君に「要らない」と言われたとしても 4

 ネサクがルビーハヤブサに力を貸すことを再開したことで、戦いの天秤は一気に傾いた。

 しかし、キタはそれに拮抗する。

 スピード、パワー、共に上昇した魔人に、キタは異様に追随していた。


「はぁっ!」


「『ぐっ……!』」


 キタには奥の手があった。

 カイニに記名のページを持って行かれても使えた、冒険の書の応用が。

 偽勇者カイニには決して使えなかった、歴代勇者が自然と皆使っていた戦法が。

 『真なる刻の勇者』だけが持つ、本当の勇者にだけ使える力が。


開本オープン引出ロード、登録番号a12っ!」


───遺跡で罠にかかってダネカが死にかけ、必死に助けた時のこと


 キタの脳裏に記憶が、そしてその時の精神状態が蘇る。

 遺跡でダネカが罠で死にかけたあの時、キタは必死だった。

 必死ゆえに脳のリミッターが外れ、限界を超えた力を出せていた。

 脳のリミッターが外れるほど必死になった瞬間が頭の中に蘇ったことで、擬似的にまた脳のリミッターが外される。

 そうして、感覚と身体能力の限界を突破する。


 加速した魔人の紅剣を、脳のリミッターを外したキタの青剣が受け流した。

 魔人が町の南端の住宅街へと走り、その後をキタが追う。


開本オープン引出ロード、登録番号a13っ!」


───チョウを魔獣の炎から守るため必死に突き飛ばし、丸焼けになった時のこと


 脳のリミッターが外れたままでいることはない。

 外れたリミッターはまた戻る。

 ゆえに、また外す。


 また外されたリミッターがキタの速度を底上げし、疾走する魔人に追随する。

 魔人は家の壁と家の壁の間を跳び回り、キタを翻弄せんとする。

 鳥の絶滅存在ヴィミラニエであるがゆえに、翼が無くとも空中を舞うように飛び回って惑わすのはお手の物であるようだった。


開本オープン引出ロード、登録番号a14っ!」


───魔王軍の剣士を相手に、倒れたチョウを守って必死になった時のこと


 キタは、リミッター外しの重ねがけを行う。

 過去に必死になった時、脳のリミッターが外れた時、そういう時の精神状態の記録セーブ引出ロードし続ければ、脳は更に限界を超える。

 膨大な肉体の負荷と引き換えに。


 翼ではなく足で飛び回る魔人に、キタは追いつき、剣を振り下ろした。

 魔人は素早く身を捩り、紅剣を振るって切り弾く。


「『こいつっ……! まさか、を無理矢理自分の心に書き込んで、任意的に限界を超え続けているというのか……!?』」


「『……燃え尽きながら疾走する、蝋燭の勇者……なんて強く、儚い……』」


「ああああああああああッ!!」


 キタはこれまで、これを緊急性のある時のサポートにしか使ってこなかった。

 所詮凡俗が脳のリミッターを外した程度の身体能力。

 A級以上に相当する相手であれば、キタが勝てる相手はほとんどいないだろう。


 だから、黄金の戦士ダネカの決め技のサポートに使っていた。

 銀麗奴隷チョウが強敵にトドメを刺す時の援護の際に使っていた。

 闇黒の盗賊ロボトが不意打ちを決める時、囮になるために使っていた。

 夢追いのアオアが大技を使う時、無防備な彼女を守るために使っていた。

 そして終わったら、紅染の僧侶ヒバカに体を癒やしてもらっていた。


 今はもう、誰もいない。

 ゆえに有効性も大したことがない。

 燃え尽きる前の蝋燭のように、己を燃やして走るだけ。


開本オープン引出ロード、登録番号a15っ!」


───捕まった人質の皆を守るために、棘付き天井を素手で抑え続けた時のこと


 剣が空気の狭間を走る。

 紅い剣。

 青い剣。

