2:15 一階にて
パーシアスの搭載プロセッサが作り出す仮想空間は、見た感じは他の機種のものとそれほど違いはなかった。真っ黒な空間に60インチくらいの大型スクリーンと、その脇に補助用の小型スクリーン、座席などがあって、パッド型コントローラがぽつんと浮いてる。
大型スクリーンにはパーシアスの頭部カメラからの映像が映っていた。カメラは一個しかないんで、立体映像には対応してない。あんまり視野は広くなく、ちょっと画素も荒いみたいだ。
小型スクリーンには深度センサーからの地形情報が表示されてる。こちらはモノクロ画像で、距離が近いところほど明るくなっていた。
まずは、パッド型仮想コントローラでの操作を試してみた。
移動のための基本モーションはかなりスムーズで、段差があっても、自動的に足の動きを調節してくれる。腕のみのマスタースレーブ操作モードもあるんで、手を使った作業もそれなりにやれると思う。
すでに業務で運用していたモデルらしいので、不具合なんかは修正されてるんだろう。
だいたい問題なさそうなんで、今度は一体化コントロールモードを試してみた。
モードを切り替えると、パーシアスの頭部、胴体、手足、すべてがわたしの体となる。
頭から胴体までが一パーツになってるのと、手足の長さを除けば、感覚的にはハーキュリーとそれほど違いはないかな。ただ、首や胴体が固定というのは、思ったより窮屈だった。
胴体が異様に重くて重心が高いせいか、バランスが取りづらい。ちょっとふらふらしてしまった。これでお辞儀しようとしたら、踏ん張らないと前に倒れてしまいそう。
視界はカメラの映像が主だけど、深度センサーからの奥行き情報も別口で感じられるようになってる。例えれば、右目と左目で別々のものを見せられてるようなもので、かなり奇妙としか言いようがない。これはあんまり実用的じゃないかも。
やりにくいところはあるものの、活動するには支障なさそうだった。
わたしは脳内チャット端末で、テキストメッセージを送った。
サトウ:パーシアス 問題なく動かせました~
スナダ:一体化モードも?
サトウ:だいじょぶでした
サトウ:ちょとバランスわるいけど
スナダ:さすが。アレの一体化、けっこう不評だったんですが
サトウ:ちょ
フォレスト:いや、可能なら一体化モードのほうがいい
フォレスト:それよりキリコ、その部屋のロッカーを開けて
この部屋にはクレードルの向かい側に、大き目のロッカーが置かれていた。これはパーシアス用の装備品を納めておくものらしい。ロッカーには暗証番号用のテンキーがついてたけど、半開きで鍵はかかっていなかった。
開けてみると、予備の装甲や肩付け用のフラッシュライト、警察が使ってるようなプラスチック製の透明な盾、電磁警棒のほか、さらっと拳銃が五丁並べられていた。
一つ手に持ってみたけど、なかなか重い。本物ですか。さすが銃社会アメリカ。
てか、これ、わたしが使うの?
サトウ:拳銃があるんですけど
フォレスト:ゾンビ相手だと心許ないが、必要な場面もあるかもしれん
フォレスト:念のため、持っていってほしい
フォレスト:使い方はわかるか?
サトウ:いえ
ただの平々凡々な日本人相手に無茶言わないでほしい。わたしゃミリオタでもないし。
スナダ:基本モーションには銃の操作も含まれてる
スナダ:必要に応じて切り替えて
なんでもパーシアスは元々軍用として設計されたものらしくて、こうした武器の操作もやれるようになってるそうだ。
脳内メニューに追加された〔モーション〕の一覧を見てみると、〔銃を構える〕〔発砲〕〔弾倉を入れ替える〕といった項目があった。
試しに〔銃を構える〕を実行してみると、体が勝手に動き出した。一体化コントロール中でも、既定のモーションが割り込むようになっているようだ。
左手で銃の上のパーツをなにやらいじってから、ジャキっと引くと、右手でまっすぐ銃を前に向け、左手を添える姿勢になった。
「おぉ~」
あとは引き金を引くだけらしい。映画とかでしか知らないけど、なんかそれっぽい動きだった。わりと素早くて、きびきびしていた。
持っている銃の種類と状態を内蔵AIが自動的に判定して、必要な動作を行うそうだ。最初に安全装置を外したりとか、銃の上のパーツ、スライドと呼ぶらしいけど、それを引いたのも、AIが初弾をこめる必要ありと判断した結果だそうで。
〔弾倉を入れ替える〕のほうは、あらかじめ左手に替わりの弾倉を持った状態でないと動作しなかった。やってみると、右手で持ち手のボタンを操作すると元の弾倉が落ちて、そこに左手で弾倉を差し込んでいた。
この辺の動作は一度やれば、以降はモーションを使わなくてもやれそうだった。
あと、自分で狙って撃つこともできるけれど、
念のため、試しに一発だけ壁に向けて撃ってみた。FCSを有効にすると、視界に狙いを示す十字のカーソルと、残弾数などが表示された。カーソルはこちらの意識したとおりに動いてくれる。
今回はロックオンなしで〔発砲〕のモーションを入れた。すると腕が勝手に動いて狙いを調整し、引き金が引かれた。パンってちょっと大きな音がして、狙った場所に穴があいた。反動はあったけど、支えるのは問題なさそう。
