プロローグ(2)裸の魔女と死にぞこないの彼

 傍らの防壁が消えて外の空気が一気に流れ込む。開けた視界に見える夜の荒野は銃座から見えていたものと変わりなく、けれど小隊長の上半身が消えうせたことでそこから何かが入り込んだのだと理解できた。


「昼月、逃げろっ!」


 そこまで考えたところで不意に宮崎が僕を突き飛ばす。彼には何か見えたのか咄嗟の勘か、次の瞬間に宮崎の姿が消え失せたことでその疑問は永遠に解けなくなった…………ただ彼が突き飛ばさなかったら代わりに僕が消えていたであろう事実だけがその場には残った。


「う、うああっ!」


 突き飛ばされて尻もちをついたままライフルを構えて小隊長と宮崎の消えた空間へと乱射する。防壁と二人を消した何かがいると仮定するならばそれはまだそこにいるはずだった。


 撃ち続けている間に僕が消える事が無かったのだからきっとそれは正しかったのだろう。その僅かな猶予に必至で思考を巡らせる。


 全ては見えざる獣が実在すると考えれば辻褄つじつまが合う。


 そもそも公式には実在するとされた存在なのだ、それを長い年月が荒唐無稽こうとうむけいな存在だと思わせてしまったから今の状況が起こっているのだろう。僕らの小隊はそれでも任務そのものはしっかりと果していたつもりだが、気の緩みは間違いなくあったし、それが他の小隊では見えざる獣の接近を許すミスに繋がったのかもしれない。


「う、うう」


 しかしそんなこと今は関係ない。重要なのは僕が何をすべきかだ。恐怖をこらえながら手早く弾の切れたマガジンを交換して再び弾丸をばら撒く…………しかしそれに効果があるのか自分が狙われていないだけなのかも分からない。相手が見えず感じられないのでは対処の方法を考える事すらできなかった。


 漠然ばくぜんとしながらも方向だけはわかるセンサーを元に反応が消えるまで隙間の無い弾幕を敷き続ける…………それが見えざる獣に対して出来る最善だったことが今ならよくわかる。だがそれも崩れてしまった今できる最善は第二防壁まで下がって再び弾幕を敷く事だろう。


 けれど、それには大きな問題がある。


 周囲を見回すと他の小隊もようやく事態の異常さに気づいて撤退行動を始めていた。僕と同じ発想に至ったのか気がおかしくなっただけか、何もない空間にライフルを討ち続けている隊員もいた…………何かに喰われたように消失する隊員も。


「ち、くしょう」


 極限状況に分泌された脳内麻薬で思考が加速する…………そうして出た結論は最悪で顔をしかめるしかなかった。第一から第二防壁まで退避するための連絡通路はあるがこの状況ではそんな悠長に通路を渡っていられない。恐らくは非常扉を使って防壁の間の平地を渡って逃げようとする隊員が多いだろう。


 だがそれは完全なる悪手だ。第二防壁の隊員もこちらの異常には気づいているだろうが感じている状況の危険度は違う。ほぼ間違いなく第二防壁に詰めている隊員たちは撤退する隊員たちが逃げ切るまで射撃を抑えるだろう…………けれどそれでは間違いなく見えざる獣が第二防壁にまで到達してしまう。下手をすれば第二防壁も崩壊だ。


 そして同じことが大防壁でも起こればその先は何も知らない都民たちの暮らす都市部で起きる。


「死にたく、ない」


 当然だが僕は死にたくて防衛隊に入ったわけではない。危険が織り込み済みの仕事で甘ったれた話だが死ぬ目に遭うようなことなどないとこれまで思っていた。けれど目の前で小隊長も宮崎も消えてこの場では多くの隊員がその命を失っている…………そして、これからの僕の選択次第ではより多くの命が消えることになる。


「ああもう、嫌だな…………」


 嘆きながらも覚悟を決めて僕は立ち上がる。ライフルを乱射したまま駆け始め、落ちていた誰かのライフルを左手で拾って更に走る…………目指すはぽっかりと消えた防壁の向こうの荒野。


 それは単純な話だった。このまま隊員たちが撤退しては手遅れになるのならその時間を稼げばいいだけなのだ。問題はそれを誰がするかだけど…………状況を正しく理解できている僕がやるしかないのだろう。


 もしかしたら他にも僕と同じ考えに至った隊員はいるかもしれない。


 だけど、そんな確証も無い期待に大勢の人たちの命を懸けるわけにはいかないのだ。


                ◇


「うあああああああああああああああああああああああああ!」


 気が付けば僕は叫んでいた。叫ぶ以外にこの恐怖を抑える方法が浮かばない。一秒後には消えてしまうかもしれない恐怖に委縮せず前に進む方法が他にない。


 他の隊員たちには気を違えたと思われたかもしれないがむしろそれでよかった。囮となった自分を助けようと行動されたら余計な被害を生むだけ…………気を違えたと思ってくれれば躊躇わず見捨ててくれるだろう。


