第7話マンツコグ・ビガビガジ・ホシコサ(眩しく輝く星に)

翻訳された文面を復唱する自分の声が、震えた。

待って、いくらなんでもそんなバカな。

この呪文には見覚えがある、この詠唱は、この言葉の連なりは――!




「ミジコバエトガマニナリ、ズカンハムガシゴトガラサキサバカッツギ、ソステアズマスグネマル。エパダダシャベゴトバフデコニヨッテカガサリ、ジャッパサナッテツカラバシメスベシ」

【水は一瞬に過ぎ去り、時は古より未来に追いつき、そして安寧に鎮座する。不可思議なる言葉はペンによって筆記され、欠片となりて力を示すべし】――。




どくん、どくんとレジーナの心臓が鼓動した。

この魔法は、魔法を齧る人間ならば誰でも聞いたことがある大魔法。

誰もがその名を追い、もとめ、そして心ならずも挫折することになるだろう――偉大なる叡智の欠片――。


この詠唱、この魔法は――!

レジーナが目を瞠ったのと、オーリンが言葉を発したのは同時だった。




「【暗夜終焉オヴァン・デス】――!」




これは――歴史に名高い闇の禁呪魔法――!?


その瞬間、レジーナは自分の目にしたものが信じられなかった。

必死に遁走するヴァロンの足元にゆらりと立ち上った黒い影が、まるで渦を巻くように足首に絡みつき、ヴァロンはもんどり打ってその場に転倒した。

それと同時にオーリンの立っている場所を中心として同心円状の影が地面に広がり、そこからわらわらと亡者のような人の形をした影が湧き出し始めた。

気が触れたような悲鳴とともに、寄りすがる影を蹴りつけようと足をばたつかせるヴァロンの抵抗虚しく、影は次々と人の形を成し、手を伸ばし腕を伸ばしてヴァロンの周りに殺到し始める。




「あぁ……あああああああ―――――――ッッ!!」




内臓そのものを振り搾るような悲鳴を発して、ヴァロンの身体がずぷりと影に飲み込まれた。

助けて、助けてくれ――! と涙さえ流しながら藻掻くヴァロンは、抵抗虚しく影の亡者に頭を掴まれ、地面に空いた漆黒の中へ引きずりこまれていく。


これが禁呪の力――通常の魔導士ならば、その習得はおろか、その真理の一端さえ垣間見ることもかなわないであろう、強大な魔法の姿。

この風采の上がらない青年が、最高位の魔導士ですら会得することが困難な「禁呪」の名を冠する魔法を行使してみせたことも驚きなら――Sランク冒険者を相手に満足に抵抗を許すことなく、いとも簡単に飲み込むその威力の禍々しさも、レジーナを戦慄に立ち尽くさせるには十分なものだった。


ヤバい、このままじゃ殺しちゃう――! レジーナは、闇に飲み込まれていくヴァロンを凶相のまま睨みつけているオーリンに言った。


「せっ、先輩! ヴァロンを――ヴァロンを殺す気なんですか!?」


オーリンは答えない。

返答がないことに苛立ったレジーナは立ち上がり、その背中を思い切りどついた。


「だっ、ダメですよ! ギルドの人間がギルドの人間を殺すなんて! ちょっと、聞いてるんですか!?」


それでも――オーリンは何も口にしようとしない。

レジーナの言葉が届いているのかいないのかすら、その表情からは全く読み取れなかった。

今やかろうじて頭だけ影の上に出ているヴァロンとオーリンを交互に見遣り、レジーナはオーリンのローブを掴んで揺さぶった。


「先輩、オーリン先輩! お願いです、やめてください! 先輩はこんなことをしに王都に出てきたんですか!? こんなすごい魔法が使えるのに、誰だって助けられる魔法を使えるのに、その魔法で人を殺すんですか!」


レジーナは半ば涙ながらにオーリンのローブを掴み、腹の底からの声で懇願した。




「落ち着いてって言ってるじゃないですか! 先輩、故郷のお父さんやお母さんに誓ったんでしょう!? いつか眩しく輝く星になってアオモリに戻ってくるって! だったらここで人殺しなんかになっちゃダメですよ! お願いです、どうか――どうかヴァロンを許してやってくださいッ!」




