Ⅳ 約束の夜

「──相変わらず動きはないようだな……」


 深夜、ロッシーニの家を密かに包囲し、ずっと見張りを続けていたゼニアールがビストロの影で呟く。


 夕方、家に帰って来たロッシーニはそれ以降、一度も外出することはなく、夜が更けると灯りも消して、それからはずっと静まり返ったままだ。


「裏手も問題はないな?」


「はい。特に報告はありません」


 少々苛立ちを覚えながら、ゼニアールは部下のジュディにも尋ねてみるが、家の裏口からこっそり抜け出すというような動きもないようだ。


「城の方の状況はどうだ?」


「はい。そちらからも特に報告はありませんね」


 どうやらアラキ城も、同様に静かで平穏そのもののようである。


「うーむ……読みが外れたか。それとも、この厳重な警戒を見て、さすがのアルベールも罠に飛び込んでまでお宝を手に入れるのを諦めたというところかな……」


 その後も特に変わったようなことは起きず、ゼニアール達はどこか拍子抜けな思いを抱いたまま、翌日の朝を迎えることとなった。


「もうすっかり夜が明けてしまった……ま、ヤツの犯行を防げたとなれば、とりあえずは我らの勝利と言ってもよかろう……」


 川面を染める眩い橙色オレンジの朝日を眺めながら、若干、残念な気持ちに内心なりつつも、ゼニアールがそう呟いた時のこと。


「た、た、大変です! アラキ城が! し、城の中の財宝が!」


 城の警備に就いていた衛兵の一人が、血相を変えて駆け寄って来た。


「どうした!? 何があった?」


「や、やられました! 城の中はスッカラカンです! いつの間にかすべての財宝がなくなっております!」


 嫌な予感とともにカネアールが尋ねると、その部下は息吐く間もなくそう答える。


「なに!? 見張りの者達はどうした!? 賊の侵入に気付かなかったのか!?」


「そ、それが、誰も何も見てはおらず……ほんとに、気づいたら何もかもがなくなっていたのです!」


 驚きに目を大きく見開いてゼニアールは尋ねるが、部下自身もその状況が信じられずにいる様子だ。


「そんなバカな! こっちにはなんの動きも……とりあえずわしも行く! ジュディ、まだロッシーニの監視は怠るなよ!」


 ともかくも、ゼニアールはこの場をジュディに任せ、自分も

一目散でアラキ城へと向かった。


「──こ、これは……何がどうなっている……」


 一本しかない石橋を渡り、ゼニアールが城の中へ入ると、確かに先程の報告の通り、城内にあったお宝の類はすっかりその姿を消してしまっている。


 その代わりと言ってはなんだが、大きな絵画の掛かっていた壁には……。



 親愛なるナジャンド・カオリン男爵さま。


 お約束の通り、あなたの不安のタネであった財宝の数々をいただいてまいります。

 これで心置きなく、安心してぐっすりお眠りになることができるでしょう。

 まあ、昨夜もよくお眠りだったようですがね。

 それでは、ごきげんよう。


 貴方の心の友アルベール・ド・ラパンより



 という書き置きが、ウサギの紋章入りの便箋に書かれて壁にナイフで貼り付けられている。


「皆、何をやっていたのだ!? ほんとに誰も何も見ていないのか!? 何か気になることは!?」


「は、はあ……男爵の家人や使用人も含め、ほんとに誰も何も……強いていえば、昨夜はなんだか頭がぼうっとしていたような気が……」


 えらく殺風景になった城内の様子に、しばし唖然と立ち尽くした後にゼニアールは激昂して尋ねるが、部下達はいずれもそう答えるばかりである。


「ナジャン男爵、あんたは何か気がつかんかったのかね!?」


「いや……わしは一晩中起きていようと、自室でコーヒーを飲みながら椅子に座っていたんじゃが……ちょっとうとうとしたかと思うと……次に気づいた時は朝じゃった……」


 ゼニアールはナジャンにも質問してみるが、彼はコレクシオンを失ったショックに虚空を見つめたまま、心ここに在らずといった様子で呆然とそう呟いている。


「ヤツは……アルベール・ド・ラパンはいったいどうやって……なにを突っ立ってる! 調べろ! 徹底的に城の中を調べるんだ!」


 ナジャンばかりでなく、呆然自失としてただただ不思議がる衛兵達の尻を叩き、ゼニアールは城内を隈なく調べて廻る。


 いや、賊を見ていないことは置いておくとしても、あれだけ大量の宝の山をいったいどうやって持ち出したというのだろうか?


 出入り口のドアや窓にはすべて鍵がかかっていたし、特に抜け穴や秘密の通路などというようなものも見当たらなかった。


 もちろん、橋を固めていた衛兵達も猫の子一匹通していないという……。


「そ、そうだ! ロッシーニは!?」


 城ではなんの手がかりも掴めなかったゼニアールは、最も疑わしい人物──ロッシーニのことを思い出すと、急いで彼の家へととって返す。


「ロッシーニさん! いらっしゃいますか! ロッシーニさん! ……返事がない。よし! 乗り込むぞ!」


 そして、ドアを激しくノックするが反応のないことに、ゼニアールはドアを蹴破ると強引に中へと侵入した。


「こ、これは……」


 すると、ずっと見張っていたはずなのになぜか屋内はもぬけの殻で、加えて、リビングのテーブルの上に置かれていたものに、またしてもゼニアール達は唖然とさせられてしまう。


 そこには、大皿いっぱいのサンドウィッチが用意され……



 ムシュー・ゼニアール、それに衛兵の皆様。


 どうも一晩中ご苦労さまでした。

 ずいぶんとお腹も空いたことでしょう。よろしければ朝食にお召し上がりください。


 貴方達が最も関心のある人物より。



 というメッセージが添えられていたのだった。


「くうっ〜…! アルベールめ! 舐めた真似をしくさってからにぃぃぃ〜…!」


 ゼニアールはそのメッセージカードをくしゃくしゃに握り潰すと、なんとも悔しそうに恨みの雄叫びを響き渡らせた。


 その後、この事件の顛末は瞬く間にパリーシス中、街の隅々に至るまで広く伝えられ、しばらくはまた、この希代の怪盗の話題で持ちきりになったことは言うまでもない──。


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