第10話ケガニンバ・アヅガウ(怪我人を治療する)

「――おい、なんだか顔色悪いっきゃ気すで? 具合悪いあんべわりんでねぇが?」

「いえいえ、全然そんなことは……朝食美味しかったです、ごちそうさまでした……」

「無理言わなくてそわなくていい。今度からお前の口さ合うように作るべし、堪忍かにしてけろや」


事あるごとに謝ってくるオーリンには申し訳ないが、塩気がすごすぎてまだ舌が塩漬けになっているかのようだ。

まさかあんな塩辛いものを平然と食べる文化がこの大陸にあったとは驚きだが――一番驚いたのはオーリンがアレを平然と完食したことだった。

アオモリの人々は高血圧で体調悪くしたりしないんだろうか……などと考えながら、レジーナとオーリンは人通りの多い王都の道を歩いていた。


ここは通称ギルド通りと呼ばれる、王都でも格別に繁華な土地だ。

ここはイーストウィンドのような巨大ギルドが居を構える一等地とは違い、飲食ギルドだの賞金稼ぎギルドだの、中小規模のギルドがいらかを連ねている地帯だ。

オーリンと二人ぼっちの冒険者ギルドを立ち上げるにはやはりここいらから当たってみるのがよかろうということで、今二人はこの通りをそぞろ歩いているのである。


「しかし、相変わらず凄い人出ですね……」

「んだな。こらほど賑やがな土地は王都でも他にねぇべ」

「オーリン先輩、再就職するに当たってなにかツテはあるんですか?」

そんなものすたなものあるわげねぇべや。追い出されてぼんだされてまだ一日しか経ってねぇんだぞ」


そりゃそうだ、昨日までは再就職活動なんぞすると思っていなかった二人である。

とにかくこうやってギルド通りを歩き回り、口入れ屋の類があったら入ってみて、どこかのギルドが出している人員募集を探ってみるしかない。


しかし――レジーナは隣を歩くオーリンの顔を盗み見た。

オーリンは目を丸くしながら威勢よく声を張り上げる飲食店の店員を見ている。




「王都でばまんずふとのいるもだね……アオモリだばこったげのふとだがでんのばねぶたのどきだけだばて。もすわのきゃぐばてで王都ばひぱてあさぐってえば、なぼかちゃましどごだえってえづらどでんぶちまげるべな。ややや、やぱしかみさばふとぎゃりでもきてみねばまねもだな」

【王都というところは凄く人がいるものだな。アオモリであればこんなに人たちが出てくるのは祭りの時だけだろう。もし私の友達を連れて王都を紹介して歩くとなれば、なんて騒がしいところだろうとあいつらは大変驚くだろうな。あれあれ、やっぱり首都へは一回でも来てみなければならないものな】




大丈夫だろうか――レジーナは猛烈なアオモリ訛りを聞きながら不安に駆られた。

ただでさえ「何を言ってるのかわからない」と言われてギルドをクビになったオーリンである。

いくらこの人は無詠唱魔術の使い手なんですとレジーナが太鼓判を押したとしても、この言葉を聞いた時点で普通の人なら呆気にとられ、人間の言葉がわかる人間を連れてこいと言うに違いない。


