第20話
「これじゃないかな」
支部に戻って、ヒメとジンはまず秋川のことを調べにかかった。
すぐにUGNのサーバーから報告書を見つけたらしいジンが差し出してきたタブレットをヒメはのぞきこんだ。
十年前のFHとの交戦について簡潔にまとまった報告書に、その事件に関わったと思わしき一般人を保護。気になるのは海が大荒れであったことぐらい。関連の報告書には秋川の護衛任務について二つ。一つは彼が街を離れたあと、要監視対象から一年ほどなにもなかったことから要の文字が抜かれてただの監視となり、注意人物とランクが落ちたこと。
ただし、五年前、彼がここへとやってきたとき、水に関する事件――噴水の爆発、大雨、海が荒れたこと、魚のようなバケモノに護衛していたエージェントが襲われたことから要監視対象として危険度のランクが再びあがった。
「今回、雨は降ってないわよ。海も荒れてないわよね」
調べものを長時間して疲れたヒメは目をこすりながら疑問を口にした。
「弱まってるんだと僕は思います。支部の研究者に石を調べてもらいましたけど、前回よりウィルスの数値が格段に下がってるって……もともとかなりのウィルスをため込んでいたようですが、月日がたつにつれて消えてるようですね」
「……そういう遺産ってあるの?」
「これは遺産とか、秘密兵器みたいな感染した何かじゃないってことだと思うんです」
「それってどういうこと、アタシにもわかるように説明して、ジンさん!」
ヒメが苦い顔をして声をあげてねだるとジンが苦笑いを零したあと、コーヒーを淹れて差し出してきた。
ソファに腰掛け、ヒメはじっとジンの言葉を待った。
前のソファに腰掛けるジンはコーヒーを一口すすったあと
「これはあくまで推測だけど、秋川さんの言葉が本当だとしたら、これは……人魚の残した一部で、もうその本体がいないから月日がたつにつれて薄れてる、とか」
その言葉の意味することがなんなかのヒメは理解して顔を強ばらせた。
「または本体と切り離されてるから……この報告書だと人魚については記載がないから、実際いたのかも曖昧ですし。当時の任務にあたった人たちもいないし」
「人魚を探す方法あるのかしら」
「海は広いから、けど、秋川さんとこの石があれば、もしかしたら……ぐらいかな」
期待を一切もたさないようにジンが注意して言葉を投げてくるのにヒメはこの世で一番嫌いな数学と向き合うときみたいに険しい顔で腕組みをしてうんうんと唸った。
明日は海に行く、と秋川は口にしていた。
最後のチャンス、もうここに彼は帰ってこないつもりだ。
「ジンさん、アタシ、なにができるかなぁ」
「なにかするつもりなんですか」
「そりゃあ、まぁ護衛?」
つい疑問形な言い方になってしまった。
「秋川さんは……あんまり期待してないようですよ」
「……そう、ね」
「ヒメさん、納得してないの声に出てますよ」
「だって、大切な人に……会えるなら、会いたいじゃない?」
もう会えない、けど会えるかもしれない相手を思う苦しみは知っている。ヒメにとっては初恋の相手がその人だ。何度だって傷ついて、苦しい思いをして、諦めなかった。諦めるなんて考えることもできないくらい、ずっと思っていた。けど、いずれ思うことに疲れて、忘れる道を選ぶ。生きているというのそういう薄情さがついてまわる。
「そう……でしょうか」
「ジンさん?」
「会いたいけど、会ったら困る人もいるかもしれない」
「……ジンさんにはいるの、そんなひと」
ジンが黙って曖昧に笑った。
会いたくて、会いたくて。けれど会ったら、もう引き返せない、決定的な何かが崩れて、壊れてしまう。だから恐れてる、そんな相手。
ジンにとってどんな相手なのか考えると胸がずきずきと痛む。
だって、それは特別じゃないか。
「あーーー、むり、こういうの」
ヒメは天井を見上げて声をあげた。
「会いたいならとりあえず会う努力はしましょうよ! 困ったら、それはそのとき考えましょう! そういうものじゃない?」
「……ヒメさんの会いたい人って誰です?」
「ジンさんよ」
ヒメはあっけらかんと言い返す。そのあとしまったと思いなおしてジンを見た。ジンが意外そうにじっとヒメのことを見つめたあと、矢継ぎ早に問いかけてきた。
「会ったあと困りました? イメージが違ったり、こんなはずじゃなかったりとか」
「ジンさん、わかってて言ってない?」
「うん。ヒメさんの口からききたくて」
「……嬉しかった。とっても、いまだって嬉しいから、ここにいるの」
じりじりと追い詰められた小動物みたいにヒメは白状した。
必死に食いつくようにして通い詰めて、ジンが許してくれて、こうして一緒にいる。
「諦めなくてよかったって思ってる。だって記憶のジンさんより、いまのジンさんのほうが素敵だし」
「……よかった」
ジンは口のなかにとっても甘い飴玉を含んだような、あるいはとろりとしたハチミツみたいな声にヒメはひぇと心の中で声を漏らした。
「ジンさん、そういうの勘違いされるやつ~」
「そうなんですか?」
