2:12 フリーフォール

『まあ、大気圏突入といっても、やることはそう難しくないし、そんなに危険はないはず。軌道計算はすべてこちらでやるし、手動でやることといえばバルーンを展開・破棄するタイミングと、あとはパラシュートを開いてから着地するとこまでかな』


 大気圏突入について、砂田さんからレクチャーを受けた。まあ、言葉通り、わたしが直接何か操作することってのはあんまりないみたいだ。


「あ。その前に、やっぱり一度基地02のサーバーに転送していいですか? 今のわたしの状態をセーブしておこうと思って」

『なるほど、それは気が付かなかった。どうぞどうぞ。セーブは必須だしね。えーと、基地02は半壊してて処理が厳しい状態なんで、基地04を使って』

「りょうかいです」


 一旦、基地のサーバーに転送で戻って、仮想体の記憶を保存した。万が一、大気圏突入に失敗しちゃうと、記憶がだいぶ巻き戻されちゃうからね。最後にセーブが発生したのはホムンクルスからハーキュリーに載り換えたときかな。ゲームと違って、周囲の状況は巻き戻らないけど、そうなるとわたしだけ記憶が欠落してることになってしまい、それはうれしくない。月で起きたことは、忘れちゃいけないものだし。

 こんな場所でも転送は問題なく行えた。そうしてわたしは再びハーキュリーに戻ってきた。


 まずはスラスターで体の向きを調整して、魔道具の推進機を全開で四五秒間噴かす。これでニューホーツに向けて真っ直ぐ進んでるはずだけど、眼下の端から端までほとんどまっ平らなくらいに広がるニューホーツはぴたりと静止したままで、あんまり進んでる感じがしなかった。


 次に、脚を曲げて体育座りの姿勢で体を丸め、ほんの少し姿勢制御スラスターを噴かして、三〇秒に一回転くらいのゆっくりとした前転を加える。


 そうしてから耐熱バルーンを展開した。背後の格納ボックスから、耐熱生地が一六枚、花びらのように広がった。生地は先の尖った楕円形というか舟型をしていて、生地の縁にはフレキシブルワイヤーが仕込まれているそうで、ちょっと太くなってる。

 そして、生地は機体を包み込むように丸まって、ぴたりと合わさり、直径3mくらいの球体になった。起点が極側になってるのを除けば、舟型多円錐図法というので地球儀を作るのと要領は同じなんだそうで。

 隙間はまったくなく、外の様子がまったく見れない。中は非常灯の赤いランプでほんのり照らされてた。

 今は真空だけども、外の大気圧が高くなっていくと、それに応じて中にヘリウムガスを充填して球形を保つんだそうだ。


 生地はかなり分厚そうだったけれど、シャトルが頑丈な耐熱タイルで覆われてたのを考えると、ほんとにこれで耐熱とかだいじょうぶなんだろうか不安になる。

 砂田さんの説明によると、静止衛星みたいにニューホーツの自転に相対速度を合わせつつ、重力に引っ張られて自然に落下していくような軌道になるらしい。さらに、ゆっくりした回転で常に正面の位置を変えてるので、熱についてはさほど心配しなくていいらしいんだけど。


 そんなこんなで、じっとしていること一時間。


『そろそろ大気が濃くなってきて、振動し始めるけど、慌てないようにね』

『りょ~かい』


 ビリビリと細かい震えが伝わってくる。けど、以前にシャトルで体験したのよりはずっと小さい振動だった。

 そのうち、ぶぉーーっという風の音が強くなった。

 外が見えないと、どうなってるのかさっぱりだわ。

 わずかながら加速度センサーが、これまでの進行方向に対して減速しているのを伝えてくる。それと入れ替わりに、一方向に引っ張られる力が強まってる。これがニューホーツの重力なのかな。

 元々速度が遅く、質量も小さいため、空気抵抗ですぐ速度を失って、その後は重力に引かれるままとなるそうで。実際にはずっと加速し続けるわけじゃなく、ある程度のところで空気抵抗とつりあって、ほとんど等速運動に変わったけど。

