14.ダラシーノの動画配信


 あんなに帰ってこいと叱責していた矢嶋社長だったが、思いとどまってくれたらしい。


「矢嶋社長も葉子ちゃんの声が出なくなったのは、心因性だったと知ってショックを受けていたよ。こんな時に、交代のメートル・ドテルと入れ替えては、レストランに混乱が起きるだろうと、まだここに慣れた俺を置いてくれることになった」


『安積先生の予約は』


「あれからない。もし予約がまた入っても、通常のお客様として受け入れいる予定にしている。矢嶋社長も最初は、『篠田に会いに来る目的でレストランの回転をオーバーさせる予約を入れてくるから、それなら篠田を外してみよう』という対策だったけれど。逆に葉子ちゃんがいなくなったという状態で、様子を見てみようということになったんだよ。でも、もう来ない気がする。矢嶋社長もそう言ってる。十和田シェフもだ」


『どうして。だって蒼さんに会いたくて来ていたんだよ』


「まず、俺の上司にレストランにそぐわない客だと見られたかもしれないと気がついたこと。葉子ちゃんのクレープフランベは実は、接客ではなくて上司からのテスト実践をしていただけで、レストランの対応落ち度ではないのに、まるで落ち度があるように発言してしまったこと。あと、ハコの唄チャンネルが停まっていることで、先生もなにかが起きたと知って、それが自分がやってきたことと関係があるのではと知り、我に返っているかもしれない――。行き着くところまで行ったので、もうなにもしてこないのではと判断されている」


 また心の中心部に食い込んだままの楔が、ズキズキと痛み始める。

 恋ではなかったのかもしれない。全部、葉子への憎しみだった?


 そう思うとやるせない……。葉子にダメージがあったことで終わったということ?


『それでも、蒼さん……。三月には帰っちゃうんだよね』

「そうだけど。希望としては、帰らないつもりだよ。こんな葉子ちゃん、置いていけるわけないでしょ」


 そう聞いて涙が出てきた。でも。


『蒼さんのキャリアを無駄にするような判断は絶対にしないで』

「わかってるよ。俺はそこまで駄目な男ではないと信じてほしいなあ。俺ってば、あのダラシーノよ? ハコちゅわん」


 急にダラシーノ的にふざけてきたので、次の言葉を一生懸命に打ち込んでいた葉子は噴きだしてしまった。


『やだ、もう!』

「わー! 葉子ちゃんが笑った! 久々に笑った!! ぎゅーってしていいかな、いいかな!?」

『だめ』

「もう~、厭らしい気持ちじゃなくってさ。兄貴のぎゅーなんだけど、師匠のぎゅーなんだけどっ」

『ちょっとまえに、ぎゅーってしてくれたの嬉しかった。忘れていないよ』


 メッセージアプリでそう伝えたら、せっかくダラシーノになってくれたのに、また大人の憂う男の目になってしまった。


「俺のこと、頼りない男かと」

『思ってないよ。すごく頼りにしてます』

「男として? 師匠として? なにもかも秀星さんに負けてる」


 初めて、真っ直ぐに問われ葉子は戸惑う。

 どう答えていいかわからなかった。


「ああ、そうそう。葉子ちゃんと話せるようになったら言おうと思っていたことがあったんだ」


『なあに?』


「俺に任せてくれないかな」


『 ? 』


「ハコのチャンネル。しばらくダラシーノが運営することにしていいかな」


『なんて説明するの』


「いまお休みをもらってると伝えてみる。まったく配信しないより、少し事情がわかって、視聴者もわかってくれると思うんだ。俺だけでも動いていれば、いつものチャンネルで維持できる。秀星先輩の写真集が出るまでは、チャンネルは維持したい」


『いいの?』


「もちろん。ここまで葉子ちゃんを追い込んでしまった一因が俺にあるから」


『ないよ』


 これまたスマートフォンで、自分の至らなさから来たという長ーい文章を打ちにくくて、すぐに伝えられなくてもどかしい。

 話せたら一気に伝えられるのに。イライラしながら文字を打ち込んでいると、目の前にいる彼からため息が聞こえてきた。


「もう、いいから、葉子ちゃん。自分を責める言葉を打ってるだろ。秀星さんが亡くなってから、たくさんのストレスを乗り越えて、いままで頑張っていたんだよ。いま自分を責めていると思うけれど、それも全部やめてくれ。次の俺の休暇には、どこか食事にいこう。な……。頼む……」