「そうなのー! とりあえず、秋川さんに、今日のこと報告しなきゃね。なんか作って持っていくわね。ジンさん何食べたい?」
「……どうして僕に聞くんですか?」
「え、一緒に作ろうかなぁと思って」
朝と昼間は秋川のためのサンドイッチだった。夜はジンの食べたいものを作ろうと決めていた。
「……秋川さんも同じもの食べるんですか?」
「うん。まとめて作ろうかなって、そうめんとか楽よね」
ジンがあからさまに不満げな顔をしているのにヒメは目をぱちくりと瞬かせた。
「おそうめん嫌い?」
「いえ、そんなことはないんですけど」
「今日はジンさんの好きなもの作ってあげれてないし、ジンさんの食べたいものなんでも作るわよ?」
「僕の好きなもの?」
今度はジンが悩みはじめた。
「……あれたべたい」
「あれ?」
「白くて、噛むとじゅわっとする」
「じゅわ?」
「お肉と野菜がはいってる」
「うん?」
「ヒメさんが家にきたとき、はじめてつくってくれた」
「餃子!」
ヒメが膝を叩いて声をあげた。
「いいわよ。にら餃子作るわね。ジンさんも手伝って」
「……秋川さんの分も用意するんですか」
不満げなジンにヒメは苦笑いした。
「秋川さんはおそうめんにするわ。餃子はアタシたちだけね。だって具材がないし……秋川さんに報告にいったついでに買い物してもいい?」
「うん。いいですよ」
ジンの機嫌は一瞬だけ悪くなりかけて、ぐっと落ち着いた。
支部を出て秋川のところに報告に行く際、ジンがこみいった説明もあるから一人でやるというのでホテル近くのスーパーにヒメは一人で足を向けた。
秋川とジンはどうもウマが合わないようなので言い合いになる可能性も考えたが、そこはいい年した大人なんだから大丈夫だろう。
しかし内心、すごく気になる。そのせいでじっとキャベツを睨みつけてあれこれと考えてしまった。
「ヒメさん、まだ何か買います?」
また気配を殺して背後をとられた。
「ひゃあ! え、あ、ううん。材料は籠に入れたし、あ、ジンさん、おやついる?」
「おやつ?」
「スーパーにあるお菓子よ」
「食べたことない、かな」
「ジンさんってクールよねぇ」
おやつのやりとりで兄弟喧嘩が勃発するヒメにしてみると、ジンの必要なものだけ置くストイックさは憧れる。
「ジンさん甘いものも食べれる? 今度、ケーキ作ろうか?」
「ケーキ……作れるんですか?」
「意外と簡単よ。ジンさんの家のキッチン、必要なもの一通り揃えたからできると思う」
「……じゃあ、ヒメさんが作ったのは食べます」
ジンの言葉にヒメは苦笑いした。これは責任重大だ。
まず皮を作って、そのあと具にとりかかる。ジンは物珍し気に見てくるので、ものはためしに
「包むのやってみない?」
「いいんですか?」
「ジンさんならきれいに包めると思うのよねぇ。スプーンですくって、こうやるの」
目の前で一つ作る様子を目を細めて眺めたジンは器用にも同じようにやってのけた。ヒメがするよりきれいだ。
「すごいわねぇ、ジンさん」
「……ヒメさんはいやじゃないですか?」
「なにが?」
「教えたことを教えた人よりうまくできるやつって」
「うーん、むしろ、助かるかも? アタシ、こう見えて雑なのよ。細かいこと嫌いじゃないけど集中力が足りないから、ジンさんがうまいなら助かるわ」
「そっか。そうですね。じゃあ包むのやりますね」
単純作業が気に入ったらしく、二つ目、三つ目とどんどん作って、あっという間に餃子がいっぱいできてしまった。
ホットプレートを取り出して焼くとすぐにいい匂いが食欲を誘った。うまいことはねをつけてキツネ色に焼けた餃子をヒメが作った特製の甘いたれでいただく。
飲み物は紫蘇で作ったジュースの炭酸割り。甘酸っぱい酸味とあつあつの餃子を二人で平らげていく。
明日もあるから、とずるずるとひっぱられる形で泊まってしまった。家族にラインで報告すると、「ママにも紹介して」「気をつけなさい」「居つくなよ」のメッセージ。
昨日みたいにベッドに入ると自然と引き寄せられる。
普段は見えない鎖骨を間近で見て、呼吸のたびにジンを近くで感じると心臓が、きゅんと苦しくなった。
眠りについたあと、何時かわからない深夜にヒメは目覚めた。ジンの長いまつ毛に見惚れながら今更、夕飯のときの言葉の意味がわかった。気がする。
夜の帳が落ちるみたいに、この家にこくこくと広がる孤独や寂しさを肌で感じた。
眠っているジンの眉間が寄った。悪い夢を見ているのだろうかと不安になる。
夢を見ている人に話しかけると帰れなくなると死んだばあちゃんに言われた。何も出来ない無力感に苛まれ、背中に手をまわして撫でると、ジンの息が少しだけ長く、細く、零れ落ちる。
安らかな寝息が聞きながら、今更、ジンも人並みに孤独や痛み、どうしようもなさをずっと背負っているのだと思った。
この人を独りぼっちにしてはだめだと、唐突に、一番星を見つけた子供みたいにヒメは理解した。
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