アンドロイドの向こう側

黒井真(くろいまこと)

第1話

 が起動した瞬間、理加子は眉をひそめた。

 シ――――カシカシ、カシカシ。


 ――かんに障る音だ。


 しかし、横にいる母親の口からは飛び出したのは、理加子の抱いた嫌悪感とはまったく異なる感想だった。


「あら、動くとやっぱり印象が違うわね。綺麗な顔をしているわよね、若い頃のアレ、あの人みたい。ほら、時代劇によく出ていた」


 母の「アレ、あの人」は毎度のことなので誰のことを指しているのかは気にも留めず、理加子はただ、の顔を見た。

 つるりとした滑らかな質感の表皮、正確すぎるほどに左右対称の目と眉、真っ直ぐに通った高い鼻筋。確かに、本物の人間だとしたらいわゆるイケメンなのだろう。ただ、本物の人間とは目の印象が大きく違う。人間の眼球と比較すると、明らかに瞳と白目の境目がくっきりしすぎている。


 は顔を少し左右に動かし、理加子と母を見比べた後、二人の中間点に視点を定めたまま、先ほどよりも少し大きな音を立てる。カシカシ、カシカシ、カシカシ。


 その音は、自分がレンズに捉えられ、検知され、計測され、分析されるという事実を理加子に思い出させる。理加子は苛立ちを感じたが、その不快感すらもこの機械は検知し、計測し、分析し、さらにはシステムのバージョンアップまでするのだと考えると、理加子の胸間も苛立ちから忿懣へとバージョンアップしそうになるのだった。


 ――なんで、あたしがこんなキモチワルイものを我慢しなくちゃいけないの!


 その感情を検知される前に切り替えようと理加子は言った。

「お姉ちゃんは? あの人のためのモノなんだから、設定しないと始まらないじゃない」

「リカちゃん、呼んできてよ。お部屋にいるから」


 理加子は小さくため息をついてから、二階へとかけ上がり、姉の麻里子の部屋をノックし、ドアの向こう側の世界に君臨している存在へと声をかけた。


「アレ、届いたから。設定するから降りてきて」


 無言のままドアが開いた。麻里子はいつものように、寝ぐせのついた髪にパジャマのまま姿を表した。その姿と同時に、アルコールと人工的な果実が混じった匂いが室内から漏れ出てくる。ストロング酎ハイだろう。それに、スナック菓子のカレーの匂いと微かな加齢臭。

 部屋の窓ぐらい開ければいいのにと思うが、姉の麻里子はせっかくエアコンで好みの温度に設定した気温が上下するからと窓を開けたがらない。以前に一度、「臭くて仕方ないじゃない」と理加子が注意したが、麻里子はふてくされて部屋に閉じこもっただけだった。以来、理加子は何もいわないようにしている。

 

「降りてきて。設定するから」


 言いながら、匂いが自分の身体に移らないように、さっと身を翻して階段を降りる。

 麻里子は、無言のままのっそりと理加子に続いて階段を降りた。


 設定はすぐに終わった。


「はい、終わり」


 理加子の言葉に、母親がウキウキとした声で設定を終えたばかりのアンドロイドと麻里子を見比べながら言った。


「ああ、。これで、また特異点シンギュラリティ・ポイントの上にのよね?」


 瞬間、空気が凍った。

 理加子が無言で姉の顔を盗み見ると、麻里子は蒼白な顔で立ち尽くしていた。また、いつものように階段をドスドスと踏み鳴らして二階の自室に引きこもるのだろうかと予測したが、実際は違った。


「何よ何よ何よどうせ私はできそこないだわよ理加子みたいにずっと特異点シンギュラリティ・ポイントの上になんかいられないわよ作業員訓練だって失敗したわよ悪かったわね何よ人のこと馬鹿にしてだいだいあんただって下じゃないの!」


 母親に向かってヒステリックに喚き散らした後、ドドドドドと轟音を立てて階段を上って行った。次いで、家全体が揺れそうな音を立てて部屋のドアが閉まった。


「お母さん、医師せんせいが言っちゃだめって言ってたでしょう?」

「だって、つい……」


 困惑はしているが、反省の色の見えない顔で母親が答える。

 設定を終えたばかりのアンドロイドは、カシカシ、カシカシと微かな音を立てながらその様子をじっと見ていた。


   *   *   *


 その夜遅く、理加子は寝る前にハーブティーを飲もうと自室から台所に行き、肝を冷やした。

 暗闇の中、赤い二つの光が明滅していたのである。

 その正体が昼間自分の手で設定したアンドロイドの瞳だと気づいたときに、毎日深夜二時前後に充電とシステムのバージョンアップが行われることを思い出した。


「びっくりするじゃないのよ、もう」

 と、うんざりした理加子の声に応えるかのように、アンドロイドは急に顔を上げ「<お気持ちご配慮テクノロジー>を更新しました」と発話した。


 その機械的な話し方とトンチンカンな内容に、理加子の口からは、思わずため息が零れる。

「……ほんと、キモチワルイ」

 イライラをぶつけるように呟くと、手早くティーバッグと湯をカップに放り込み、温かいカップを手に自分の部屋へと戻って行った。その後ろ姿を、アンドロイドのガラスの瞳はずっと追いかけていた。

 シ――――、カシカシ、カシカシと微かな音を立てながら。


(続く)

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