第19話 クリスマスが。

 12月25日。

 気づけば学校は冬休みに入り、特に目立ったこともなくクリスマスを迎える。

 いつき個人としては何もないのだが、母の片頼かたらいはるか片頼かたらい荘司そうじは毎年クリスマスデートをしている。昼に出掛けて、夕食前には帰ってくる程度のものだが。

 普段は物静かな荘司が遥を誘う。毎年恒例なので遥も誘われることはわかっているはずなのだが、毎年そわそわと誘われるのを待っている。

 見ていてこっちが恥ずかしくなるが、夫婦円満の理由がそこに詰まっているように思えた。


「毎年この時期になると、私にもそろそろ弟か妹が出来るんじゃないかって思うんだよね」

「やめろ」


 栗色のショートヘアをした片頼かたらい木花こはながソファに深く腰をかけて、アイスを舐めながら、達観したように天井を眺めて呟いた。

 もし家族が増えるとしたら、それはつまりそういうことなのだろう。

 中学3年生と高校1年生ならばわかっているが、連想させるような言い方はやめて欲しかった。

 樹はリビングの掃き出し窓から外を眺める。

 昨日は終日、雪が降り続け、リビングから覗く庭は、膝下まで届く程の雪に埋もれていた。

 今日は昨日に比べて雪は落ち着いている。

 雪が降る擬音語として『しんしん』という言葉が使われるが、それはどの程度の降雪でも使われるのだろうか。

 そんなことを考える樹からしたら、今日の天気を『しんしん』とすれば、昨日の天気は『しんしんしん、しんしんしん』とでも言うべきか。大分落ち着いた雪模様であった。


「兄貴、暇なの?」


 くだらないことを考えているのが見透かされたのか、木花が語りかけてくる。

 木花も暇なのだろう。ただの暇潰しとして声を掛けて見ただけで、聞いてきおきながらテーブルの上のリモコンを取ってテレビをつけた。


「その質問、そっくりそのまま返すが」

「バリア」

「おい」


 木花はアイスを咥えて、ソファに両足の踵を乗せて膝を立てた体育座りの格好で、両手で親指を立てて防御の姿勢を取る。

 小学生の鬼ごっこの禁術の1つ『バリア』を使用した。

 吊り目で落ち着いた雰囲気のある木花だが、わりと子供っぽいところがある。


「まあ、別に私は予定入れるつもりはなかったし」

「俺もだよ。なんで聞いてきたんだ」

「兄貴も彼女とデートかと思ったから」

「いや、彼女とかいな──兄貴『も』?」


 木花の言葉に疑問を抱くと、ため息が1つ聞こえてきた。


「みんな最後の年だからって浮かれちゃってさあ」

「……ハブられたのか」


 木花は黙ってアイスを口に咥えて、露骨にテレビと視線を逸らす。

 恐らく3年生で卒業を控えているから、最後に当たって砕けろの精神で告白したら、意外と成功したパターンなのだろう。

 樹の時にも何人か見かけたことはあるが、あまり成功率は良くなかったはずだ。


「で、お前は1人と」

「私は断ったの。めんどくさいし」

「あー、まあお前らしいな」


 逆に言えば、木花が1人ということは、木花を誘った男子も1人ということになる。

 しょうがないことだが、同じ男として少しその男子に同情しそうになって、再び窓の外へ目を逸らした。

 雪はまだ少し降っている。

 木花は退屈を持て余していて、テレビから聞こえる笑い声だけが虚しく響いた。

 その時、突然スマホの通知音が鳴った。


「ん?」


 樹はスマホ取り出して確認する。

 そこには風莉かざりからチャットが送られてきていた。


『今から遊びに行ってもいいですか?』


 そんな簡潔な文章が送られてきていた。


「は?」


 とりあえず、樹はよく考えずに『いいよ』と返事を返す。

 すると、その直後に家のインターホンが鳴り響いた。


「は!?」


 そんな馬鹿なと思いつつも、樹が玄関に向かい扉を空けると、そこにはやはりというべきか、織咲おりさき風莉かざりが立っていた。

 腰まで伸びる白い髪と陶器のような白い肌は、周囲の人の噂では、正しく雪のようだと表現されていたが、実際に冬の景色を背にすると、この銀世界に負けないほどの美しさを感じる。

