第16話 真っ白な景色に誘われて

 窓を開けると、辺りには斑な白が広がっていた。

 一夜にして訪れた、一目みてわかる冬の景色。

 降り続ける白は空に舞うだけなら精霊のようだが、それが地を覆えば、簡単に人の命を奪う悪魔へと変貌する。

 毎年毎年、刹那の高揚は湧き上がるものの、すぐに落胆へと切り替わる。

 12月を目前にして、いつきの街にも今年最初の雪が降った。

 憎らしいほどの寒さについたため息が白くなって、早朝の薄い青に溶けていく。

 日が登って、少しずつ外が明るくなってくる頃には、雪は落ち着いていた。

 樹が登校する頃には、既に雪はやんで、晴れ間が見えていた。

 僅かに積もった雪を踏めばキシキシと音を立てる。

 まるでまだ序章に過ぎないと、そう言わんばかりの冬の訪れに、いつもよりも10分だけ早く家を出ることにした。


「おはようございます。樹さん」

「おはよう。今日は早いな」


 教室に入ると、既に風莉かざりが椅子に座っていた。

 昨日までは朝が辛そうで、いつもよりも遅い時間に登校していのに、今日は余裕があるように見える。

 昨日はうつらうつらとしていた瞼が開き、背筋を伸ばして赤い瞳が真っ直ぐに樹を捉えている。


「なんというか、元気そうだな」

「雪がこんなに降るのは初めて見たので」

「やっぱりそうか」


 樹が思った通り、風莉は雪を見てテンションが上がっているらしい。

 風莉が元々住んでいた場所では雪が降らない、もしくは、降っても積もらない程度だったのだろう。


「ん? でも4月から通ってるならその前からこっちには居たんだろ?」


 風莉は入学式のときには既に目立っていた。

 春からいたならば、こっちで雪を見るのも初めてではないはずだが。

 雪が降るのはともかく、少しは雪が積もっていてもおかしくはない。


「こちらに来たばかりの頃は、なんというか……余裕がありませんでしたから」

「あー、覚悟決めてたんだっけ?」


 中学校時代の出来事から、人と関わるのを避けることを決めたのだが、風莉は人と関わるのが好きな人間だ。かなりの葛藤があったように思える。

 しかし……


「それもあるんですが……」


 どうやらそれだけではない様子で、風莉は顎に手を当てて俯くと、何か考える間を置いてから樹の顔を見た。


「元々こっちに来たのには理由があるんです」

「理由?」

「はい」


 風莉は真剣な顔で樹の目を見る。

 只事ではないようで、樹は少し気圧される。


(というかなんで俺の席に座っているんだ……)


 教室に入って自分の席に向かったら、そこには風莉が陣取っていた。

 ツッコミを入れたかったが、話してるうちに、もう言えない雰囲気が出来上がってるようで、とりあえず話を聞くことにした。


「私のこの容姿は私は気にしてないんですけど、母は近隣の人々の言葉に参ってしまって……」


 風莉は火傷痕のある右頬に触れて語る。

 身構えた通り、重い話の立ち上がりに、樹は心臓が縮むような息苦しさを覚える。


「まあ、それも周りの大人たちが私の日本人離れした見た目とかこの傷とかを見て、あることないこと噂して、それに母が責任を感じてしまったからで……というか、そういう親側がそんな風に私を煙たがるせいで、私と仲いい同級生たちが、余計に優しく接しようとしてきてしまって──」

