■Launch(2)

「シゲさーん、いる?」

「おう、奥だ」


 〈コーシカ商会〉の社屋、地下一階。元々は駐車場だったスペースに、シゲさんの工房ガレージがある。アスファルトが剥き出しの壁にも、床にも、資材や工具、作業机が雑然と並ぶ。混沌としていながら、独自のルールで整理されたそれらの中を通って、奥に向かった。

 パーテーションで区切られた奥半分が工房のメインだ。机に座ったシゲさんは、背を丸めて手元に集中していた。邪魔しないよう、義足用の総合整備椅子メンテ・チェアに腰を下ろし、脚を伸ばす。整備椅子と短距離無線で接続したリンクスから、セルフチェックアプリが自動起動。義足の状況コンディションを測り始める。同時に、私も、網膜に浮かべたチェックシートを一項目ずつ埋めていく。センサーでは測り切れない、ユーザーの感覚を含めた質問が数十項目、ずらりと並んだ。


「シゲさん。やっぱりこれ、面倒めんどぃ」

「黙って、真面目にやれ」


 このやり取りも、何度しただろうか。ひとつひとつ、チェックは飛ばさぬように。シゲさん、怒ると本気で怖いから。とは言え並ぶ文字列を追う瞳が滑りがちになってきて、休憩、と視線を少し上げた。

 シゲさんはまだ机に向かい、年代物と見える拡大鏡を片目に付けて、手元を覗き込んでいる。節くれだった指先が掴んだピンセットが、信じられない繊細さで僅かに動いていた。集中した表情を浮かべる顔立ちはいかにも頑固そうな爺さんという感じで、短く刈り上げた真っ白な髪もその印象に一役買っている。


「……よし」


 ゆっくりと背を伸ばし、一息をつくシゲさん。拡大鏡を頭から外して、目元を揉んでいる。チェックリストの続きに戻りながら聞いてみた。


「何してたの?」

「お前さんの脚のパーツを弄ってたんだよ。ツァーンラート社め、精度はいい癖に、たまにとんでもないのを突っ込んでくるからな」


 愚痴のように言う声も、一仕事終えたからか、どこか満足げだ。立ち上がり、整備椅子に座った私の傍に立つ。視線は脚の接合部ソケットを真剣に見ている。


「チェックリスト終わったよ、シゲさん」

「見せろ」

「ラジオ付けていい?」

「好きにしろ。静かにな」


 リンクスを通して、チェックリストのデータを送信。シゲさんが手首に巻いた端末ウォッチを叩き、空中に情報を投影する。私が付けたチェックリストと、今も整備椅子と義足の間でやり取りされる情報が、画面に並んだ。即座に画面上にオレンジ色と赤色が踊り、シゲさんが調整チューンした整備AIがチェックすべき項目を挙げていく。

 その間に、信号を送って壁に掛けたラジオを鳴らす。今や郷愁を覚える米国訛りアメリカン・イングリッシュで、美しい女性の歌声が流れ出した。数学・情報分野でインドや東南アジアの人々が活躍する今、街で聞こえてくる英語のほとんどは印式英語ヒングリッシュだ。


「……ティコ」


 画面を睨んでいたシゲさんの喉から、唸るような声。


「てめえ、また無茶やりやがったな? 液状衝撃吸収材アブソーバーがほとんど残ってねえじゃねえか」

「壊れてないからいいじゃん」

「馬鹿野郎。いつも言ってんだろ。耐荷重とかそういうのは『そろそろ危険』じゃなくて『絶対超えるな』なんだよ。八割までに抑えろ」


 声は大きくないのに、不思議と怒鳴りつけるような迫力で聞こえる。これが年の功というやつだろうか。降参、というように両手を挙げて、気のない返事を返しておく。


「はーい」

「全く……」悪ガキを睨む目。「……記録ログだと出力は安定してるが、実際走ってみて、どうだ」

絶好調クール。最初は跳ね返りが強く感じたけど、次はもうちょっと高く跳べそう」

「あんまり反動バネを強くすると接続部がやられるからな。ちょいと緩めとくか」

「あと、多分軽いからかな。全速で走るとちょっとブレる気がする」

「……なるほど、ここか。揺れブレじゃなく、オートバランサーの効き過ぎが気に食わねえ、違うか?」

「そうかも」


 シゲさんのチェックは、丁寧で、的確で、ちょっと怖いくらい執拗だ。私の三倍くらい、私の義足について知っている。三週間かけて慣らしてきた義足は、全力運転とこの調整を経て、万全になるだろう。