 厚いコートに身を包んで、首には冬休み前に夏帆かほから貰ったマフラーを巻き、隠れた右頬に火傷の痕が僅かに覗いていた。

 赤い瞳が樹を見つめる。冬休みに入ってからは1度も会っていなので、なんだか久しぶりな感じがしてくる。


「おはようございます。樹さん」


 風莉は透き通った声で挨拶をすると、軽く頭を下げた。


「来るのが早すぎるだろ」

「すみません。ここに来てから連絡しました」

「それはわかるけど……ダメって言ったらどうするつもりだったんだ」

「それは……気づかれないように帰ります」


 風莉はいつも通り平然とした顔をしているが、最後の言葉だけは少し寂しそうに聞こえた。

 そこで風莉が左手に白い箱のような物を持っていることに気づいた。


「それは?」

海凪みなぎさんの所でケーキを買ってきました」

「えっ、それはわざわざ……ありがとうな」

「いえ、私も寄ったら食べたくなっただけなので」

「とりあえず寒いから上がってくれ」

「ありがとうございます。お邪魔します」


 流石に雪が降るほどの寒い中で会話を続けられない。

 まずは家の中に入ってもらうことにして、風莉は玄関を潜ろうとする。


「風莉、待った」

「なんでしょ──」


 風莉が立ち止まって樹の顔を見ようとした所で、樹の手が風莉の頭の上に乗る。

 そのままそっと優しく撫でるように、風莉の頭の上に乗った雪を払う。


「よく気にならないな……よし、いいぞ」


 素早く払い終えると、再び家の中に入るように促す。


「……ありがとうございます」


 風莉は少し俯きがちに中に入る。

 マフラーに隠れて僅かに見えた耳が赤くなってる辺り、やはり、元々雪の降らない所の出身の風莉には、こっちの寒さは厳しかったのだろう。

 樹はそう思ってリビングに案内した。


「…………どちら様?」


 ソファで体育座りした木花が、風莉を見て首を傾げる。


「初めまして、樹さんのクラスメイ──友達の織咲風莉です」

「あ、ご丁寧に……片頼木花、です」


 深々と頭を下げる風莉に気圧されながら、木花はテレビを消す。

 食べ終わったアイスの棒を咥えながら、上目遣いで様子を伺うように頭を下げた。


「風莉、コートはそこに掛けておいてくれ」

「わかりました」

「あと、それは1回預かろう」

「……1人で食べないで下さいね」

「しないから安心しろ」


 風莉はケーキの入った箱を樹に渡すと、着ていたコートを脱いでマフラーと一緒にハンガーに掛ける。

 その裏で、樹と木花の間では無言の掛け合いが行われていた。

 木花は樹をジト目で見ながら天井を指差す。


『私、部屋に戻ったほうがいい?』


 樹はそのハンドサインを理解すると、首を振った後に、空いてた右手を広げるような素振りをして見せる。


『別に気にするな、好きにしてくれ』


 風莉と2人っきりになるのが嫌なわけではないが、2人っきりにさせられるのも嫌ではない。

 ただ、ここで木花を1人にするのは、裏切るような気がして落ち着かなかった。

 それでも強く『ここに居ろ』と指示しないのは、木花本人が居心地の悪さを感じるなら、自分の部屋に戻ってもいい。という意志の表れだった。

 片頼家にはそんなハンドサインが常日頃から行われている……わけがあるはずもなく。

 突発的なやり取りだったが、木花には樹の考えが十分に伝わっていた。


(……何を考えている?)