その一言に、フン、とオーリンが鼻を鳴らし、右手を降ろした。

途端に、ヴァロンを飲み込みかけていた影はゆっくりと消えてゆき――数秒後には、白目を剥いて失神したヴァロンだけが、えぐれた大地にぽつんと忘れ去られた。


ふわ……と、ヴァロンの一撃によって抉り取られた大地に、夜風が吹いた。

その夜風は、今まで死神であるように超然としていたオーリンの殺気を吹き散らしたように感じた。


「最初がら殺す気なんてねぇよ。――剣もねぐなった、自信もねぐなった。もうあいづは冒険者などできねぇべ。その方がいい」


それは確かに――レジーナはヴァロンを見た。

ヴァロンは白目をひん剥き、びくんびくんと痙攣しながら泡を吹いて失神していた。

よく見ればズボンの股間にもなにかの染みがあって――間もなくここに駆けつけるだろう衛兵たちにそれを見られれば、まず王都に居続けることなどできはしまい。


凄い。本当にS級冒険者に勝っちゃった……。


レジーナは呆然とオーリンを見た。

普通の冒険者でも、ひとつ上のランクの冒険者を力づくで倒すのは並大抵のことではない。

そうだと言うのに、ひとつ上どころか数段上の、しかもS級冒険者相手に。

国内でも名声を馳せる魔剣士相手に満足な抵抗を許すこともなく、無傷で完勝してしまうなんて。

無詠唱魔法だけではなく、この世に使える人間がひとりいるかどうかの禁呪さえ簡単に操ってしまう魔導師――。

一度発見されれば大騒ぎになるであろうそんな人間が、誰からの注目を浴びることもなく、国内でくすぶっていたという事実。

この朴訥な男の顔の下に隠されていた圧倒的な魔法の才覚、これをマティルダは見抜いていたのか――。


まだ半分理解の追いついていない状態で、レジーナは飽くこともなくオーリンの背中を眺め続けた。


ふう、とオーリンは空に輝く星を見上げた。

そして、きらきらと瞬く星空を見上げて、ぽつりと言った。


「わの親や友達けやぐがらも、あの星コが見えでればいいなえ……」


その一言に、レジーナも思わず星空を見上げた。

月も出ていない日の夜空は格別に美しく、何だかいつもより澄んで見えた。




「アオモリもんは誰でも強情じょっぱり――そうだ、そうでったな。も、なれるんだがな。あの星コみでぇに、きらきらギンガギンガ眩しいまんつこぐ輝く魔導師さ――」




オーリンが独り言のように言った。

レジーナはその背中に、遠慮がちに声をかけた。


「先輩、あの……」

「ああ、わがっでる」


オーリンは静かに振り返り、レジーナの顔を見た。




「王都でもう少し頑張ってけっぱってみねぇが、どいう話だべ? わがったって。お前が思い出させてくれだんだど。なりでぇ自分さなる――お前の言葉はその通りだべな。あの眩しくまんつこぐ輝ぐアオモリの星コさなれるまで……あど少しわんつか意地張ってじょっぱって意地張ってじょっぱって、王都で冒険者やってみるがなぁ――」




その一言に、わぁ、とレジーナは快哉を叫んだ。


「やっとその気になってくれたんですね! よかった! オーリン先輩、明日から私と二人、再出発ですね! よろしく!」

「ああ、の方からもお願いするでば。えーと……レズーナだったが。よろすぐな」


レジーナの差し出した右手を、オーリンがガッチリと握った。

レズーナ、か。相変わらず物凄く訛ってはいたけれど、初めて呼んでくれた私の名前。

それがなんだか気恥ずかしくて、レジーナはオーリンの顔から視線をそらした。


へばそうと決まればさっさちゃっちゃと帰らねばまいね。明日からは事務所探しだな。忙しくなるど――」


気恥ずかしかったのはオーリンも一緒であるらしい。

さっと踵を返して、オーリンは王都の中心の方へ歩き出した。

その後に続きながら、レジーナはずっと抱いていた疑問をぶつけることにした。


「ところで先輩、さっきの魔法ですけど――あんな大魔法、どうやって覚えたんですか?」

「何が?」

「だからさっきの禁呪魔法ですよ! あんなのこの国に使える人間が一体何人いるか……凄いじゃないですか。一体誰に教わったんです?」

「禁呪? 何喋ってらんだ、あれはアオモリでばリンゴ収獲用の魔法だね」

「は――?」


レジーナは目を点にしてオーリンを見た。

何がそんなに気になるんだろう、というような表情で、オーリンが言う。


「リンゴもぎは人手が無ぇばまいねがらな。あの魔法でいっぺんにがっぱどもいですまうのへ。戦闘で使うのは確かに初めてだったども――あれはアオモリだばそごらの爺様じさまでも使える魔法だど」

「えっ、ええ――!?」

「他にもニンニク手入れしたちょすたり、とうもろこしキミ植えだり、ベゴ集めたり――アオモリのふとが使う魔法でばそすた魔法ばっかりだ。こさなもんでいちいちたまげでだらアオモリではアホホジナシって馬鹿にされんど、お前」

「な、何言ってるんですか!?」




どうもアオモリという場所は、我々の常識など全く通用しない土地であるらしい。

アオモリとは、そしてツガルとは、一体いかなる魔境であるのだろう――。




こうして、ズーズー弁丸出しの魔導士、そしてクズスキル【通訳】を持つ新米冒険者、たった二人だけの冒険者パーティが、王都の片隅にひっそりと誕生した。



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