自力では絶対当てられそうにないし、狙いはFCSに任せたほうがいいみたい。ゲームでもFPSとかは苦手であんまりやらなかったしねえ。そもそもミリタリー方面は趣味じゃないし。
これらの機能は拳銃だけでなく、散弾銃とか軍用のごっついライフルなんかにも対応してるそうで、呆れるくらいに戦闘志向だ。ハーキュリーなどとは設計思想から違ってるのかもしれない。
フォレスト:その部屋を出たら、一階の警備室に向かってくれ
フォレスト:正面玄関近くにある
サトウ:りょーかいです
スナダ:他の空バッテリーの充電もやっておいてね
サトウ:おk
警備室には施設全体のマップや、非常時のマニュアル類、あともっと強力な武器も置いてあるはずだそうだ。
予備の弾倉二個と警棒を腰の専用ホルダーに差して、肩にはフラッシュライトを装備し、わたしは拳銃片手に部屋を出た。
*
プロジェクト本拠地はマサチューセッツ州セイレムの郊外にある。
考えてみたら、わたし、異世界は別として、ちゃんとした外国に来るのって初めてだった。できれば、こうなる前に来たかったけど。
廊下の窓から外の景色が見れた。こっちでは二月下旬で、外は一面雪に覆われていた。
本拠地の敷地の向こうには森があって、その合間に住宅街が拡がってるようだけど、今はだいぶ雪に埋もれていた。雪かきする人間ももういなくなってしまったし。
動くものは何も見当たらない。ひどく静かだった。
誰もいない廊下を、サポート役として付いて来たドギー1を引き連れて歩いた。「キュイーィ、キュイーィ」というパーシアスの動作音と、「ちゃっちゃっちゃっちゃっ」というトップスの足音がけっこう響いた。
今いるフロアは三階で、エレベータなんていうものは当然動かないので、まずは非常階段を目指した。これまで作成した簡易マップで、だいたいの位置はわかってる。
階段前の防火扉は閉じられていた。そうっと開けて中を見たけども、中は真っ暗だった。非常灯なども消えちゃってる。
わたしはフラッシュライトを点灯して、ビクつきながら入っていった。なんかホラー映画っぽいシチュエーションだ。というか、実際ホラーそのものではあるんだけど。
階段で怪談……。いえ、なんでもないです。
トップスの階段の降り方がほんとに犬っぽくて、ちょっとだけ和んだ。
ビクビクしつつも、特に何事もなく降りていった。しかし、もうあと数段で一階というときに、カメラの映像が一瞬乱れた。思わず、ギクっとした。
サトウ:階段の一階付近、グリッチ出ました
フォレスト:気をつけて
フォレスト:撃つときは絶対に躊躇うな
司令もまた無茶を言う。
階段の先を見回してみたけど、それらしい姿は見当たらない。防火扉の向こうだろうか。扉に近づくにつれ、ブロックノイズが多くなっていく。
これ、いったいどういう理屈なんだろう。電子機器が一斉にだめになるんじゃなくて、なぜかカメラなどの映像機器から異常が出始める。単純にゾンビから電磁波みたいなものが出てる、というわけでもないらしいんだけど。
まあ、おかげで探知機代わりにはなってるけどね。
右手で銃を構え、すぐターゲットをロックオンできるようFCSを用意しておく。
そーっと、そーっと左手で防火扉を引っ張った。隙間から覗いて……いない……、いや、いた。
ぞわっとした。髪の毛があったら、総毛立ってただろう。
背の高い男が立っていた。そいつは背中を向けていたけど、不意に、くる~りとこちらに向き直った。
男の顔色はひどく悪い。薄っすらと白く濁った両目は斜視どころじゃなく、完全に左右バラバラな方向に向いてグリグリ動いていた。
だらしなく開いた口から伸びた舌が、べろんべろんと不規則に動いていた。
そいつは両腕を水平に持ち上げて、こちらに向けた。
その瞬間、気持ち悪さと恐怖が限界を超えてしまい、わたしの理性はあっさり吹っ飛んだ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああっ!!!!」
わたしは絶叫を上げながら、即座にそいつの頭をロックオンして、ほとんどマシンガンみたいな連射で全弾撃ち込んでいた。弾が出なくなっても、なおも手動で引き金をガチガチ引いて、その後拳銃で殴りかかっていた。
無我夢中だった。
そうして、気がついたときには、そいつは床に倒れ伏していた。
頭はぐちゃぐちゃで原型を留めておらず、首や足が変な方向に曲がっていて、片腕が離れたところに転がっていた。辺りには、ドス黒い体液が撒き散らされていた。
ぱっと見では、凄惨な猟奇殺人事件現場にしか見えないかも。
なんだか妙に現実感が薄く、自分がそれをやったという実感もない。その代わりに、「
パーシアスの手もべったりと汚れていた。雑巾があったら拭き取りたい。警棒使ってれば少しは違ったのかもしれないけど、そんなことも思い至らなかった。
しかし、これで終わったわけじゃなかった。
そんな姿になってもまだ、そいつは体をモゾモゾと動かそうとしてた。腕だけ単体で尺取虫のようにゆっくりと這ってるし。グリッチはだいぶ弱まってたけど、依然として続いてた。
こいつはまだ、
正直言って、これは常人にはキツすぎるわ。正視に耐えない。仮想体じゃなかったら、絶対吐いてる。
サトウ:これ、どしたらいいんでしょか?
