第13話 帰還

 次の日になった。葵姫は落ち着かなくそわそわしていた。無事に紅之介が帰って来るかどうか・・・。外は春の陽気で明るく晴れ渡っていた。これなら今日、帰ってくるはずと思っていた。

 だが夜になっても紅之介は帰ってこなかった。葵姫は障子を開けていつまでも外を見ていた。


「姫様。そろそろお休みになっては。」


菊が声をかけた。時刻はもう夜半を越えていた。


「まだ帰ってこぬか?」

「はい。知らせは入っておりませぬ。多分、お城で様々なご用事がおありなのでしょう。きっと明日には帰って来られるでしょう。」


そう言いながらも菊も心配していた。葵姫から紅之介が麻山城に使いに行ったと聞かされて、彼女も嫌な予感があった。だが不安になっている葵姫にそんなことを言えるはずはなかった。


葵姫は寝床についた。なかなか寝付けなかったが、そのうち眠りについた。そこで彼女は夢を見た。


     ====================


彼女は麻山城の見える丘に立っていた。そこから見える城は雄大で荘厳な佇まいを見せていた。万代の兵がいくら押し寄せようともそれはびくともしなかった。


(いくら万代の兵がいくらかかってきても麻山城は落ちぬわ!)


葵姫がそう思ってみ見ていると門が開き、一人の侍が馬に乗って出て来た。その侍は万代の兵の中を突っ切ろうとしていた。


(紅之介!)


その侍は紛れもなく紅之介だった。彼は馬を見事に操り、兵たちを蹴散らしてこちらに向かってくる。


「紅之介! ここじゃ! 早く帰って参れ!」


葵姫が手を振って声を上げた。馬上の紅之介も手を振って答えていた。2人の距離はあと少しというところになった。ところが、


「ヒューン!」


風を切る音がして紅之介が矢に射られた。彼は胸を押さえ、馬から落ちた。


「紅之介!」


葵姫は駆け寄ろうとしたが、何かうまく走れない。その場を足踏みしているだけだった。紅之介は声も出せずに手を伸ばして葵姫に助けを求めている。葵姫は必死になってその場に向かおうとしたがやはり前に進めない。そのうち後ろから万代の兵が追い付いてきた。きらめく刃を紅之介に突き立てようとする。


「紅之介!」


           ================


 叫んだところで葵姫は目が覚めた。あまりのひどい悪夢に動悸がして息を乱していた。しばらく呆然とした後、はっとして葵姫は起き上がった。廊下に出ると、そこには紅之介の代わりに警護に来た弥兵衛が控えている。


「紅之介は?」

「まだ帰ってきておりませぬが・・・」


葵姫の慌てた様子に弥兵衛は訝しげに答えた。


「ではついて参れ! 麻山城まで迎えに行く!」

「お止めください。それは危のうござる。それにここからどれくらいありますことか。」


葵姫に言葉に弥兵衛は慌てた。いくら何でも無茶だと・・・。


「いいや、行く! 馬を用意せい!」


葵姫は自分一人で馬に乗れないのにそう声を上げた。その声に菊たちもそばに駆けつけてきた。


「姫様。落ち着いて下され。」

「紅之介様はそのうち帰ってきますから。」


だが葵姫は聞こうともしない。彼女は履物を履いて外に出ようとするが、弥兵衛や菊がそれを止めていた。すると外から馬の蹄の音が聞こえてきた。


「パカラッ! パカラッ! パカラッ!」


それは大きくなってきた。そして2頭の馬が屋敷の庭に入ってきた。乗っているのは重蔵と紅之介だった。2人が帰ってきたのだ。


「どうどうどう!」


紅之介と重蔵が馬をなだめて、そして下馬した。紅之介が離れの方をふと見ると、葵姫が外に出ているのに気付いた。


「姫様。」


紅之介はすぐに馬を重蔵に預けて、彼女の前に出て片膝をついて頭を下げた。


「姫様。麻山城からただ今戻りました。」

「・・・」


葵姫は声をかけようともしない。不思議に思った紅之介は顔を上げて愛姫を見た。彼女の顔は何かをこらえているように見えた。


「どうして私にも何も言わずに行ったのじゃ!」


ようやく発した葵姫の言葉は怒りが混じっていた。紅之介はまた頭を下げた。


「申し訳ありませぬ。火急のことだったため。お許しを。」

「許さぬ! 絶対許さぬぞ!」


葵姫の言葉は恨みがましかった。そしてまた言葉を続けた。


「許さぬぞ。私を一人にして。ずっとそばにいると申したのではないか。私は・・・」


葵姫はまた言葉を途切れさせた。紅之介は葵姫に心配をかけていたことを知り、また姫様が自分を気にかけてくれたことがうれしくもあった。


「姫様。ご心配をかけて申し訳ありませぬ。しかしこの紅之介、ずっと姫様のそばにいると誓いました。使いに出されても必ず姫様のそばに戻ってまいります。」


紅之介の言葉に葵姫は気を落ち着かせ、軽く息を吐いた。


「それより御屋形様に姫様の文をすべてお渡しいたしましたぞ。御屋形様はたいそうお喜びになり、このとおり文をお預かりいたしました。」


紅之介は懐から文を取り出した。それは紛れもなく御屋形様から葵姫に下された文だった。葵姫はそれを受け取って胸に当てた。そうすることで父のぬくもりを感じられるような気がしたからだった。そしてしばらくの間、葵姫はそのまま目を閉じていた。多分、彼女の脳裏には父の姿が浮かんでいたのであろう。


「姫様。私はこれで。頭領様にご報告に上がりますので。 また後で参ります。」


紅之介は一礼して立ち上がり、馬の方に向かった。


「紅之介。ありがとう。」


葵姫は紅之介に向けてそっと礼を言った。彼女の心は先程までのイライラ感は消え、幸せな気持ちに包まれていた。


 一方、役目を終えて帰ってきた紅之介の気持ちは暗かった。彼と重蔵は包囲する万代の兵を何とかやり過ごして、うまい具合に城に入ることができた。だがその城内の様子は悲惨だった。度重なる戦いで城門や塀は破壊されつつあり、兵たちの多くは傷つき無残な状態だった。そして御屋形様もかなりやつれていたように見えた。それでも愛する姫のために文を授けてくれたのだ。


(姫様にお会いすれば城内のことについて聞かれよう。だが・・・)


麻山城がその様な状態であることを紅之介は葵姫には言えるはずがなかった。御屋形様も葵姫を心配させるような文を書いていないだろう。葵姫に尋ねられたら差しさわりのないことを言うしかない。嘘だとしても・・・それが紅之介には心苦しかった。


(持っていった密書がどれほど役に立つかはわからない。すこしでも現状を打破できればいいのだが・・・。)


紅之介はため息をついた。春はもう過ぎようとしていた。


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