「そういえば、次の仕事、聞いた?」

「何とかってぇAIの会社だろ」

「そ。AIって、良く解んないんだよね」


 リンクスを通して、Webに接続。検索エンジンに『AI』と放り込めば、初心者向けの解説がずらずらと目に浮かぶ。片端から、読み上げていく。


「人工的に作られた、知能。第四次AIブーム。貪欲ディープラーニング」

「Webで検索するにも、お前の脚を整備するにも、AIは働いてるけどな」

「ふーん」


 あまりにも気のない返事に呆れたのだろう。シゲさんが、情報を見ながら苦笑する。


「俺たち技術屋にとっては……そうだな。AIってのは、よくできた弟子、かな」

「弟子?」


 予想外の単語に思わず反応してしまった。動くな、と視線で制される。

 シゲさんの操作が、神経領域に触れる。脳裏に『メンテナンスモード要請:神経接続を遮断しますか』の問い。

 承認――太ももの中ほど、接続部ソケットから先の感覚が消え失せる。制御を失った義足がゆっくりと脱力していくのを見つめた。先ほどまでも力を抜いていたはずだけど、やはり『繋がっている』時と、接続が途切れた時では、様子は少し異なるように見えた。

 眠っている人と死んでいる人の違いかもしれない。


整備補助用人工知能こいつには、過去何年分か、俺が整備したデータを学習させてある。この数値はこれ以下じゃダメ。この項目はあの項目とセット。この画像の状態なら問題なし、って具合にな」

「ふんふん」


 シゲさんが握る工具が義足に触れて、外装を丁寧に開く。

 高分子材料を詰めた数千本のチューブが、私の筋肉だ。骨は軽く丈夫なセラミック。絡み付く黒いカーボンナノチューブの繊維が、意思を伝える神経系。膝や足首の関節では、細かな歯車とベアリングが精緻に噛み合っている。

 酸素と糖分カロリーの代わりとなるセラミック固体電池バッテリーが、左右の大腿骨に当たる部分から取り外された。


「そのAIに、お前さんが無茶してきた生のデータを食わせる。すると、俺がチェックしたいところを先に整理しておいてくれるって寸法だ」

「それで、弟子、かぁ」

「ああ。整備屋の仕事は誰がやっても、九割までは同じだ。残り一割に、勘が必要なんだが……それなりのAIなら、三ヶ月でモノになる」

「それってやっぱりすごいの?」

「俺は二十年かかったぜ」


 話しながらも、シゲさんの視線は揺らがない。新たに電池をはめ込んで、固定。工具が丁寧に私の脚に触れ、反応を確かめ、緩みを締め直し、ズレを整えてくれる。


「腕のいい人工知能技術者オラクルが組んで、きっちりデータを食わせたAIなら、人間より三段階は良い判断をするって話だ。〈コーシカ商会ウチ〉は扱うのが一品モノばかりだからまだ負けねえが」

「……凄すぎてよくわかんない」

「くはは。生まれた時からリンクスがある世代じゃ、そうだろうよ」


 液状衝撃吸収材が補充され、各部を工具の先端が優しく叩く。緩みや歪みがないことを確かめているというが、人間の感覚がそこまで鋭くなるものかと、私は半信半疑だ。


「よし」


 シゲさんが頷き、外装まで閉じる。丁寧に艶消しされた白い外装は、繋ぎ目がわからないほど滑らかにぴたりと嵌った。

 最後に各種数値を確認して、メンテは終了。神経接続を承認する。


「この瞬間がくすぐっひゃう! ……ったくて、嫌なんだよね」


 神経の繋がりを意識して確かめる。接続部、膝、ふくらはぎ、足首、指先。一瞬だけ――もう二度と動かないのではないかと、脳裏に不安がよぎった。本当に嫌なのは、何度メンテナンスを重ねても忘れられないその感情だ。けれど、そんな不安は一瞬だけ。問題なく繋がった神経から私の意思が電気信号として義足に伝わり、人工筋肉が収縮していく。

 ゆっくりと持ち上げて、下ろす。たったそれだけの動きを、数秒掛けて行った。


「完璧」

「たりめぇだ」


 整備椅子から立ち上がり、親指を上げるサムズアップ。シゲさんは付き合ってくれなかったけど、満足げに頷いてはくれた。

 両脚ずつ体重をかけ、屈伸、軽く跳ねる。動きは軽い。

 うん。


「これなら、都市のどこへでも行けそうだ」

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