 木花はアイスの棒を咥えたまま、顎に軽く握った拳を当てて風莉の背中を見る。

 目立った容姿だから、まじまじと見てしまうのも無理はないだろう。

 だが、それとは別に、樹には木花が何か企んでいるように見えた。

 くちん。という可愛らしいくしゃみが聞こえてきたのはその時だった。


「……すみません」


 風莉は少し恥ずかしそうに口元を手で抑えていた。


「大丈夫か?」

「はい」


 樹は風莉の方を見て心配すると、その格好に違和感を覚えた。

 足首の上ほどの丈のスカートを履いて、この前送られてきた写真のものとは異なった、女の子らしい服装をしていた。

 いつもの私服は男の子っぽい服装だったが、今日は亜麻色のニットに白のスカートを履いている。

 写真を送られてきた時は落ち着かなかったが、最近は制服の風莉の方が見る機会は多かったので、そこまでギャップを感じてはいない。


「そういえば珍しい格好だな」

「そうですね。ズボンだと裾が雪で汚れると言われましたので」

「誰に?」

「母です」

「そうか……」


 何か別の意図が含まれてる気がするが、深くは気にしないでおこう。

 風莉は何やら頭を気にしていて、先程まで雪が積もっていたところを触っている。


「タオル持ってくるか。雪は払ったけど濡れてるだろ」

「いえ、お構いなく」

「ここにあるよ兄貴」


 そう言って木花はソファの端に畳んで置かれたタオルを渡してくる。

 乾燥機から取り出したばかりの洗濯物がそこには置かれていた。

 風莉が来ることを事前にわかっていれば片付けていたのだが。


「あと、暖まるまでこれも着たらいいですよ」

「ありがとうございます。木花さん」

「ん?」


 そう言って、木花は畳んであった服を取り出して風莉に渡す。


「その大きさなら上から着れるんじゃないですかね」

「確かにそうですね」


 風莉は頭をタオルで軽く拭いて、木花から服を受け取る。

 自分の家の物だから当たり前だが、樹はその服にやけに見覚えがあった。

 特に深い意味のない英字が羅列された黒いプルパーカー。

 それは樹の服だった。


「おい、それ俺のなんだが」

「そうなんですか?」


 確認する頃には既に風莉は着ていた。

 一応、パーカーは樹が部屋着として着ているもので、余裕を持って着れるように、サイズは少し大きめのものになっている。

 結果、風莉の手はほとんど袖の部分に呑まれて、細く白い指先が僅かに見える程度になっている。


「あったかいです」

「まあ、いいけどさ……」


 口元に手を持っていき、丸まるような素振りを見せる。

 悪戯っぽく笑っているようで、なんだか少し恥ずかしい。

 ふと木花の方をみると、またしても天井を指差していた。


『私、部屋に戻った方が──』


 樹は顔を横に振って、今度は強く『ここにいろ』のサインを出す。

 木花はそんな樹を手首切り返して、手の甲を見せる形で立てる指を替えた。


『このへたれ!』


 鋭い眼光がそう言ってるかのように見えて、樹は怯んでしまう。


「とりあえず私はこれ片付けてくるから、お客様の前で出しておくのも失礼でしょ」


 木花は脇に置いてあった洗濯物を抱えながら、ため息をついて立ち上がる。

 

「私は気にしませんよ」

「それでもうちが気にするんで……兄貴のも部屋に投げとくよ」

「いや、それは自分で持っていく」

「いいから。1人にさせるのも失礼でしょ」

「それは、確かに……」


 そう言って木花はリビングから立ち去ると、すぐに階段を登る足音が聞こえた。

 

「仲が良いんですね」

「どうだろうな。というか、急に来たな」

「迷惑でしたか?」

「いや、それはないけど」


 何故来たのかが気になるが、直接聞いたら邪険に扱うみたいで控えておいた。

 ひとまずソファに座るように促す。


「まあ、驚きはした」

「今日は予定がないと言っていましたので」

「あー……確かにクリスマスは予定ないとは言ってたけど」

「だから大丈夫だろうと思ってきましたけど……遥さんはいないんですね」

「ああ、父さんとデー……出掛けてるよ」


 デートと言うのはなんだか恥ずかしくて誤魔化した。

 親がイチャイチャしてるのを他人に報告したくはなかった。


「そうですか、ケーキは皆さんの分買ってあるので」

「えっ、そんなに買ってきたのか」


 テーブルの上に風莉から預かった箱を置いて、中を確認すると、そこにはケーキが5つ入っていた。樹と遥と荘司と木花の分、それと風莉の分で5つ。


「流石に悪いだろ」 

「クリスマスプレゼントみたいなものですよ。私が食べたかっただけでもあります」

「そうか? でもな……」


 流石に家族全員分用意されて、ただ『ありがとう』と言って受け取るだけなのも気が引ける。

 何かお返しできる物はないかと、風莉に気づかれないようにリビングの中を見渡す。

 それでも風莉はその視線に気づいたのか、1つ提案をする。


「樹さん。もしよかったらこれを頂けませんか?」

「『これ』?」

「はい、このパーカーです」


 風莉はパーカーの襟を持ち上げて強調させる。


「え、それ欲しいのか?」

「はい」

「いや、ならもっといいのが……それ大分使い古したやつだからクタクタだぞ。フードの所の紐もとれて失くしたし」

「じゃあこれがいいです」

「えぇ……?」


 風莉はパーカーに目を落とす。

 元々メンズファッションを好むからか、気に入ってしまったのかもしれない。

 ならば樹には断る理由もなかった。


「じゃあそれが俺からのクリスマスプレゼント……って言ってみたり」

「はい。ありがとうございます」


 刹那、風莉が笑ったように見えて少しドキリとした。

 だが、次の瞬間にはさらに襟を持ち上げて、顔を中に入れて、口は完全に服の中に埋まった。


「おい、何してる?」

「これはもう私のです」 

「いや、まあそうだけど……」


 とはいえ、人から貰ったもので、それも目の前で、躊躇いなく顔を埋めるような真似は、中々出来ないと樹は思う。

 そんな風莉を見て、以前よりも遠慮がなくなったようにも感じていた。

 まさか自分から欲しいと言ってくるとは思わなかった。


「樹さん」

「ん?」


 風莉の表情はいつ通り、これといった変化は見えないが、少し口元が緩んでるように見えた。

 そして、赤い瞳が真っ直ぐに樹を見上げる。


「メリークリスマス」


 正面から、顔を見られながら言われるとなんだか照れてしまう。

 そもそも知ってはいるが、まじまじと言ったことのない言葉の1つであり、それを正面から言うのはなんだか抵抗があった。

 だからどうしても、恥じらいが込み上げるが、それでも、樹も目を合わせて言う。


「ああ、メリークリスマス」


 その時、風莉の笑う声が聞こえたような気がした。

 樹は倒れるようにソファに座って手で顔を覆った。

 装飾もなにも施されていない。何か音楽が流れてあるわけでもない。豪勢な食事があるわけでもない。

 それでも樹は今年のクリスマスは今までで1番悪くないと思えた。

 絶対に口にはださないが……。


 そんな2人の様子をリビングのドアの隙間から覗いて片頼木花は静かに呟く。


「あれで付き合ってないわけがなくない?」


 木花はもう自分の部屋に戻ったほうがいいではないかと思っていた。

 兄の恥ずかしがる姿を見ているのが、妹として恥ずかしかったのだ……。

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