第9話 風というか嵐

「おはようございますいつきさん」


 休み明け、学校に着いて教室に入ると、風莉かざりが声をかけてきた。


「おはよう風莉」


 樹もまるでいつもそうしてたかのように、風莉に挨拶を返すと、少し教室がざわついたのを肌で感じた。

 2人が、というよりかは織咲おりさき風莉かざりが、人前でクラスメイトとこうして会話するのは、入学してから今までなかったことだ。

 皆が気になるのも無理はない。


「おはよう樹、織咲さん」


 そこに光善みつよしも加わる。

 2人はそれぞれ、樹が来るタイミングを待ってたのか、樹が自分の机にバッグを置くところで集まって来た。

 樹の席は教室の真ん中の列の1番後ろにある。

 そのため、3人が集まるところは視線を集めやすく、教室にいる生徒たちはチラチラと様子を伺っている。


「2人とも昨日は楽しかった?」

「楽しかったですよ」

「まあ、そうだな」


 3人は周りの視線を少し感じながらも、特に深く気にせず会話をする。


「なに? その樹の返事は」

「べつに……」


 昨日の樹は風莉に振り回されていたこともあり、あまり詳細に話をしたくはなかった。

 楽しかった。というのは確かにそうだった。


「まあでも、昨日で少しは耐性が出来た気はするな」

「耐性って?」

「いや、なんでもない」


 耐性とは、風莉の突拍子もない行動に対してことだ。

 昨日の風莉の、理解不能なほどの距離の近さを経て、多少のことでは動揺しなくなった。

 樹はそんな


「ああ、そうだ。ノート返すよ樹」

「ん」

「相変わらず綺麗に纏めてるねー」

「むしろ、ただ話聞いてるだけじゃ暇じゃないのか」

「真面目だなあ」


 光善から複数教科のノートを返して貰う。

 風莉はそのやり取りをじっと見ていた。


「もうすぐテストでしたね……」


 憂鬱な声が聞こえてくる。


「忘れてたのか?」

「はい。幸せな時間でした」

「現実から目を逸らすな」

「その様子だと、樹さんは心配なさそうですね」

「いや、俺も流石にテストは嫌だけどな」


 何事にも動じないような風莉だが、テストに対しては、目に見えて嫌な反応をするのが面白かった。


「皆が皆、樹みたいに真面目に授業聞いてるわけじゃないんだよ」

「お前学校に何しに来てんの?」

「はあ? うるさいなあ」

「逆ギレやめろ」


 樹もそうは言うものの、学校に真面目に勉強をしにくる学生が、ほとんどいないだろうというのはわかっている。

 ただ、光善に関しては、少し偏差値の高いこの学校に望んで来たので、それなりに自覚を持って欲しいと、樹は思う。


「学校に何しに……」


 風莉がぽつりと呟いた。そして──


「最近の私は樹さんに会う為に来てますね」


 刹那、教室全体が息を呑んだように静まり返った。

 教室の中に居た生徒たちが、既に樹たちへの興味も落ち着いて、各々の世間話へと話題が戻り始めていた頃合い。

 再び、ここにいる全員の注目を浴びることになった。


「まあ友達と会う為ってのもあるよな」

「ですね」


 だが、樹は落ち着いていた。

 落ち着いてみせた。

 まるで自分に言い聞かせるように、『友達』の部分を強調した。

 それでも風莉は止まらなかった。


「あ、そういえば樹さんに言いたいことがあります」

「なんだ?」

「今日は樹さんの分のお弁当も作ってきたので食べてくれませんか?」


 そう言って風莉は丁寧に布で包まれた弁当箱を樹の机の上に置いた。


「この前、樹さんのお母様から教えてもらった卵焼き。作ってみたので食べてみて下さい」


 風莉の透き通った声が静まり返った教室に響く。

 本日、空は灰色の雲が覆って、今にも泣き出しそうだった。

 誰かが言った。


「今日は荒れるな……」


 実際は、特に目立って騒がれることもなく、そのまま午前の授業をいつも通りに終えていくのだが…………。

 

