皓也も大好き

「ねえ皓也、成績上がるかな?」


 一つ一つ分からないところを潰していくときに、俺は不安になって思わず訊いた。


「このまま頑張れば上がるよ。少なくとも分からないところを潰していけば必ず点につながるはずだから」

「そっか……。――勉強って、そんなに嫌じゃないかもな」


 分からないところが分からないまま先に進んでも、雲の中を歩いているような感覚だった。授業中に分からなくなって先生に訊いても、教えてくれるのはその単元だけでもっと前から分からなくなっている問題の解決には至らない。


 計算問題はやり方さえ覚えてしまえばできるけれど、文章題は理解していないと解けるわけがない。わけがわからないまま手探りで解いてみても、たまたま一問か二問あっているだけ。

 だから、俺は数学が嫌いだった。いくらその単元を理解しようとしても、前の単元の内容が十分に理解できていないとすぐに行き詰ってしまう。


「よし、これだけ解いたらおしまいにしよう」


 いつの間にか日は傾いていて、時計を一瞥すると七時になろうかというところだった。部活が終わって五時半過ぎに皓也の家に行ったから、一時間半程度は勉強していたことになる。


「そうだね。――うわあ、難しいやつだ」


 方程式は、問題の中の何が等しいかを見つけることが大事だと教えてくれた。等しいものが二つある場合は、どちらが式を立てるのにふさわしいか見極めなければならない。


「これ、さっきのやつの応用版だよ。等しいだけじゃなくて、全部の条件に共通して存在するものを等式にしなきゃ」


 等式はできても、少数が混じっていて解いていくだけで一苦労だった。しかも解がそのまま問題の答えにならない。

 悪戦苦闘しながら、それでも俺はあきらめずに問題に向かった。ここで負けてたまるか、という意地があったのだ。


「――できた!」


 考えること約十分。ようやく答えを導き出した俺は思わず叫んだ。皓也が答えの冊子を一瞥し、赤ペンを手に取る。――合っていてくれ。俺は祈るような気持ちでペンの軌道を見つめた。


「……正解っ!」


 皓也は言って大きく丸をつけた。


「やったあ……」


 初めて自分で完全に理解して、解けた問題。脳天に抜けるような爽快感があった。思わず机にだらりと倒れこむ。


「ね、勉強って楽しいでしょ」

「楽しい、のかなあ……」

「陸玖は、頑張れば絶対伸びる。――そうだ、成績上がったら何作って欲しい?」


 成績上がったら、作って欲しいもの――。


「……皓也の作った蒸しパンが食べたいなあ」


 俺は食べ物の中で卵が一番好きだ。皓也の作った蒸しパンは、甘すぎなくて優しい味がする。そう言うと、皓也は噴き出した。


「え、そんなものでいいの? もっと手間のかかるものでいいのに」

「いいの。俺卵大好きだから」

「ほんとに可愛いなあ、陸玖は。――いいよ、作ってあげる」

 皓也はぼそりとつぶやいた。言ってから、なぜか耳まで真っ赤になっていた。


「ありがとう。皓也大好き!」

 そう言って、俺は思わず皓也に抱きついた。


「……大好きとか、好きな女子に言いなよ……」

 皓也はなぜか寂しそうな顔になってぼそりとつぶやいた。


「好きな女子、か……」

 言われてみれば、女子など考えたこともなかった。俺は少し考えこむ。誰かいるかな。女子となんてほとんど話したこともないし興味もなかったのだ。


「……でも、皓也大好きだからっ。週末も来て良いよね」

 言葉に詰まって俺がもう一度言うと、予想に反して皓也はいいよ、とだけ言ってもっと寂しそうな顔になった。なんでだろう、嫌いって言ったわけじゃないのに。


 週末に部活の朝練があったけれど、脳裏に皓也のあの顔が浮かんで集中できなかった。


市川いちかわ! 集中しろ! 外周追加するぞ!」

 村瀬先生の怒声がバスケットコートに響く。結局一年は全員外周三周追加になって、上の空でひたすら走っているうちに三周はいつの間にか終わっていた。


「おい陸玖、大丈夫か? お前今日なんかおかしいぞ」

 クールダウンでバスケットコートまで歩く道中、後ろから追いついてきた同級生の井本いもとが並んで言う。

「大丈夫だよ」

 俺は答えながら、頭の中では今日も部活終わった後に皓也に勉強を教えてもらう予定だったことを思い出していた。


 皓也、なんであんな顔したんだろう。


 俺、変なこと言ってないよね。


 怒ってる?

 

 なんで?

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