第2話 ロンリーガール②

 風莉かざりが保健室に入ったところで、いつきは余計なことをしたのではないかと、今更ながら思っていた。

 光善みつよしが早々と1人でいなくなったので退けなくなったこともあるが、それでも、少し強引だったかもしれないと、保健室の前で頭を捻らせていた。

 そこで、ふと思った。


(…………そもそも俺がここで待ってる必要なくね?)


 その結論に至ると同時に風莉が保健室から出て来た。

 保健室の中に向かって、ぺこりと頭を下げて扉を閉めると、樹と向かい合う。

 その顔はいつもと変わらないように見えるが、樹の気の所為でなければ、機嫌が良いようにも見える。


「ありがとうございます樹さん」

「え? あ、ああ……」

「どうかしましたか?」

「いや、なんでもない」


 僅かな表情変化を感じ取って、思わず風莉を見つめていたので、慌てて目を逸らす。

 先程の心配は杞憂と済ませていいだろうか、横目で風莉を見ると、風莉は絆創膏の貼られた左手首をすりすりと撫でていた。


「やっぱりこういうのはあると気にしなくて済むのでいいですね」


 その様子に、機嫌が良さそうに見えたのは間違いではなかったのだろうと、樹は安心した。


「ってかなんであんな血が出てたんだ」

「……それ聞きます?」


 樹が些細な疑問を呟くと、風莉は目を丸くして樹の顔を見る。


「え、聞いちゃまずかったか?」

「いえ、全然」

「一瞬まずいことかと思ったが……」


 一瞬、風莉の地雷を踏んだのかと、心臓が飛び跳ねそうになったが、風莉が「ただ……」と目を細めて呟いて、続く言葉に樹はなんとなく理解した。


「私のことだから、聞かないようにする人が多いので」


 白い肌、白い髪、真っ赤な瞳、そして右頬にある火傷の痕。

 織咲おりさき風莉の身体的特徴はかなり目立っていて、本人が人と関わらないタイプなこともあり、いろいろと面白くない噂も立っている程。

 それは本人の耳にも届いているようだった。

 この手首の傷も、リストカットしてたなどと言われていたのだから、その噂を聞いていればかなりデリケートで触れづらい。

 樹はあまりそういう噂を鵜呑みにするつもりもない──というよりも、完全に忘れていたので、率直に聞いてみてしまった。

 もうすぐ昼休みも終わる時間なので、とりあえず2人は教室に戻ることにして、並んで歩き出した。 


「着替える時に爪で軽く抉ってしまって……それで皮がピラピラしてるのが気になって、引き千切ったら根元で結構深く抉れてしまったんですよね」

「原因がおもったよりもしょうもないけど、痛い痛い……」

「意外と血が出てきて焦りました。結構な時間、吸い出して格闘してたんですが」

「それでハンカチ巻いて止めようとしたのか……やっぱり思ってたよりも、なんというかタフだよな織咲って」


 樹の言葉に風莉は足を止める。それに樹も気づいて何事かと足を止めた。


「どうした?」

「……まるで片頼かたらいさんは以前からそう思ってたような言い方でしたので」

「それはなんというか……」


 ここであんまり詳しく言うと、ストーカーのように見えて引かれるかもしれない。と、言葉を詰まらせたが、風莉が真っ直ぐ見つめてくるので、樹も誤魔化さず答えることにした。


「正直に言うと、みんなが噂してるような人物像を俺は織咲から感じないんだよな」

「それはどうしてですか?」

「だって織咲ってわりと堂々としてるだろ。歩くときも座ってる時も俯いたりしてないし、質問されたときとか迷いなく答えるし……声質の問題か、声は小さく聞こえるかもだけど、別におどおどしてないし、むしろかっこよくも見えるけど──」