「風莉、落ち着け」

「あっ、すみません」


 途中から風莉自身の『かわいそうがられる』ことへの怨嗟に変わっていたのを止めると、風莉は1つ息を吐いた。


「だから私は決めたんです」


 息を吸って、樹の顔を真っ直ぐに見つめる。


「こっちの高校を受験して、母に私と共に実家で暮らすことを強要させるのを」

「お前の行動力すごすぎるなホント」

「父も協力してくれて、向こうの仕事を辞めて今はこっちで働いてます」

「父親譲りか」


 そんな簡単に転職はできるものなのかと、高校生の樹からは想像がしづらくて、風莉の父親に彼女の行動力の起源ルーツを垣間見た気がする。

 風莉の母親の件は触れづらいように思えるが、それでも他人が気にすることではない。

 更にこの娘と父がいればまず心配はいらないだろう。と、樹は改めて織咲風莉という人物を尊敬してしまう。


「母ももう大丈夫そうなので、結果は大成功と言っても過言ではないですね」

「それは良かった」

「私と個人としても樹さんに出会えたのでこっちに来てよかったです」

「は……」


 ハッピーエンドの話に内心ホッとしていたら、突然そんなことを言われる。

 いつもの勢いで『は?』と言おうとしたが、意表を突かれたせいか、声がうまくでなかった。


「いや、俺は関係ないだろ」


 風莉ほどの行動力とコミュ力があれば、きっと誰とでも打ち解けるだろう。

 別に片頼かたらいいつきが特別な訳ではない。

 樹自身もそう想っているのだが。


「関係ありますよ」 


 赤い瞳は樹を逃さないように真っ直ぐに見つめ、心なしか少し語気も強くなっている気がした。


「……風莉?」


 なんだかいつもと様子が違う気がした。

 だが、そんな違和感も刹那のもので、風莉はいつも通りのフラットな顔つきに戻っている。


「それに樹さんの話をすると、母は楽しそうに聞いてくれるので」

「そう、なのか?」

「はい」


──まさか自分のことを話しているとは。

 樹は少し驚きはしたが、風莉の性格を考えれば、親に学校のことを聞かれれば正直に答えるだろう。特に親と仲がいいなら尚更。

 ならば、最近よくいる樹のことは、既に風莉の家族には知れ渡っている可能性が大きい。

 樹はなんだか恥ずかしくなり、首筋を流れる冷や汗を隠すように手で抑えて、ばつが悪そうに風莉から目を逸らした。


「私に声を掛けてくれた時のことも、樹さんの家に行ったときのことも、勉強を教えてくれた時のことも、誕生日の時のことも、全部楽しそうに聞いてくれました」

「それは……風莉が楽しそうに話すからじゃないのか」

「樹さんとの思い出はどれも楽しかったですから」

「なんか面と向かって言われると恥ずいんだが」


 迷いなく言い切る風莉の顔を直視できなかった。


「樹さんは、楽しくありませんでしたか?」

「え、俺?」

「はい。私と一緒にいて楽しくありませんでしたか?」

「いや、そんなことっ……」


 何故、言葉に詰まってしまうのか。

 何もやましい気持ちなどないはずだ。

 だから、『楽しい』とでも言えばいいのに、何故だか正直な言葉が出てこない。


「俺も……悪くない、な……とは思うよ」


 歯切れ悪く呟いた。

 顔が熱くて、1秒1秒が長く感じる。

 

「首、痛いんですか?」

「……別になんでもない」


 左手で首の右側を抑えるように、腕を回していたことを問われる。

 顔が無性に熱くて、それを隠すようにしていた。

 隠していることはバレたくなかったのだが、流石にそんな体勢でいつまでもいれば疑問に思われるだろう。


「では、樹さんにも楽しんで貰えるように私も頑張ります」

「え? いや、楽しくないわけではないから、変に気を使わなくていい──っていうか頑張るって何をだ」

「とりあえず今日は樹さんの分のお弁当も作ってきましたので」

「なん──いや、それは……ありがとう?」


 まるで最初から企んでいたかのような用意の良さに『なんで?』と、言おうとしたが、元々気まぐれで弁当を作ることは宣言されていたので、今日作ってきたのは偶然なのだろう。


「雪を見たらテンションが上がってしまって、勢いに任せて2つ作りました」

「抑えられない力の捌け口かよ……」

「先に渡しておきますね」


 そう言って風莉は樹の机の上に、布で包まれた弁当箱を置いた。

 

「母がよろしくと言っていました」

「そ、そうか……」


 それはどういう意味での『よろしく』なのか、樹の思考はより深い沼へと陥る。

 予想はできたことだが、風莉の母は彼女が男子に弁当を作っていることを把握しているらしい。


(俺の家族みたいに、変な勘違いをしていなければいいけど……)


 樹は風莉に弁当を作って貰ったことは、家族には言っていない。

 その時は、弁当箱を洗って返そうかと思ったが、風莉に回収されたのもあって、確認出来るような物的証拠は持ち帰らなかった。


「そういえば、久屋くやさんがまだ来ないですね」

「あー……あいつは自転車だから」

 

 話題が変わったことに、何故だが安堵しつつ、樹は風莉の顔を見て話す。


「多分ギリギリになるだろうな。雪が降るといつもこんな感じだ」

「でも樹さんは今日は少しだけ早い気がします」

「んー……なんでだろうなあ」


 再び樹は目を逸らした。

 既に自分でも気づいていた。

 雪が降ったということは、誕生日にあげたあの手袋を使ってくれているかもしれない。

 それが不安だったのだ。

 別に使ってくれなくても……何を使おうが人の勝手なのに、そんなことを気にしているのが女々しく思えて落ち着かなかった。

 それに気づいたのか、気づかないのか。

 風莉の頬が緩んで、優しい声で樹に語りかける。


「手袋。ありがとうございました」


 見透かされたようで、樹の肩がびくりと跳ねた。

 軽く咳払いをして落ち着かせる。

 

「そ、そうか……気に入ってくれたなら良かったよ」

「はい。でも、だいぶビチャビチャになりましたが」

「どんだけテンション上がってたんだよ……」


 風莉は立ち上がると、樹に席を譲る。


「そろそろ戻りますね」

「ああ」


 入れ替わるように樹は自分の机の上にバックを置く。


「樹さん」

「ん?」


 声を掛けられ、振り返ると風莉は背筋を伸ばしてこちらを向いていた。


「これからもよろしくお願いします」


 真っ直ぐ赤い瞳が見つめてくる。


「急にかしこまってどうした」

「なんだか言いたくなりました」

「そうか、まあよろしく」

「はい」 


 樹が茶化すように、ジト目で苦笑いしながら言う。

 風莉は首を傾けて、自分でも何故そんなことを言いたくなったのか、わからないという風に首を傾げながら言った。

 ただ、その顔には僅かに笑みが見えた。

 振り返って自分の席に戻っていく風莉を見送ると、樹は席に座る。 


「……教室の暖房効きすぎじゃないか?」


 机に肘をつき異常なまでに熱い顔を抑えてそんなことを呟いた。

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