本当に大丈夫なんだろうか……先行きの不安さにレジーナがため息をついた、その時だった。

どこかから悲鳴が聞こえ、レジーナはギルド通りの奥の方を見た。


「なんだや――?」


オーリンも顔を上げたその時、今まで買い物を楽しんでいた人垣がざっと割れ、その向こうからボロボロの有様となった人たちが数人、足を引きずってやってきた。

遠目から見ても半死半生の有様の影たちは、ううう、と呻き声を上げ、生ける屍のような足取りでギルド通りを歩いてくる。


「レズーナ、行こうあべぁ!」


オーリンの声に、レジーナも頷いて駆け出した。

そのうちの一人――一番の重症を負っていると思われる人物に駆け寄ったレジーナは、血と泥に塗れたその体を抱きとめた。


「う――あなたは……?」

「喋ってはダメ、私は回復術士です。あなたを治療させてください。――もし、そこのおじさん」


レジーナに言われて、口ひげが豊かな屋台の親爺がびくっと震えた。


「服を切り裂きたいんです、ナイフを貸してください。あと、衛兵たちに連絡をお願いできますか?」

「あっ、ああ……わかった。このナイフを使ってくれ!」


親爺に差し出された小ぶりのナイフを手に持ち、レジーナは手早く血だらけの服を切り裂いていった。

この傷は――レジーナは手早く怪我人を観察した。この傷はただの傷ではなく、どう考えても何か猛獣の爪にやられた傷だ。

致命傷になっていないのが不思議なほど、傷は深く、全身につけられていて、そのどれもが、まだ出血さえ治まっていない。


これは一刻も早く処置しないと危険だ――そう考えていた時、傍らにオーリンがしゃがみこんだ。


「レズーナ、お前は回復術士であったな? 傷ば治せるが?」

「わかりません……とにかく、この人は一刻も早く治療しないと……!」


上半身の服をあらかた切り裂いたところで――レジーナの手が止まった。

腹部に走った一番深い傷――レジーナはその傷の深さに息を呑んだ。


傷口から一部露出していたのは小腸だろうか――?

おそらく内臓まで達しているだろう爪撃からはどくどくと血が噴き出し、刻一刻と怪我人の命を削っているようだった。


これを治せというのか――レジーナは戦慄に震えた。

こんな傷、根本的に医者がなんとかするべき傷で、回復術士の魔法でなんとかなるものではない。

どうしよう、どうしよう――! 焦るレジーナに、オーリンが低い声で言った。


慌てるうだでぐな、レズーナ。お前だばきっど助けらえる」


落ち着いて、言い聞かせるようにオーリンの声に、ぐっとレジーナは奥歯を食いしばった。




悩むなくすな、なも心配するあんつごどねぇ、がついでるんだっきゃ、な?」




俺がついている――なんだか心強い一言に聞こえた。

すう、と息を吸い、覚悟を決めたレジーナは、小声で詠唱をしながら怪我人の傷の間にゆっくりと右手を差し込んだ。


「ぐあああ……!」


その想像を絶するだろう痛みに、怪我人が振り絞るような苦悶の声を上げた。

目を閉じ、詠唱も終え、出血点を脳内にイメージしたレジーナは――鋭く言った。




「【回復ヒール】!」




途端に、自分の手のひらから温かなものが流れ――怪我人の体内に、細胞のひとつひとつに浸透してゆく感触が伝わった。

どくどくと血を流していた傷がゆっくりと塞がり――粗方塞がったのを確認してから、レジーナゆっくりと右手を傷口から引き抜いた。

ほう、と、怪我人の顔が穏やかになり、呼吸も深く、安定してきた。

とりあえず、窮地は脱したと言っていいだろう。


詰めていた息を吐き出し、荒い息をついたレジーナは、のろのろと言った。


「なんとか血は止められたようです――後は医師の到着を待ちましょう」

「よしよし、できたでねぇが。ご苦労であった」


オーリンがふっと微笑み、そこでレジーナもやっと笑顔を浮かべることができた。


そう、なりたい自分になる。

人の傷を癒やし、命を助ける回復術士に――。

ようやくその第一歩が踏み出せたことに、レジーナはやっと達成感らしいものを味わうことができた。


「おい、回復術士さん! 終わったらこっちも頼むぜ!」


不意に背中から大声を浴びせられ、レジーナは振り返った。

そうだ、まだ怪我人はいるんだった――そう思って立ち上がった途端、膝から力が抜け、あ、とレジーナはその場に崩折れた。


オーリンが驚いたようにレジーナの肩に手を置いた。


「わい、どうしたなじょすた!?」

「ちょ、ちょっと魔力を使いすぎました――困ったな、想像以上に深い傷だったから……」


レジーナは緊張とは違う意味で滲んできた脂汗を左手で拭った。

くそ、五年も下積みしたのに、どうにも魔力量だけは思うように増えてくれない。


レジーナは悔しさに拳を握り締めながらも、なんとか立ち上がろうとする。


「おい、ダメだまねで! 魔力ば使いすぎて身体壊すぶきゃすど!」

「そんなこと気にしてられませんよ……! 救援が駆けつけるまで私が頑張らないと――!」

そんな事を言ってもんだたて――!」


そこまで言いかけたときだった。

オーリンがちょっと言葉を飲み込み、そしてレジーナの顔を見つめながら言った。




「そうだ。お前――【通訳】のスキルがあるんであったな?」



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