 黒い剣。


 勇者と魔人の間で、一呼吸の間に、凄まじい数の剣閃が走る。


 剣が振るわれ、ぶつかり、火花が散って、また振るわれる。


「うおおおおおおオオオオオオッ!!」


 アオアはキタにキタが勇者であることを隠していたが、この力を過去の勇者が使っていたということは、よく知っていた。

 勇者のこの力には、魔道の時代にはもう名前が付いていたという。

 ゆえにアオアは、この力の名前だけを教えていた。

 その名も『自傷は自焼に斯く在りきオーバーライトブースト』。

 勇者の宿命と在り方を示すような、燃え尽きるように力を底上げする裏技である。


 キタは止まらない。

 止まれない。

 一度でも発動を止めればもう動けなくなる。

 これはそういう奥の手だ。


 脳が後先考えずに過剰に稼働している。

 五感はオーバーロードし、無理をして限界を超えた性能を発揮している。

 神経は全力で電気信号を送り出し、いつ焼け付くかも分からない。

 鍛え上げられた筋繊維が千切れながら力を出し、桁違いのトルクを生む。

 生み出された力で骨は軋み、関節は悲鳴を上げている。

 肺と心臓は壊れそうな勢いで動き、疲労で止まれば死をもたらすだろう。

 全身が熱を持ち、血液成分は加速度的に悪化し、細胞は擦り切れていく。


 けれど、一人であるから攻めきれず。


「『もっと戦意を上げろ、人間! 力が足らん!』」

「『もうやってる!』」


 絶滅存在ヴィミラニエは、二人であるから凌ぎきっていた。


「っ」


 キタが己の決め手の無さに歯噛みする。

 カイニの魔剣を借りても、敵がこんなに弱体化していても、この様。

 あと少し。

 あと少しだけ、届かない。


開本オープン引出ロード、登録番号a16っ!」


───魔王軍に操られたチョウを取り戻すために、チョウと戦った時のこと


 記憶が力をくれる。

 限界を超えた力を。

 しかし、拮抗に留まる。

 思い出は力をくれるが、思い出の力で最強になれるというものもでもない。


 振り下ろした紅剣が、切り上げられた黒き魔剣を、一方的に押し切った。


 火花が、記憶が、散っていく。

 力を引き上げる記憶が、光の粒子となって外へと漏れ、魔人の目に『救い出されたチョウが泣いて謝りながらキタを抱きしめている記憶』が見えた。

 魔人は鼻を鳴らした。


「『その仲間と共に此処に来ていたなら、少しは違っただろうにな』」


「あいにく昨日追放されてね。もうあっちは僕を仲間と思ってないみたいなんだ。もう顔面ぶん殴られてボコボコにされて追い出されちゃったくらいでね」


 魔人は一瞬、キタが何を言っているのか分からなかった。

 だが、すぐに理解する。

 理解して、大笑いした。


 魔人も理解したのだ。

 キタが、自分を捨てた仲間達との記憶に縋り、キタを捨てた仲間達との記憶を力にして、限界を超えて戦っているということに。


「『……は、ははっ! お前を捨てた仲間との思い出にすがって戦っているというのか!? なんというみじめさだ、とても勇者だとは思えん! お前を捨てた者達のことを今でも嫌いになれないというのか!? なんという情けなさだ!』」


 魔人は半ば本音で、半ば挑発で、そう言った。

 魔人の中には、キタに同情する気持ちもあった。

 だがそれ以上に、『もっと怒って忘れたい記憶にしてしまえばいい』という気持ちもあった。


「『要らないなどと言ってきた者には、相応の応報をしてしまえばいいのだ。無慈悲に誰かを捨てた者には思い知らせてやればいい。ざまぁみろと言ってやればいい。そんなことも分からない貴様は、延々と無為に苦しみ続けるしかない』」