『頼む』と彼が口にした時には、向き合っている葉子の両肩を彼の両手が握りしめ、目の前で彼が頭を下げている状態だった。


『わかった。楽しみに待ってる。ココア、おいしいね。今日、アオイさんに会えて良かったよ。私も、今日から秀星さんの写真だけでも再開するね。チャンネルのこと、任せるね』


「よかった。うん、任せてくれ!」


 すこし元気が出てきた。

 こうして彼との時間が取れるなら、少しずつ気持ちが元気になってくると思えた。


 まだ心の奥に食い込んだ熱を持った楔は抜けないままだけれど。

 そのうちに溶けてなくなってくれるかもしれない。


 それから葉子は自宅にいる間に、ゆっくりと秀星の写真を眺めて、SNSにアップを再開。いままでどおりに、季節や写真の中の大沼の風景を解説するコメントも添えた。

 ぶら下がりのコメントに『ハコちゃん! よかった。活動再開なんですね!』、『唄は? 唄の配信がないよ?』、『体調が悪かったの? 無理しないで』――という温かいコメントが溢れた。いままでもそうだったが、余程でないかぎり葉子は返信はしない。でもやっぱり有り難かった。


 写真を再開すると同時に、『ダラシーノ』が唄チャンネルの活動を再開してくれた。


《おっはよー。まず第一弾、ダラシーノ担当で今朝の動画をアップしておきました。ひさしぶりにいつものポイントでの撮影だよ。見てねー》


 蒼からのメッセージを確認して、ゆっくりと過ごしていた葉子は、午前の遅くに自分の動画チャンネルを開いてみた。


 いつもより閲覧数ののぼりが早い? 普段とは違う数字が午前中に叩き出されている?

 ダラシーノが代理とはいえ、ハコチャンネルが再開したから?


 蒼がどんな撮影をしてくれたのか。葉子も閲覧をしてみる。


 晴れた青空に、冠雪の駒ヶ岳。そして白く反射する眩しい湖面、枝先が積もった雪で白い森林。今朝はそんな風景で、そこから始まっていた。

 でも強い風の音が入っている。


「おはようございます。そして少しだけお久しぶりになりました。ハコちゃんと一緒に活動をしているカメラマンのダラシーノです」


 蒼がどう自分のことを伝えるのか。葉子はドキドキしてきた。


「ご心配をおかけして申し訳ありません。実は、ハコちゃんの声がでなくなってしまいました」


 ……え?

 葉子はぎょっとする。それとなく体調を崩していると曖昧に報告するだけではなかったのか?


 蒼がダイレクトにハコの状態を伝えてしまっていた。


 ハコチャンネルが停滞している理由を、ダラシーノが包み隠さず報告している!


「診察の結果、心因性のものだそうです。ストレスから出なくなっちゃったみたいですね」


 当然、コメント欄の熱も沸騰していた。


*声が出なくなったって、どういうこと!?

*それで配信が停まってたのか! ハコちゃん、いまどうしてるんだよ!

*ずっとひとりで北星さんのために頑張っていたんだもん。そろそろ休んでもいいよ。少しずつ再開すればいいよ!!


 だいたい好意的なコメントが溢れている。

 ただライブ配信が終わった状態で、葉子はリアルタイムに見ていないので、必死に動画とコメントを併せて目で追っていると、蒼がとんでもないことを叫んだ声が耳に飛び込む。


「実は、北星さんの写真集が発売されることになっています!」


『なななな まだ私が伝えていないこと、アオイさん言っちゃったの!?』


 そう叫んだが、声はやっぱり出なくて、口元ではすはす息が漏れているだけだった。

 さらに動画の閲覧を追う。


「出版社から許可を得て、本日、情報解禁とさせていただきます。ハコちゃんの代わりに、僕、ダラシーノが頑張ってお伝えしていきますね!!」


 風景だけの映像に、蒼の元気の良い声だけが響いていた。

 それでも葉子は呆然としていた。いつのまにか蒼自身が出版社と連絡を取り合って、情報を共有して、しかも葉子のかわりに宣伝を担ってくれている。


*ついにハコちゃんがやった! 俺、ハコちゃんが北星さんのことを言い出す前の、ただただ唄っていた初期から知ってるから涙でてくる……

*疲れたんだよ。ハコちゃん! ここまで来たんだ。休んで、また北星さんの発売日を無事に迎えられるように頑張ろう!!


 コメントも続々と残っている。



 さらに葉子は、動画を再生させたままコメントを追うが、またもや蒼の驚く発言に出くわす。


「その写真集が発売される前に。皆様にきちんとお伝えしておきたいことがあります。いまここ撮影しているところ。チャンネル開設当初からずっとここでハコちゃんが唄ってきたことは、皆さんご存じだと思います。ハコちゃんがここでずっと唄っていたのは――」


 嘘、それも言っちゃうの!? ダラシーノ!!

