俺は促されるままに奥に進んでいく。

 そしてオフィスの入り口と思しき場所まで来たところで、女性が俺の前に立った。


「それじゃ改めて──ようこそ、〝ブラックリリィ〟へ」

「ブラックリリィ……? まさか、ブラックリリィなのか⁉」


 その名前を聞いた途端、俺は驚きを隠せなかった。

 ブラックリリィと言えば、ゲーマーを中心に人気ストリーマーやインフルエンサーを多く抱える有名なタレント事務所だ。


「えぇ、そうよ。ブラックリリィよ。ふふ、驚いたかしら?」

「ウルちんがどうしても入りたくて毎回オーディションを応募してたっていう、ブラックリリィ、だよな⁉」

「……んんー?」

 

 さて、芸能活動とは一切無縁のこの俺が、なぜその存在を知っているのか。

 もはや言うまでもないが、あえて言おう。それは、過去にウルちんが配信内でブラックリリィの話題に触れた事があったからに他ならない。

 逆に言えば、ウルちんから得た以外の情報は知らない。興味が無いからな。


「そのウルちんって子はよく知らないけど……。と、とにかくよ! あのブラックリリィよ⁉」

「うん? それはたった今聞いたぞ? ブラックリリィだよな? ウルちんの32回目の配信の1時間22分32秒で話してた、ブラックリリィだろ?」

「……??」


 俺が答えると、なぜか女性は宇宙人と遭遇したかのような顔をした。

 確かにいまいち会話が噛み合ってない気がしなくもない。

 が、しかし、そんな顔をしたいのはむしろ俺の方だ。

 なんでウルちんってワードで伝わらねーんだよ。世の中どうかしてるぜ。

 

「何だか期待してた反応と違うわね……まぁいいわ。こほんっ、改めて自己紹介するわね。私は所属タレント兼社長の黒木くろき百合子ゆりこよ」


 女性は自らの名を黒木百合子と名乗った後、その手を俺に向けて差し出した。


「ようこそ、ブラックリリィへ──我が事務所ウチは貴方を歓迎するわ。よろしくね? 忍田圭太……いえ、くん?」

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