 で、どうなるかといえば、


『ひぃ~~~~~っ!?』


 まさしく紐ナシバンジーというか、フリーフォール状態となった。

 前にテレビで、自由落下する飛行機の中で無重力状態を疑似体験するってのを観たことあったけど、ちょうどあんな感じになってるんだろう。

 しかし、周りは見えなくとも、振動と高度計から落下してるのを感じる。重力が掛かってるのも、加速度センサーが検出する。

 どこまでも落ちていく感覚は誤魔化せず、胃がきゅぅっとする。猛烈に怖いわ。トラウマになりそう。


 そうやって、どのくらい落下したのだろう。一分か一〇分か。一時間てことはないと思うけど、すごく長い時間だったような気がする。


『佐藤さん、そろそろバルーンをパージする頃合だ』

『高度4000m切ったら、でしたっけ』

『あんま高すぎたり、低すぎたりしなければ、わりとアバウトでも大丈夫なはずだけどね。肝心なのはパラシュートのほうで』


 現在の風向、風速なら、高度1500m以下でパラシュートを開けば、開発基地04の近郊に降りられて、基地からすぐ救援を回せるそうだ。

 しかし、あんま高いところでパラシュートを開いてしまうと、風で流されて海に落ちる可能性があるとか。

 一応フロートは用意されてるけども、海に落ちるのはちょっと遠慮したい。海はマジでヤバい。全長100mを越すような巨大魚類とか巨大海生恐竜とか、その他なんやらわからん分類不能な巨大生物がうようよしてる。

 あれらは海面でなんか動いてれば、問答無用で襲ってくる。たとえ栄養にならないドローンであっても、餌と勘違いしてパックリ呑みこんでしまう。開拓団が未だに海運を検討してないのも、それが理由だったりする。陸にもそれなりに大きな恐竜とかいるけど、海に比べればずっと小さいし、姿を見落とすことはない。


 高度計が4000mを切ったところで、パージした。開花するようにバルーンが開き、一気に明るくなった。


「うわぁ……」


 絶景だった。宇宙空間と違って、上には青い空、下には広大な大地とまばらに浮かぶ雲が漂ってた。これできっちりした足場があれば、最高なんだけど。残念ながら、わたしは未だにフリーフォールの真っ最中だった。

 手足を伸ばし、大の字になってわたしは墜落していった。


「1100……、1000……、900……、800……、700……、600!」


 どんどん地上のディテールが細かくなっていく中で、600mを切ったところで、わたしはパラシュートを開いた。ガクンと落下速度が落ちた。

 パラシュートで緩和されてるけど、はっきりと重力を感じられた。もうすでにここはニューホーツの大地の上なのだ。あの頼るものの何もない宇宙空間で漂うより、ずっと心強かった。

 ゆっくりと大地が近づいてきた。


「あと10m……、5m……たっちだうんっ!」 


 地面をゴロゴロと転がりながらも、わたしは無事着地できたらしい。

 大気圏突入せよと言われてどうなるかと思ったけど、思ったより簡単だったかな。


『こちらハーク1、ただいま着地しました~』

『了解。基地04からの輸送機はすでに発進してるよ。到着予定ETAはおよそ二〇分後』

『りょうかい~』


 それからやることを考える。

 パラシュートを切り離して、丸めておく。お迎えが近くにきたら、発炎筒を焚く。

 あとは、センサーで周辺地域の確認か。



 ここらはインシピットよりだいぶ南のほうで、気温はだいぶ高めだ。乾燥してて、ちょっとサバンナっぽい。背の低いソテツっぽいのとか、サボテンみたいなのとか、地面に張り付くように広がるシダっぽいのとかがポツンポツンと見受けられる。あそこの真っ黒い茂みは草……なのかな?


 そして、40mほどの距離に、中型恐竜一頭。全長5~6mくらいありそうで、鋭い爪とか牙からして、肉食恐竜っぽい。

 あ、なんか目が合っちゃった。無警戒に近寄ってきた。

 どうしよう。あのサイズに、果たしてスタンロッドは効くんだろうか。追い払えればいいんだけども。

 しかし、恐竜が黒い茂みの傍を通りかかろうとしたとき。


「いっ!?」


 妙なモノを目撃して、変な声が出た。

 茂みがしゅるしゅると伸びて、恐竜に絡みついた。恐竜は暴れて逃げようとするけど、茂みにがっちり絡め取られて逃げられない。

 そして、恐竜を宙吊りにしながら、黒い茂み全体が上に持ち上がった。

 付着した土を落としながら、茂みはどんどん高くなっていって、その全体像が見えた。


 端的に言えば、それは脚の生えた巨大な毛玉だった。胴体(?)部分は横倒しにした卵型で、直径10m以上はありそう。その表面に黒い触手がびっしり生えてて、うねうねしてる。茂みに見えていたのは、その触手だった。その胴体の下に蜘蛛のような五本の細長い脚が円形に並んでいて、体を支えていた。