 もうライブ配信はとっくに終わっている。もう止めることなどできない。撮影は終わっている。だけれど、葉子は両手で顔を伏せて唸る。やがて蒼が言ってしまう。


「ここが、北星さんが亡くなった場所だからです」


*え、え……。どういうこと??

*ハコちゃんが尊敬していたレストランの師匠がそこで??


 またコメントの数が爆発的に増えている。普段コメントをしない人まで『初めまして。お話を聞いて涙が出ました』と打ち込んでいる。


「ハコちゃんはここで追悼をするために唄い始めたんです。北星が写真を続けてきたように、ハコちゃんにも唄を続けて欲しかった思いが、ハコちゃんには残っているんです。師匠のように、プロじゃないけど好きなことを続けている。それを北星に伝えたかった気持ちから始めていたと思います。それだけではありません――」


 蒼のカメラ視点はずっと冠雪の駒ヶ岳に固定されいてるが、風の音が強く入っていた。それでも、蒼の芯ある声がきちんと聞こえてくる。


「それだけではありません――、お父さんが特別縁故者になるまでに閲覧数を少しでも増やして、数名でもいい、誰も見てくれなかった北星さんの写真を観てもらおうと決めていたんだと思います。その結果がいまの状態です。ついに写真集です。北星にはもう縁者がいないことは皆様、ご存じだと思います。それでも、北星の表現に対する精神にいちばんそばで触れたハコちゃんの思いがここまで続いた強さは、家族同然の師匠だったからです。だから、この形になったんだと、僕は思っています」


 コメントは、視聴者がいままで見慣れてきたその場所が、北星の逝去した場所と知ってショックを受けている人もいれば、泣いているというコメントも。やっぱりそんなことは胸にしまっておいて欲しかったというコメントも様々――。


 さらに、蒼は写真集に関して付け加えた。


「その写真集の最後に掲載される予定の写真は、北星の遺作です。ここで、その写真を撮影している時に逝去しました。北星が命を落とした撮影だったので、ハコちゃんも、写真の著作権を持っている特別縁故者であるハコちゃんパパも、もの凄く悩んだ末の掲載です。私たち関係者は批判も覚悟しています。ですが北星がどうしても撮りたかった、北星が常々口にしていた『僕のエゴ』の塊です。そこだけはご理解いただける方だけでも、ご理解くだされば幸いです」


 それも言っちゃうのか――と、もう葉子はノートパソコンに向かって座っている椅子の上で脱力していた。


 きっと……。葉子がストレスを抱えて説明するよりはと、思ってくれたのかもしれない。葉子の声がでないうちに俺が伝えて矢面に立つと蒼が……。


 葉子の目尻に熱い涙がこぼれてきた。


 蒼の動画はまだ続いていた。


「ハコちゃんにとって、北星との死別は突然のことだったから、ものすごくショックだったと思います。なのにその数ヶ月後にはここで唄い始めていたんです。皆さん、ハコちゃんがなにを言われても、ここで頑張って唄を続けて、北星の写真が注目されるようにきっかけを頑張って作って、ここまで来たことを知っていますよね。慣れないフレンチの世界に飛び込んで、給仕セルヴーズの修行をしながらです。走り続けてきたんですよ。この三年間。三年ですよ。そのハコちゃんが疲れ切って、声がでなくなるのも当然だと思うんですよ。ぼく、ダラシーノがしばらくの間は経緯をお伝えしていきますので、ハコちゃんのことはそっとしておいてあげてほしいと思います。北星の写真集の発売準備に専念させてあげたいので、唄はしばらくお休みにします。ハコちゃんの許可を得て、ダラシーノが代理を務めます、よろしくお願いいたします。北星の写真アップは毎日続けるとハコちゃんが言っているので、そちらもお楽しみくださいね! それでは!!」


 それでは!! と元気に切って、潔くそこで配信が終わっていた。


アオイさん……。アオイさん……。


 声がでないまま彼の名を呟いて、葉子は泣いていた。

 心が疲れ切ってしまったんだと、葉子から言えないことを、きちんと伝えてくれていた。


 コメント欄が沸騰しているが、温かいコメントには元気をもらって、批判的なコメントはもう、いままでどおり気にもならなかった。


 葉子はギターを持って、二階の自室を飛び出していた。

 時間はランチ開始前。11時。まだ間に合う。


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