第三十四話・海上での戦闘

 日が落ちて辺りが暗くなった頃、休憩を取ることになった。と言っても、漁船を動かせるのはアリだけだ。他の三人が交代で仮眠をとる。


 前回の小型自動車運搬船と違い、操舵室以外の部屋はない。その操舵室も二人が立って入るのがギリギリだ。幸い甲板デッキはそこそこ広いので、腰を下ろして休むことが出来る。

 三ノ瀬みのせ江之木えのきがサッサと寝に行ったので、さとるは一人で船縁に肘をついて夜の海を眺めていた。吹き付ける潮風が体温を奪っていく。肌寒さに身体を震わせていたら、頭の上から何かを掛けられた。


「ほい毛布」

「……ども」


 アリが差し出してきた毛布を受け取り、軽く頭を下げる。

 なんだかんだで彼には世話になっている。船という移動手段がなければ連れ去られた二人を探しに行くことすらままならなかった。話せば苛立つし気は合わないが、アリが居て助かっているのは紛れも無い事実。


「船に積みっぱなしだったヤツだからカビくさーい! でもま、風邪引くよりはいいよねー」


 ケラケラ笑いながら三ノ瀬達にも毛布を渡しに行くアリを見て、さとるは少しだけ気が楽になった。


「なあ、寒いし操舵室に入れてよ」

「いーけど、座るとこないよー?」

「船を運転してるとこ見てみたい」

「どーぞどーぞ」


 狭い操舵室に二人で入り、扉を閉める。風が遮断されるだけで随分と体感温度が違う。

 運転席の椅子に浅く腰掛け、操舵輪ハンドルを握るアリの横に立ち、さとるは興味深そうに前面の操作パネルを眺めた。何に使うか分からない小さな計器類やスイッチが幾つもある。


「坊主も操縦してみるー?」

「いや、いい。てか坊主てなんだよ」

「坊主は坊主じゃん」


 夜間、しかも障害物のない沖合での航行。時折操舵輪を回し、スロットルレバーを動かすくらいであまり変化はない。十数分もしないうちに、さとるは背面の壁に背を凭れさせてうとうとし始めた。


 出航してからどれくらい経っただろうか。まだ真っ暗な時間帯にアリが肩を叩いて寝ている者を起こして回った。


「巡視艇に見つかった。三ノ瀬サンと坊主は隠れて」

「えっ、なんで?」

「いーから、早く」


 甲板中央にある四角い蓋を開け、そこに二人を押し込む。本来はとして使われていた部分だが、現在は海水は入っておらず、多少窮屈ではあるが身を隠すことが出来る。三ノ瀬とさとるを隠したのは、漁船に女性と子どもが乗っていたら不自然だからだ。

 二人が生け簀に入ったのを確認してから蓋を閉め直し、アリはマスクを付け、作業着のファスナーを一番上まで上げて刺青を隠した。江之木には古い防水着を羽織らせ、漁師を装う。

 そうこうしている間に強力なライトの光が夜の闇を切り裂くように照らし、漁船の姿を捉えた。ひと回り大きな船が徐々に距離を詰めてくる。


「変ね、この船はチェックしないように通達が行ってるはずなのに」


 蓋を閉められた生け簀の中で身を寄せ合って息をひそめる。互いの顔も見えない状態で三ノ瀬が不安そうに呟いた。


「連絡し忘れたとか?」

葵久地きくちさんはそんなミスしないもん。おっかしいな〜、現場に通達が行ってないなんてことないと思うんだけど」


 一番最初の任務に行く際も、怪しい小型自動車運搬船が登代葦とよあしの工業港から無人島に着くまで日本の巡視船には捕まらなかった。その代わり、敵側の船には何度か見つかった。


「……ねぇ三ノ瀬さん。アリの話がホントなら、今この船に近付いてる巡視艇って日本側の人達じゃないかも」

「どういうこと?」

「『見逃せ』って連絡のあった船を狙って捕まえに来た、とか。邪魔者を排除するって意味で」

「もしそうなら、那加谷なかや市に行けなくなっちゃうわ!」


 さとると三ノ瀬が狭い内でひそひそ話している間に漁船に巡視艇が横付けされた。接近したことで波が起き、船体がぐらりと揺れる。思わず声を上げそうになるが、二人はすんでのところで堪えた。