 絶滅生物は、世界に、人に、『要らない』と消し去られた者。

 『必要だから絶滅させないようにしよう』と願われなかった者。

 世界の有り様から追放されてしまった種族だ。


 ルビーハヤブサは、世界から追い出された種、ゆえに憎んでいる。

 よって、キタにもそう在って良いのだと言う。

 怒っていいと。

 憎んでいいと。

 復讐を願っていいと。

 キタに自分を重ねるようにして、滅びた鳥は言葉を紡ぐ。


 それに対して、キタは首を横に振って、寂しそうに笑んだ。


「失った仲間を、今でも大好きでいることって、そんなに変なことかな」


「『───』」


「だってさ、仲間と過ごした昔が楽しかったんだ。しょうがないじゃないか」


「『……う……っ……ぐっ……、……っ、……!』」


「嫌いになれない。忘れられない。みじめったらしく、今も思い出してるんだ」


 その言葉は。


 900年経った今なお、仲間を取り戻そうとするルビーハヤブサの意思に、深い共感と同情を生み出してしまった。


 一人になりたくない。

 置いて行かれたくない。

 仲間と一緒に居たい。

 何度も楽しかった時を思い出してしまう。

 そう思う気持ちを、ルビーハヤブサが理解できないわけがない。


「『だから、取り戻したいと、そう思うはずだ! 過去を変えてでも!』」


「その結果、数え切れない人々が犠牲になるなら、僕は変えようとは思わない」


「『!』」


 そうだ。

 だから。

 光の神は、生まれた時の彼を選び、その身に冒険の書を与えた。

 この心こそが、勇者が勇者である資格。


「皆の今を皆の明日に繋いでいくのが、『明日への靴』の誓いだからだ」


 青き剣が振るわれる。


 魔人は肩を覆っているルビーで弾く。


「『明日への靴』の戦う理由は、過去であってはならない」


 黒き魔剣が振るわれる。


 紅き剣が切り払い、横へと弾く。


「未来のための靴で在れ! それが『明日への靴』の誓いだ!」


 黒き魔剣が、ルビーの剣を巻き込むように捉え、横に流す。


 間髪入れず全力で切り上げられた青き剣が、魔人の頬を切り裂いた。


「『くっ』」


「だから……過去の悲しみを覆そうとする君達の味方はできない」


 剣音。

 剣閃。

 剣戟。

 両者の息もつかせぬ連撃が、そこにある空気を切り刻んでいく。


 剣と剣がぶつかり合う剣閃模様の僅かな隙間に、キタは咄嗟に蹴り込んだ。

 半ば反射的に行ったそれが胴のルビーの隙間に突き刺さり、魔人が呻いて、魔人の体が後方へと飛んでいく。


「過去は未来に進む力をくれる。けど、過去は過去だ。過ぎ去ってるんだ、それは。過去のために未来の多くを犠牲にするなんていう非道は、誰も許してくれない」


 少しばかり、距離が空いた。


 魔人は、流れがキタの方に向いて来たのを感じる。

 魔人はキタの目を見た。

 魔人を真っ直ぐに見ている目。

 魔人を見下してなどいない、憎悪も憤怒も侮蔑もない、真摯な目。

 魔人を一人の存在として見て、誠実に向き合おうとする目だ。


 その目を見ていると、ルビーハヤブサは、胸の奥がざわざわとしてくる。


「こんな話は一般論だ。滅ぼされた君達にとっては慰めにもならない」


「『……そうだ』」


「僕は正義なんかじゃない。僕が勝つべきとも言わない。戦おう、絶滅存在ヴィミラニエ


「『……』」


「勝った方の種族が地上に残る。ただそれだけ。それでいいじゃないか」


 ふっ、と魔人は笑った。


 ルビーハヤブサは、なんとなく、自分の肩に入っていた力が抜けていくような、そんな不思議な気持ちを感じていた。


「『哀れなほど優しい男だ。その言葉の本音は……愛した女を失った男と、絶滅した無様な鳥を、言葉の上でも強く否定したくないからだろう?』」


「……」


「『敵も全否定できない刻の勇者。これも、勇者らしいと言うのか』」


 種族に対する最大の否定が、絶滅させることならば。

 最大の肯定とは、何になるのだろうか。

 ルビーハヤブサは今、そんなことを考えている。

 戦いの中で、無関係のようで、関係のあるようなことを。


 『共に生きよう』と言われることなのかもしれないと、ルビーハヤブサは思った。

 特に何の理由も無しに。


 この勇者なら我々にも言ってくれるのだろうなと、ルビーハヤブサは思った。

 特に何の理由も無しに。


 戦っていてずっと心地良いと、ルビーハヤブサは思った。

 その理由は分かった。

 勇者キタが、ルビーハヤブサの嘆きを否定しないからだ。

 許されないことだと言いながらも、彼らをこき下ろしたりしないからだ。


 キタは自分の正しさを主張して、自分の正しさを主張するために、他人の主張を見下すということをしない。

 それが、絶滅した種族として在る彼の心に対し、とても優しく触れていた。


「『お前は、勇者に向いていない。お前が真なる刻の勇者だとしても。刻の勇者が、自分の正しさを疑うな。絶対の敵の心など慮るな。お前は……いや、いいか』」


 ルビーハヤブサは何かを言いかけ、それを噛み潰し、吐き捨てた。


 最後に選ぶ選択肢が同じなら。

 ルビーハヤブサがキタに歩み寄る選択肢はない。

 歩み寄る権利もない。

 敵にしかなれないのだから、続く言葉を発することに意味はなかった。

 だから、言わない。


 ネサクもまた、ルビーハヤブサの心に触れているからか、何か思うところがあったようで、紅き剣を地面に突き立て、口を開く。


「『なあ、勇者くん』」


「なにか?」


「『カエイの居ない未来なんていらない。君が守る未来になんて生きていたくない。この悲しみと共に終わっていきたい。そう私が言ったら、どうする?』」


 ネサクは、キタに問いかける。


 沼の底を探る手のような、そんな問いかけだった。


 キタはその問いを切り捨てず、バカにせず、軽く扱うこともなく、瞼を下ろして真剣に考え、そして誠実に答えた。


「僕はこれまで、色んな人と出会ってきた。僕と出会った後に死んだ人がいた。大切な人を殺された人がいた。かけがえのないものを失った人がいた。魔王軍に何もかも壊された人がいた。だけどその人達は、僕よりもずっとずっと強かった。だってその人達は、悲しみを乗り越えて、明日を生きようとしていたんだ。だから」


