2:05 狂信

【File:Personal Information】


Name:Simpson, Charles J.

Sex:Male

Age of death:42

Country:United States

Assigned:WorkDiv. Group #02 Chief Engineer



 チャールズ・ジェイコブ・シンプソンはアメリカ中西部の農家に生まれた。

 見渡す限りのトウモロコシ畑を見ながら育ち、ハイスクール卒業後はそのまま実家で本格的に農業を手伝っていた。

 四二歳のときに癌で亡くなる。死の三ヶ月前に行われたスキャンによって、仮想体となる。

 その後、農業経験者として初期のニューホーツ開発プロジェクトに勧誘され、参加する。ゾンビ・アポカリプスの影響で計画が大幅に変更されるよりもずっと前のことである。開拓団の中では古参の部類といえる。


 プロジェクト参加当初、彼には異世界の開発事業に疑問や不満を抱いているような素振りはまったく見られなかった。むしろ、人類の新しい一歩に参画できることを誇りに思う、と周囲の人間に意気込みを熱く語っていたほどだった。





【インシピット村 食糧生産プラント】

Mar.19 10:32


 事業部第二班は農産を専門としており、チャールズはそこの班長チーフを務めている。

 彼が実家の大規模農場で栽培していたのはトウモロコシで、あとは小麦を少量育てていた程度である。それ以外の作物は経験がなかったのだが、それでも団員には農業経験者が少ないため、彼が班長になっている。


 第二班は試験農場と食糧生産プラント双方で農作業をしている。試験農場での作業は春から晩秋までで、今の時期は春からの作業に向けた予備的な作業が中心である。

 食糧生産プラントでは合成胚から苗を育て、種子を採集している。


 プラントは四階建てで、そのうち三、四階が作物栽培用に割り当てられている。広いフロアには多段ラックが整然と立ち並び、各段には各種作物が植えられている。

 普通、この種の施設では葉物野菜以外は適さないと言われるが、現状では効率よりも可能な限り多くの品種を育てることが重視されているため、いろいろと工夫をして多種多様な作物を栽培していた。


 朝から班員たちで手分けをして、生育中の作物を見て回る。異常がないかチェックし、必要があれば処置を行う。ある程度育ったところで収穫したり、あるいは苗を別の場所に植え替えたりする。今日のところは収穫するのは配給用のモヤシのみだ。


 この時間は彼にとって至福だった。植物はいい。癒される。こうして作物の世話をしている間だけは、不快なことを忘れていられる。


 モヤシを穫り入れて笊に入れ、一階の受け渡し用の棚に置いた。他の部署で生産されたスード・トーフ豆腐モドキと培養肉、それと試験農場で採れたものを挽いた小麦粉も、数量と状態を確認してチェックを入れた。

 ちょうどそこへ、ホムンクルスがやってきた。


「シンプソンさん、おはようございます~」

「……ああ、ミス・サトー」

「今日の分の食材、受け取りに来ました~」

「……いつもの棚に置いてある」

「ありがとうございます~」


 にこやかで能天気なホムンクルスに対し、チャールズは感情を押し隠し、極力平坦な声で応える。


 載っているミス・サトー個人については、とくに含むところは何もない。なかなかに面白い人物だとは思うが、それだけだ。

 彼女は神の威光を理解しない邪教徒ではあるが、それを言えば、チャールズとて信仰に目覚めたのは最近のことだ。人のことを言えた義理ではないだろう。そして、仮想体であることの罪深さはチャールズも同様である。


 問題はホムンクルスだ。神の領域を侵して造られた忌まわしい贋作、紛い物の生命。


 幸い、ハイラスには表情というものがなかった。彼にはポーカーフェイスの技能などない。仮想体では思っていることが顔に出てしまっていただろう。

 今はまだ、腹のうちを誰にも悟られるわけにはいかない。





 元々、チャールズは宗教にはほとんど無関心な男だった。

 両親が敬虔な信者だったため、両親に連れられる形で教会での礼拝にはよく出てはいたが、それは彼にとって非常に退屈な時間でしかなかった。

 両親の話によると、生前の本来のチャールズは死亡する直前には神に祈りを捧げていたらしい。しかし仮想体となった彼にはそんな記憶はなく、自身が神に祈るなどという心境がまったく想像つかなかった。



 彼の信仰に対する態度が変わるきっかけとなったのは、ゾンビ・アポカリプスだった。

 仮想体の身には危険があったわけではない。だが、彼の両親はそうではなかった。


 地元の教会の牧師は、このゾンビ禍は神の裁きであり、神の意志に従うべきであると説いた。彼の両親もそれを支持し、ほとんど抵抗もせずにゾンビの群れに身を任せたのだ。

 チャールズに届いた最後のビデオ通話では、ゾンビがひしめく中で、目に涙を浮かべながらも陶酔した表情で、誇らしげに神への信仰心を語る両親の姿が映っていた。そして、断末魔の絶叫も。