 中古の漁船の速度では巡視艇から逃げることは出来ない。逆らわずに停船指示に従う。


「こんばんは、これから港にお帰りですか」

「いえ、漁に出掛けるところです」


 向こうの船の乗組員が直接声を掛けてきたので、アリが応えた。いつもの胡散臭い口調ではなく流暢な言葉遣いだ。


が起きたばかりなので巡回を強化してるんですよ。申し訳ないけど、少し船内を改めさせてもらっていいですか」

「ああ、そうなんですね。どうぞ」


 乗組員の言い分はごく当たり前のことだ。不安定な情勢下で、担当水域内を航行する船を警戒するのは正当な行為と言える。

 本物の海上保安庁の巡視艇だったら、の話だ。


「おいあんちゃん、アイツらヤる気だぞ」

「黙って通してくれたら良かったのにねー」


 江之木に耳打ちされ、アリが目を細めた。

 声を掛けてきた乗組員以外の二人が長いかぎ付き棒を船縁に引っ掛け、無理やり漁船を巡視艇に固定しようとしている。大人しく停船指示に従っているにも関わらず、船体に傷を付けるような荒っぽいやり方をするのは明らかにおかしい。こちらの船に乗り移って制圧するつもりなのだろう。


「江之木サン、これ貸して」


 アリは江之木の腰に付けたホルスターから警棒を抜き取り、真っ直ぐ巡視艇へと駆け出した。そのまま船縁を蹴って飛び移り、一番近くにいた乗組員の首を狙って蹴り倒す。鉤付き棒を持った二人が慌てて身構え反撃してきたが、警棒を伸ばして鳩尾みぞおちを突いて沈黙させた。

 素早い動きに江之木は手を出す隙もなく、ただただ感心するばかりだった。


「強いなァ兄ちゃん」

「どーもどーも」


 漁船に戻ろうとした時、巡視艇の船室の陰からもう一人の乗組員が発砲してきた。威嚇射撃のつもりか、銃弾は命中せずにアリのすぐ脇を掠めていった。


「おー怖いこわーい」


 笑いながら両手を挙げ、アリは降参のポーズを取り、わざと大きな音を立てて持っていた警棒を甲板デッキに投げた。

 先ほどの身のこなしを目撃したからか、乗組員はアリから一度も視線を外すことなく、じりじりと距離を詰めてくる。このまま銃で脅して捕縛したいのだろう。


 しかし、そうはならなかった。


 アリが注意が集めている隙にさとるがひっそりと巡視艇に乗り移り、乗組員の背後から襲い掛かった。手にはナイフが握られている。

 背後から羽交い締めにされ、首元に抜き身の刃を突き付けられ、乗組員は息を飲んだ。驚いた拍子に再び発砲してしまったが、狙いは逸れ、銃弾は夜の暗い海に吸い込まれていった。


「坊主のクセにやるねー」

「うるさい」


 全員甲板に集めて縛り上げ、所持していた武器を取り上げる。拳銃と小銃ライフルが数丁。ついでに船室から物資も頂戴して巡視艇から引き上げる。

 生け簀から這い出てきた三ノ瀬が戦利品の銃に目を輝かせた。

 島からシェルターに戻った時に銃火器を全て返却している。国内での移動には不要だからということで、今回は武器を支給されていなかった。持ち出せたのは帳簿に載っていない『敵から奪ったナイフ』と『右江田うえだの私物の特殊警棒』のみ。


「これ、追い剥ぎみたいじゃない〜?」

「いーのいーの。船も乗組員もニセモノだから」

「そうなのか?」

「制服も船体も似せてるだけよー。正規の装備品じゃないからね、その銃」

「……確かにどこのメーカーの銃か分かんないのが混ざってるわ。じゃあ貰っても怒られない?」

「大丈夫だいじょーぶ」


 その言葉に安堵しつつ、三ノ瀬はさとるのほうをチラリと見た。

 あの状況で迷わず動いた度胸に感心すると同時に、少し怖くもあった。怪我は負わせなかったが、躊躇ためらうことなく人にナイフを突き付けた。正常に戻り掛けていた彼の感覚が再び狂い始めているような気がした。

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