 キタはネサクの目を見て、真っ直ぐに言った。


 目いっぱいの想いを込めて、心からの言葉を乗せて言った。


「生きてくれ。大切な人を失った後も。悲しみを味わった後も。その先を」


「『───』」


 人と鳥が混ざった顔で、魔人が微笑んだ。


 悲しそうに、辛そうに、嬉しそうに、虚しそうに、憧れるように、微笑んだ。


「狂おしいほどの後悔を、悲しみを、乗り越えて、生きてくれ。未来を」


 キタは優しく、強く、熱く、ネサクに語りかける。

 望むように。

 願うように。

 乞うように。


 ネサクは、もうひとりの自分を見るようにキタを見た。

 彼の言うようになれた自分もあったのかな、と思いながら。

 生きてくれという言葉に、嬉しく思う心があった。


 ルビーハヤブサは、太陽を見るようにキタを見た。

 こうはなれないだろう、と思いながら。

 生きてくれという言葉に、共に生きることはできないという悲しみを覚えた。


「僕は辛い思いをした人にこそ、その先で幸せになってほしい」


 言葉が優しかった。

 声色が優しかった。

 態度が優しかった。

 想いが優しかった。


「そんな人が頼れる自分で在りたい。そんな人が未来に進む支えになりたい。辛い今から少しでも救われた未来に歩いて行ってほしい。後悔を乗り越えてほしいんだ」


 ここは始まりの街チカ。


 沢山の冒険者達が、人生の第一歩を始める場所。


 いくらかの挫折した人達が、また人生を始め直す場所。


「そんな人の靴になるんだって、相棒と誓い合ったから」


 ネサクの心は穏やかだった。

 ルビーハヤブサの心もまた、穏やかだった。


 キタの言葉には、彼らの心を穏やかにするものがあった。

 穏やかになった心に、染み渡っていく何かがあった。

 心のどこかに、暖かな気持ちが湧き始めていた。

 キタとの対話の中には、相手を言い負かすだけの会話には絶対的に存在しない透明な何かが、溢れるほどに詰まっていた。


 ネサクは、深く、深く息を吐く。

 勇者。

 キタとカイニ。

 勇者と呼ばれる者達。


 カエイは偽の勇者カイニを、自らの命と引き換えにしてでも救った。

 ネサクが待ってくれていたのに、それでもなお、そうすることを選んだ。

 真の勇者キタとの対話を経て、ネサクは答えが返ってこない問いを呟く。


「『カエイ。君はどんな気持ちで、勇者に命を預けたのかな』」


 問いに答えは返ってこない。

 だけどネサクは少しだけ、ほんの少しだけ、カエイの気持ちが分かった気がした。


 勇者の代わりに自分を犠牲にする、という気持ちが。

 自分を捨ててでも勇者を未来に残そうとする、という気持ちが。

 勇者に生きて幸せになってもらいたい、という気持ちが。

 そう思ったであろうカエイの気持ちが。

 ネサクにも、少しだけ理解できるようになっていた。


 ネサクに自覚はない。

 自覚はない、が。

 それこそが、ほんの僅かなネサクの救い。

 対話を通し───それがネサクにとってどれだけの救いであるかは、今のネサク自身にすら、分かってはいない。


 少しだけ、カエイが大好きだった昔のネサクが、帰って来ていた。


「『我が半身、愚かな人間、ネサク。お前が愛する者を失った後の世界は、お前が思っているよりも案外、お前に優しかったのではないか?』」


「『……今更、翻意を促したりする気か?』」


「『……ふん。いや、忘れろ。どうでもいいことだった。人は滅ぼそう』」