 昼休みになる頃には雨が降っていた。

 流石にこの天気ならば、今日は中庭で食べることができない。

 代わりの場所を探そうにも、校内でちょうど良さそうな場所は、既に陣取りされている。

 とりあえず今日は教室で食べることになった。

 樹の机とその前の席の机を借りて、向き合わせて風莉が座る。光善は近くの机の椅子だけを借りて座る。


「ねえ、僕いる?」


 光善が光の消えたような目で樹に問う。


「いる」


 樹は即答すると、用意してくれた弁当を机の上に置いた。

 いつも中庭で食べていたのは樹たちだけではない。

 雨の降った今日は、教室にも人が多く、朝のやり取りもあったせいか、3人は周りの生徒たちからの視線を感じながらも、深く気にしないことにした。


「でも、2人が同じお弁当食べる所に1人で惣菜パン食べてる僕って惨めすぎない」

「そ、れは……」

「次は光善さんの分も用意しましょうか?」

「え、いや、そういうつもりで言ったわけじゃないよ。でも、僕もお弁当にしようかなー。1人だけハブは寂しいし」

「1人だけ……樹さんもお弁当にするんですか?」

「え、風莉さんが作るんじゃないの?」

「私は今日だけですよ」

「え?」


 光善が間抜けな声を出して呆ける。

 2人が会話する間、樹は見覚えのある黒い弁当箱を見て、昨日のことを思い出していた。

 これは風莉が昨日買ったものだ。

 少し考えれば気づいただろうか。昨日、風莉との会話が妙に噛み合わなかった所を思い出して、額に手の平を当てた。


「樹さん」

「ん?」

「お弁当。今日だけじゃなくて毎日作りますか?」

「え? いや……風莉の好きなようにしてくれたら……」


 なんだか偉そうなことを言ってしまったかもしれない。と、樹は咄嗟に出た自分の発言を後悔した。


「すごいありがたいけど、毎日は流石に悪いし、今日はアレだろ、風莉の……その、気まぐれ的な」

「ざっくり言うとそうですね」


 勘で言ったつもりだが、どうやら正解だったらしい。

 樹も風莉について、少しずつわかってきているのかもしれない

 思ったこと、やりたいことを即断即決して行動する風莉のことだ。今日は何か目的があって用意したのだと、樹はなんとなく察していた。


「話しかける理由を作るというのと、卵焼きはちょうど練習していたので、その出来栄えを見てもらおうと思いまして」


 その言葉に光善が「あ」と何かを思い出した。

 教室のなかで話をする。というのは光善が提案したことだった。

 風莉はそれを実行するための、話題作りとして弁当を作って来たのだ。


「でも、樹さんはお昼は全然食べませんし、家でもそうだと聞いたので、今日だけですよ」

「別にそれだったらわざわざ弁当箱を買わなくてもよかったんじゃ」

「樹さん。正直に言うと、私はあまり自分のお弁当を分けたくありません」

「まあそれはそうだろうな」


 特に風莉は、昼食を楽しみにしてるのが、横から見てるだけでもわかるくらいだ。

 樹も、そんな風莉からおかずを貰うのは、心苦しいものがある。


「でもやっぱりわざわざ買いに行かなくてもよかっただろ。わざわざ休みの日にその為だけに外出るのも……」

「いえ、昨日は個人的に樹さんと会いたかっただけです」

「んんんんん」


 完全に油断していた所に不意打ちをもらって、樹は何を言ったらわからず唸り声を上げた。

 何故、風莉は顔色を変えずにこんなことを堂々と言えるのか。少しずつ風莉のことがわかってきたと思ったが、まだ樹は振り回され続ける。


「お弁当箱を買ったのはそのついでです。だから、お金とか気にしなくてもいいですよ」

「……俺が何を言おうとしたかわかったのか」


 この弁当箱が自分の為に用意されたものだとわかったのなら、流石にその分の金を払おうと思ったが、先に釘を刺された。


「ねえ、僕いる?」


 光善が再び光を失った目で樹を見る。


「いる」

「そっか、まあこういう扱いされるの嫌いじゃないからさ。2人がいいならここで食べるよ」

「そうか……」


 光善はパンの包装を勢いよく開けて食べ始める。


「私達も食べますか」

「ん、そうだな」


 2人が弁当箱を開けると、当たり前だがその中身は同じだった。

 卵焼きに、一口サイズの鮭の切り身と、きんぴらごぼうと、ブロッコリーと、半分ほどにふりかけのかかったご飯が敷き詰められている。

 まずは、言われた通りに卵焼きを食べる。

 味噌の濃厚な甘さと風味が淡白な卵と混ざり、やはり調味料を掛けずとも、これだけで濃厚な味が仕上がっている。


「……うまいな」

「それを聞けてよかったです」


 その時、「おぉ」と歓声のような声が、ほんの僅かに聞こえたような気がした。 


(……もしかして、注目されてるのは風莉よりも俺か? 俺なのか?)


 先程から全く動じてない様子の風莉に対して、樹は顔を抑えたり、唸り声を上げたりと、傍から見ても振り回されているのがわかってしまうのだろう。

 どちらかというと、樹を応援するような目が少しずつ増えてきていた。

 周りからの注目を浴びながら食べるのは、恥ずかしくて居心地が悪かったが、とりあえず他のおかずもしっかり食べることにする。


「……うまいな」


 変な緊張のせいか、先程と同じ感想しか出来なかった。

 それでも、風莉にはちゃんと伝わったようで、少しその頬が緩んで見えた。


「今日だけじゃなくて毎日作りますか?」


 先程と同じ質問だが、その声色は少し上機嫌で、なんなら挑発してるかのようにも聞こえた。


「それは……やっぱり、毎日は流石に……」

「では、気が向いたら勝手に用意させて頂きます」

「…………そうだな」


 弁当1つで完全に餌付けをされてしまった。そんな事実を隠すように、樹は腕で口元を覆って恥ずかしさを誤魔化すが、それは実質敗北を認めているに等しかった。

 なんだかんだ、教室の雰囲気はそこまでヒリついたものでもなく、風莉はクラスに馴染んで行けそうな気がした。


「ねえ、僕いる?」


 もはや誰にも焦点を合わせず、虚空を見つめて光善は呟いた。

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