 最初にシャトルでニューホーツに降りたときに、遠目に見えてたのと近縁種なんじゃないかと思う。あっちは三本脚で、もっと巨大だったけど。


 胴体の一部に、口と思われる大きな穴が開いて、中から赤黒くぬめった舌のようなものが三本ほど長く伸びてきて、獲物を舐めずりまわした。粘液の成分によるものか、恐竜の皮膚はどんどん爛れて腐れ落ちていった。

 恐竜は必死にもがいてたけれど、ゆっくりと頭から丸呑みされていった。


 なんというか、キモいというか、猛烈にエグい。吐きそう。載ってるのがホムンクルスだったら吐いてた。

 どういうわけか、うねうねする触手の束を見詰めてると、だんだんカメラの焦点が合わなくなってきて、空間が歪んで見えだした。意識が朦朧としていく。後にこの時の症状を検証しようとしたけれど、原因は不明だった。ドローンに載った仮想体でも、正気度判定SANチェックなんてあるんだろうか。


 気が付くと、毛玉が向き直っていて、その口がまっすぐこちらを向いていた。まん丸い口のなかには小さな牙がびっしり生えていて、中心から舌がでろーんと伸びてて、涎の粘液がぽたりと滴り落ちた。


「え゛……?」


 毛玉は五本の脚を器用に動かして、こちらににじり寄ってきた。意外に素早い。

 胴体から生えてる黒い触手がするすると伸びてきて、ハーキュリーの脚に絡みついた。


「や、ちょっと、触手ネタは勘弁!」


 引き剥がそうとしたけど、かなり力が強い。そのうえ、巻きついてくる触手はどんどん増えてくる。

 陸なら丸呑みはないだろうと高を括ってたけど、甘かった。人型とはいえ完全にメカなドローンに触手って、誰得やねん。

 機体はあっという間に持ち上げられて、口の前に持って行かれた。三本の舌がねろ~~~んと撫で回してくるのを触覚センサーが検出する。気色悪いにもほどがある。ハーキュリーの装甲でなかったら、鳥肌がたってるところだ。


「こ、このっ!」


 慌ててたので、それまでスタンロッドのことをすっかり忘れていた。腕はフリーだったので、スタンロッドを取り出して押し付け、最大出力でぶちかました。


 じゅおごおおおおぉおおっ! ずぅごおぉ!


 およそ生物とは思えないような奇怪な悲鳴をあげ、毛玉はわたしを放り投げた。


「あっー!? ……へぶっ」


 けっこうな高さから落とされて、顔面から着地してしまった。地味に痛い。

 味がよほどお気に召さなかったのか、毛玉はぺっぺっと唾を撒き散らしながら、どこかへ立ち去って行った。


「うへぇ……ベタベタだわ……」


 助かったのはいいけれど、粘液まみれというのは勘弁していただきたい。わたしゃそっちの趣味はない。てか、雑菌とか寄生虫とか、基地に持ち込むのは少々よろしくないんじゃないかしらん。後で消毒洗浄が必要になるかも。

 その辺のことを尋ねてみると、基地に戻ったら、洗浄する前に一度サンプルを採取しておきたいとのこと。毛玉種の生態はほとんどわかっていないらしく、わたしが目撃したときの映像などと併せて研究したいそうだ。


『そろそろお迎えが到着するはず』


 遠くに輸送ドローンが見えてきたので、わたしは発炎筒をつけ、ついでに上空に向けて信号弾を撃った。

 輸送ドローンはまっすぐこちらに向かってきたので、両手を大きく振った。


 ひゅい~~~んと甲高い音を立てて輸送機が着陸した。今度はちゃんと乗せてくれるらしい。開いた後部ハッチから乗り込んだ。

 そうして、基地04に戻って洗浄した後、数時間の飛行でインシピットへと運ばれた。



 インシピットで騒ぎが起きたのが、昨日か。それから月面行って、シンプソン仕留めて、軌道上で迎撃して、そんで大気圏突入してと、なんかものすごく慌ただしかったような気がする。これでようやくひと段落ついたんかねえ。

 ちょっと疲れた。精神的に。

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