「『ああ。ここまで付き合ってもらったお礼だ、ルビーハヤブサ。人間を滅ぼして、君達は蘇って、この世界を面白おかしく生きてくれ』」


「『はっ……それは、なんとも懐かしく、甘美な夢だな……』」


 ネサクは一度心が折れた。

 だから魔人の力は半減した。

 絶滅存在ヴィミラニエは、人の後悔と絶滅種の怨念で成り立つ時の天敵。

 人の願いが折れてしまえば、その力は発揮されない。


 それでも、ネサクは戻って来た。

 まだ戦っているルビーハヤブサを見捨てないために。

 心は泣き叫びながらも、まだ歯を食いしばっている相棒のため、戻って来た。


「『さあ、決着をつけよう勇者くん。泣いても笑っても、これで終わりだ』」


「止まれませんか」


「『どうなんだろうね。止まりたいのかな。止まりたくないのかな。止まれないことだけは分かる。もう自分で自分が分からない。ああ、でも……』」


 ぼうっ、と。


 ネサクは、夢現を吐き出すように、想いを語る。


 その心はもう、狂気の酔いから醒め始めていた。


「『……私はカエイが本当に好きだったんだな、って、そう思った』」


「……」


「『世界を滅ぼす理由も、滅ぼしたくない理由も。全部カエイだ。カエイの願いを無にしないために生きたい私も、カエイに報いるために世界を滅ぼしてしまいたい私もいる。私は……自分で自分が分からなくなってる……だから……』」


 夢より現に帰って来た男は、苦しみ、苦しみ、苦しみ、そして。


 進むべき道を教えてくれて、支えてくれた、相棒を助けることを決めた。


「『今だけ、この奇妙な縁で繋がった相棒に力を貸すことだけ考えたい』」


「『───』」


「『現実逃避と言われるかもしれない。もっとカエイの心と向き合えと言われるかもしれない。まだ狂ってると言われるかもしれない。愚かしさの極みと言われたってしょうがない。でも。……滅びたくない、またこの世界に生きていたい、そんな彼の願いを……私だけでも、応援してあげたいんだ』」


 ルビーハヤブサが、息を呑む音がした。


 キタは優しげに頷く。


「言わないよ、そんなこと、僕はね。相棒って、たぶん善でも悪でも、気付いたら力を貸してやりたくなるもんだから。その気持ちは分かるつもりだ」


 ダネカのことを思い出しながら、キタはそう言った。


 相棒。

 切っても切れないもの。

 助け合う内になっているもの。

 互いを信頼し合うもの。

 運命を共にするもの。


 長い人生の中で、奇跡と幸運の果てに出会う、たった一人の運命。


「『フン。こんな人間の相棒なんぞ頼りにならなすぎて要らん』」


「『君に要らないと言われても、私は君の願いに力を貸すさ。最後まで』」


「『……』」


 ルビーハヤブサは沈黙し、思考し、何かを考え込んで、空を見上げる。


 絶景の空ではなかった。


 けれど、まあまあ綺麗な空だった。


「『感謝する、ネサク』」


「『いいんだよ、相棒』」


 キタが冒険の書を開き、引出ロードを行い、準備を始める。


 ネサクもまた、己が心を言葉に発し、心の形を整えていく。


「『ごめん……ごめんよ、カエイ……君のために世界を滅ぼすとも……君のために世界を守るとも言えない……ただ、君に触れたい……君に会いたい……君と話したい……そんな自分勝手なことばっかだ……私の君への愛は本物だったと信じたい……でももしかしたら……偽物の愛だったのかもしれない……分からない……でも』」