フォレスト:四肢を破壊すればとりあえず無害にはなる
フォレスト:灰になるまで焼却すれば完璧だが、今は放置で
サトウ:わかりました
そいえば、このゾンビは頭撃っても死なないんだった。さっきは焦って頭に向けて撃ってたけど、意味なかったかも。結局、ほとんど素手でヤっちゃったようなもので、せめて警棒くらい使うべきだったかも。
まあ、さすがにこの状態なら立ちあがってくることはないだろう。でも、ホントかどうかはわからないけど、ゾンビが空中浮遊して追っかけてきたなんて話もあるんだよねえ。マジで怖いわ。オカルトすぎる。
とにかく、今は警備室へ急ぐことにした。
ここで、わたしはある事実を見落としていた。後で指摘されるまでまったく気づいていなかったけれど、あの時、ゾンビは機械の塊である
*
上の階から一転して、一階はかなり汚れて散らかっていた。
バリケードにしようとしたのか、廊下には机や椅子が積み上げてあったり、床にはいろいろな物が散乱していた。濡れた何かを引きずった跡もあった。壁には弾痕がそこら中に空いていて、一部は真っ黒く焦げていたり、黒い粘液が塗りたくられていた。窓ガラスも割れているものが多い。天井も照明などが壊れて垂れ下がっていた。
これこそまさに、ゾンビ映画でありがちな光景だった。
扉に“SECURITY OFFICE”と書かれた部屋はわりとすぐ見つかった。
やはりここも、入り口に鍵はかかっていなかった。
中は窓がなく、真っ暗だった。ただ、入り口近くにLEDランタンが置かれていたので、それを点けた。
サトウ:警備室着きました
フォレスト:資料類、頼む
クズネツォフ:奥のほうに武器庫あるんで覗いてみてください
机が三つあり、書類棚も二つあった。その他、たくさんの監視モニターが並んだコンソールもあったけれど、そちらは当然何も映っていない。
机に置かれた書類に手を伸ばそうとして、手が汚れたままだったのを思い出した。ちょうどティッシュペーパーの箱があったんで、それを拝借した。体中に返り粘液を浴びてるんで、できれば全身洗い流したいとこだけど。ものすごく臭ってそうだし。
目当てのものはあっさり見つかった。非常時マニュアルと施設見取り図は机の上に出しっぱなしだったのだ。ここを使ってた人たちも、臨戦態勢の中でこれらをずっと見てたんだろう。
マニュアルをパラパラとめくってみると、発電機の取り扱いについても書かれていた。
別の机の上にはノートPCが置かれていた。バッテリーは切れていたけど、トップスには外部機器給電用のUSB端子があるというので、それで起動してみた。
パスワードは机の上に殴り書きのようなメモがあった。まあ、非常時だしねえ。
中には非常時マニュアルの電子版などいろいろ入ってた。どうやってこれらを月面基地に送ろうかとちょっと悩んだけども、無線LANでつながったので、ファイル転送して解決した。
あと、業務日誌のファイルがあったので、そちらも最後のほうを覗いてみた。
わたしたち開拓団第一陣がニューホーツへ行ったのが八月一〇日。同じ日に、こちらに残っていた仮想体の人二名が
その三日後、発電所からの電気が止まった。それからは一日おきのニューホーツとの定時連絡のときだけ、ここの自家発電装置を動かしていたそうだ。あとはわずかな太陽光発電でどうにかやりくりしていた。
しかし、次第にゾンビにやられる人が増えていき、八月二〇日には生身の人間は全滅。最後に残ったのはパーシアス一体だけだった。以降の日誌はパーシアスの人によるものだった。
そして八月二三日を最後に、日誌の書き込みがなくなった。ゾンビが発生しだしてから、およそ一ヶ月後だった。
日誌には淡々と出来事が書かれていて、それが一層悲壮感を強めてる感じがした。
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