「ぁああああああああああああああああああああ!」


 足が止まる。これくらいでいいと判断したのか恐怖に負けて足が竦んだのか自分でもわからない。ただ止まった以上はやるべきことは決まっている。両手に持ったライフルを腰だめにその引き金を引いてその場を回るだけだ。それなら見えざる獣がどこから迫って来てもその銃弾が止めてくれる…………弾薬が続く限りは。


 問題は、どこまで僕の気力が続くかだ。周囲は相変わらず何もない夜の荒野だけが続いていて、傍から見れば僕は無人の荒野で銃を乱射して回り続ける頭のおかしな道化だ…………本当にそこに人を消し去る見えない化け物がいるのかと疑いたくなってくる感情を、必死で小隊長と宮崎が消えた時のことを思い出して抑え込む。


「はあっ、はあっ」


 呼吸が荒いのを感じる。それと同時に両手のライフルの反動が消えて背筋が凍り付く。即座に左手のライフルを放り捨てて腰からマガジンを取り、右手のライフルのマガジンを交換。すぐさま引き金を引く。


「!?」


 だが弾が出ない。見やればライフルの半ばから先が消失していた。一瞬の逡巡。今しがた放り捨てたライフルに飛びつくか腰からサイドアームの拳銃を引き抜くか…………確実性を取って後者を選択。引き抜いた拳銃の引き金を目の前に向けて引く。


「がっ!?」


 不意に何かに殴られたような衝撃が胸に走って僕は後方に吹っ飛んだ。背中を打ち付けた衝撃で肺から空気が押し出されて体が酸素を求める。立ち上がることも忘れて必死で息を吸い込み、のたうち回りたい痛みを堪えて何が起こったのかを思考する。

 

 今の衝撃は見えざる獣によるものなのか?

 そうだとすればなぜ皆のように消されるのではなく衝撃を受けたのか?

 手痛い一撃を受けて腹が立った?

 その憂さを晴らすために僕をすぐに殺すのではなく痛ぶろうとしている?

 

 わからない、わからないが…………もしかしたら見えざる獣とはそれほど大した存在ではないのかもしれないという考えが浮かぶ。


 見えないし、特殊な銃弾でもなければこちらから干渉することも出来ない。だけどもしも見ることが出来て干渉が出来るのなら容易く対処できる…………その程度の存在なのかもしれないと頭に浮かぶ。


「見えさえ、すれば…………」


 見えない、たったそれだけの要素が人類をここまで追い詰めた。恐らく見る事さえできればこの状況だって抜け出す方法はある…………見えさえすればと僕は願う。何もない荒野を睨みつけるように、その虚空にいるはずの存在を凝視ぎょうしする。


「見えさえ…………すれば」


 左手で胸を抑えて右手の拳銃を持ち上げる。起き上がるべきだと思うが足に力が入らなかった。先程の衝撃で肺を痛めたのか満足に呼吸もままならず意識が朦朧としてくる。このまま意識を失った方が楽だろうかとすら思う…………だけど。


「っ」


 歯を食いしばって必死で意識を繋ぎ止め、見えないものが見えろとばかりに虚空をただ睨み続ける。見えさえすれば拳銃の弾丸を叩き込んでこの場を切り抜けるチャンスを…………。


「え…………?」


 不意に視界が狭まる。目の前で甲殻質の何がかその大口を開いて僕を覗き込んでいる。反射的に右手の拳銃をその顔と思わしき部分に撃ち込んだ…………その巨体が斜めに崩れて倒れていく。


「や、やった?」


 小さな車ほどもありそうな巨大な虫のような何か。それが倒れる様に思わず僕は呟き…………そこでようやく自分の置かれている状況に気付いた。


「あ」


 僕を取り囲む大量のそれ。正確な数はわからないが拳銃に僅かに残る弾丸でしのぎ切れるような数ではないのは確かだった。サイドアームはあくまで非常用でマガジンの予備はない。


「…………」


 希望が見えたその瞬間に突き落とされることほど絶望的な事は無かった。見えさえすればと希望にすがった結果がこれだ…………だが、それでもと歯を食いしばる。最後の最後のその瞬間までは足掻いてやると拳銃を構える。


「ぐっ!?」


 それを見越していたように虫の一匹がその脚で拳銃を蹴り飛ばす…………それだけに留まらず僕の額も蹴り上げられて後頭部に衝撃が走った。急に視界に広がった月夜のなかで意識がぐらりと揺れていく。このまま意識を失って、あの虫共に喰われるのだろうかと思い浮かぶが、これ以上意識を繋ぎ止められそうにもなかった。


「よく頑張ったの」


 どこかからそんな声が聞こえた気がする。


「後はわたくしに任せるの」


 その声には僕を心の底から安堵させてくれるような安心感があった。ふっと糸が切れたように僕の身体から力が抜けて視界が暗転していく。


 最後に、月夜を舞う誰かと目が合った…………月明りに照らされて妖艶ようえんに微笑む少女のその顔に思わず見惚みとれる。


 死にゆく自分を迎えに来た天使だろうか、そう考えたところで僕の意識は途切れた。

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