 魔人の瞳に、炎が宿った。意志の炎。選択をした者の心の炎だ。


 密かに涙を流す魔人の瞳に、戦う男の瞳の炎が宿っていた。


「『だから今は、君以外の誰かのためにも、私は力を尽くしたい』」


 カエイは、カエイ以外の人にも優しいネサクが好きだった。

 たくさんの人を笑顔にするネサクが好きだった。

 友達を大切にするネサクが好きだった。


 そして、友達に大切にしてもらっている時のネサクが好きだった。


 友達に大切にしてもらえる理由を、献身を振りまくネサクが好きだった。


「『ネサク。世界を滅ぼすついでに……時間を改変し、最後の最後に一度、必ずお前を、お前のカエイに会わせてやる。それまでに涙を拭っておけ』」


「『え』」


「『確かめさせてやる。お前の愛が、本物だったかどうかくらいはな。まあどうせ本物だろうが……歴史を変えて生存したカエイとやらに、無駄に確認してこい』」


「『……ルビーハヤブサ、君は……』」


 魔人が、地面に突き刺した紅き剣を引き抜く。


「カイニ。君がこれまでやってきたことを知った。君のこれまでの苦しさと頑張りを知った。こうなって初めて、君の気持ちが分かった。だから明日からは……うんと大切にして、甘やかして、幸せにしてやるからな。待ってろ」


 キタが青い双剣を投げ捨て、上着も投げ捨て、魔剣を両手で握り込む。


「『名乗れ、勇者。お前の代わりに戦った偽の勇者は、決闘の作法を知っていた。これは歴史の勝者を決める戦いだから、と。名乗れ。お前こそが、刻の勇者だ』」


 ルビーハヤブサがそう言って、キタは頷き、慣れない口調で名乗り上げる。




「カイニの信じた刻の勇者、キタ」


「『ルビーハヤブサの剣、ネサク』」


「『ネサクの翼、ルビーハヤブサ』」




 魔人の全身が赤く輝く。

 残り全ての力を使って、ルビーの剣にルビーを集め、巨大化させる。

 今できる最大、最速の一撃。

 赤い光で全身と剣を加速させ、魔人は叫び疾走する。

 振りかぶられた紅い剣が、大気を猛然と切り裂いていく。


 君はひとりじゃないと、そう告げるように、魔剣クタチが唸った。

 カイニを主に選んだ魔剣が、カイニが愛した男のため、渾身の魔力を振り絞る。

 キタの体が、魔剣の死ぬ気で加速する。

 この魔剣は殉愛の魔剣。

 貫かれる女の純愛がために此処に在る。


 剣が、振られる。


 剣が、振られる。




 決着は、一瞬だった。






 男が膝をつく。

 勝敗は決していた。

 勝者に剣は届かず、敗者には剣が届いていた。

 最後の一太刀は、敗者の力を根こそぎ断ち切り、その願いを潰えさせた。


 勝者と敗者は、明確に決する。


「『なんと、愚かな』」


 膝をついたルビーの魔人が、自身を嘲り、嘲笑する。


 見上げる先には、最後の最後に、心の強さで競り勝った勇者の姿。


「『人間に、相棒と呼ばれ、助け合い、支え合い……その結果……ほんの僅かであっても……などと……過去からの復讐者であるこの私が……思ってしまうだなどと……なんて……無様……』」


 倒れる魔人。地面は、悲しいくらいに、土の味しかしなかった。


 キタは魔剣クタチを撫でて礼を言い、魔人を見下ろす。


「少しだけ、おやすみ」


 苦しくとも、悲しくとも、辛くとも。

 冒険の書に記録した精神状態を引き出し、『誰かの願いを踏み躙る勇気』を蘇らせて、時を正しい形に修正し、過去改変を否定する。

 『どんな時でもかわいそうな敵に同情してしまう優しい者』に、『敵を無情に打ち倒す決意』を追加して、躊躇いを消し去ることだってできる。

 それが、冒険の書という力。


 勇気をもって、願いを殺す者。

 冒険の書より、常に敵を否定する勇気を引き出す者。

 過去の勇気を道具として使い、優しさによる躊躇いを踏み越える者。

 悲しみの決断と共に在る彼らを、古代の者達は、こう呼んだ。


 『ときの勇者』と。


 ときを守り、己が心をきざむ。


 自傷の疾走を、生まれた時から義務付けられた、優しき者達。


 だから。


 から剣先を鈍らせる『やさしいわるもの』には、負けない。


 決して、負けないのだ。

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