「よく見てるんですね」

「えっ! あ、いや……」


 流石に気持ち悪かったか。と、樹は羞恥心が湧き上がるも、風莉の方は少し嬉しそうにしていた。


「というか、あんな人のいないところで自分のことを話してる男子達に、声を掛けられるのも相当だと思うが」

「…………いつの話です?」

「いや、さっきの俺たちのことなんだが?」

「それは、黙って横切るのも感じ悪い気がしたので」

「感じ悪いのは俺たちの方だったと思うけど」

「気にしてませんよ」

「そ、そうか……」


 風莉は再び歩き出し前を歩く。樹も同じクラスなので後を付いていくように歩き出す。

 階段を登って教室のある3階にたどり着いた所で、風莉は1度立ち止まり、視線を斜め後ろに向けると、更にもう1つ階段を登ろうとした。


「織咲?」

「少しお話しませんか?」

「え?」


 3階から更に上の踊り場そこには屋上出る扉があるが、当然ながら扉には鍵が掛かっている。

 踊り場では先程まで昼食を食べていた者がいたかもしれない。いつもはこの近くを通ると談笑する声が聞こえるのだが、今日はいない……移動教室で早めに移動したのだろうか。

 突然の誘いに困惑しつつも、樹は風莉の後を付いていく。

 もうすぐ昼休みも終わるので、狼狽える暇もなかった。

 風莉は扉に背中を預けると、少し俯いて話し出す。


「あまり自分で言いたくないんですけど、私はどうやらみたいで」

?」

「はい、中学の時は仲の良い人は結構いたのですが、私は『かわいそう』に見えて、それで過剰なまでに優しくされたことがありました」

「過剰なまでに……」

「はい」


 そこで風莉の顔に更に深い影が差す、表情は変わっていないように見えるが、目から光が消えているようだった。


「何故か体が弱いように思われたり、何故か背が小さいかのように扱われたり、何故か運動神経が悪いと思われたり、何故か少食だと思われたり……」


 何か抑えきれないものが湧き出て来たのか、風莉はブツブツと喋り続ける。


「頭を撫でられそうにもなりましたし、体育祭の時に転んだら、骨が折れてると思われたり、実際は擦りむいただけなのに。あと、特に気にしてない言葉に、傷ついたと思われて、まるで私の気持ちを代弁するかのように怒ったり、それで私を置いてよくわからない喧嘩が始まったり、とにかく私が被害者にされたり……」

「お、おう……」


 風莉の深い闇を見てしまったようで、樹は言葉を失いつつも、なんとか相槌を打って見せた。

 ただ、言ってることはなんとなく理解できる。

 風莉の見た目がかわいそうに見えるというのは、噂話が絶えないのがその1つの例だろう。

 多分、今は風莉が他人と関わらないようにしてるから、遠目からコソコソと言う程度で収まっているのかもしれない。

 風莉はそこでハッとして、顔を上げる。

 困惑している樹の顔を見て、自分が思わず熱くなっていたことに気づいて、恥ずかしそうに顔を赤らめる。

 白い肌のせいか、耳まで赤くなっているのが樹から見てもわかった。


「す、すみません……ちょっと熱くなりました」

「あー、いや気にするな」 


 樹が苦笑いすると、風莉は胸に手を当てて深呼吸をし、少しずつ気持ちを落ち着かせる。


「だから片頼さんに先程言われたことは嬉しかったです。これもありがとうございました」


 そう言って手首に付けられた絆創膏を見せる。


「少し、自分勝手だとは思ったけどな。それに今の話を聞いた後だと、俺の行動も『かわいそう』がってるようにも思えるけど」 

「そんなことありませんよ。片頼さんは私の話を聞いてくれましたし、私のことをちゃんと見ていてくれてるじゃないですか」

「そうだな……」


 僅かに微笑む風莉の顔を見て、なんだか照れくさくなり、樹は話題を変えることにする。


「そ、そういえば、あそこの自販機で買おうとしてたのはよかったのか?」

「別に構いませんよ。あそこのココアは好きですが、飲まなければ、それはそれで健康に良さそうですし」

「あれを飲む人間がまだいたか」


 樹も練乳入りココアは飲んだことがあるが、あまりの甘さに軽いトラウマを覚えている程だった。

 確かに、あの甘さは高頻度で飲むものではないかもしれない。


「片頼さんは?」

「俺?」

「はい、片頼さんはあそこで何を飲んでます?」

「俺はりんごジュースだよ。購買に行けば大きいのがあるけど、あれくらいがちょうどよくてな」

「りんごジュース……なるほど」


 そこで、もうすぐ昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。

 風莉は軽い足取りで階段を降りていくと、樹もその後ろを付いていく。

 何を言うわけでもないが、同じ教室に向かうので、必然と同じ行動をすることになる。

 目と鼻の先の3階に降り、風莉は振り返って樹と向き合う。


「片頼さん、今日はありがとうございました」

 

 そう言った風莉の表情は少し笑っているように見えて、


「また機会があれば一緒に話ましょう」

「ああ、そうだな」


 先に1人で教室に戻る風莉の後ろ姿を、見て樹は思う。


「意外と、話す奴だったな」


 樹はその後で少し遅れる形で、1人で教室に戻ることにした。

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