 恐らくこれを見た時から、彼の正気は徐々に、そして確実に失われていったのだろう。



 当初は両親の思考が理解できず、苦悩した。だが、あまりにも非現実的で無慈悲なゾンビ・アポカリプスの被害が拡大していくにつれて、次第に牧師の考えに傾倒していった。


――これほどの、人智を超えた災厄を起こすことができるのは、神を措いて他にあるはずがない。だから、神は実在するのだ。この災厄は、神罰なのだ。


 彼はそんな風に考えるようになった。


 もちろん、にわか信者でしかない彼は、古くから教会が定めてきた本来の教義などろくに理解していない。聖書の内容などほとんどうろ覚えで、そこに書かれている神についても、ただ単に強力無比で絶対の存在という漠然としたイメージしか持っていなかった。


 世界が正常であったなら、彼は完全に異端として扱われていただろう。ただの狂信者だ。

 もっとも、終末の世界においては、彼のような狂った信仰は珍しくも無かったが。



 そうして彼は、自身が参加している開拓団についても、その意義に疑念を抱くようになった。


 仮想体は死してなお天に召されることなく、現世に留まり続ける不浄の魂だ。自身もすでに救われない魂となってしまっている。

 その穢れた魂の集まりである開拓団は、『主』も『神の子』も否定し、神の言葉を残し人々に伝えることさえ禁じている。

 さらに罪深いことに、自分達で宇宙を創りあげ、人を創り、神に成り代わろうとしているのだ。


 彼の狂信に追い討ちをかけたのは、遺伝子情報を元に家畜を合成する研究だった。

 今でこそ、畜舎ではその研究成果である家畜たちが元気に育っているが、最初から合成に成功していたわけではなかった。

 チャールズは古参としての立場から、その実験経過を逐一見守ってきたのだが、失敗作の多くは目を背けたくなるほど痛ましく悍ましい、醜悪なモノだった。まさに悪魔の所業としか言いようがない。

 ヒトがこのような悪夢のごとき惨状を造り出すことが、許されていいのか。


 さらに、彼はホムンクルスの製造過程も目にした。それがダメ押しとなった。むき出しの骨格とできかけの内臓を見て、彼は悟った。


 ――これは、こんなものは、ヒトが手を出していい領域ではない。こんな命を弄ぶような行為が許されていいはずがない。

 屍者が起き上がったのは、人類に神の審判が下ったからだというのに、まだ神に逆らおうとしている。

 神に唾する行為だ。到底許されざる大罪である。

 このような暴挙はなんとしても阻止せねばならない。

 そのためにこそ、神は彼をここに遣わせたのだ。これもが神の計画なのだ。

 すべては神の御心のままに。


 かくして、チャールズは自身に与えられた使を見出した。

 いろいろと理屈が飛躍しているのだが、その辺りは正気度SAN値が限りなく低くなった彼にとっては些細なことだった。『神』の名の前では、すべてが正当化される。狂信者なので。



 現状では、チャールズには開拓団を阻止するだけの力がない。

 彼はあくまで農業経験者としてここにいるだけであり、開拓団の方針を左右できる立場にはない。彼が異議を唱えたところで、決して停まらないだろう。


 だから、彼はどんな過激な手段をも辞さないつもりだった。元より話し合いは無意味なのだ。神に許しを請うべきタイミングはとっくに過ぎている。

 どうせ仮想体は本当の意味で生きているわけではない。自身も含め、どれだけ被害が出ようとも、気にする必要などないのだ。まやかしの世界仮 想 空 間に囚われ彷徨い続ける仮初の魂を浄化してやるのだから、むしろ感謝されるべきだ。


 恐らく機会は一度しかない。今のところ、開拓団は野生生物からの防御のみに注意が向いていて、内側に対してはほとんど無警戒に等しい。しかし、失敗すれば確実に警戒レベルが上がるだろう。次はない。たったの一度で完全に葬り去らねばならない。


 協力者も必要だ。彼は農業以外の分野にはとんと疎い。サーバーをクラッキングするような技術もないし、あるいは物理的に破壊するような手段も用意できない。

 誰かを頼らねばなるまい。秘密裏に事を進めるには、信仰を同じくする者でなければならない。幸い、最近は団内の規律が緩んできており、非公然ながら集会や礼拝も行われている。いずれ仲間も見つけられるだろう。


 そうして彼は、今は一作業員としての役目を全うしつつ、静かに機会を伺っているのだった。

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