秋の勉強

 秋は、俺が一番好きな季節だ。暑くもないし、かといって寒いわけでもない。しかも食材が豊富だから、皓也がおいしいものを作ることが増える。栗とかさつまいもとか、かぼちゃとか。


 そんなことを思っているとコンコンと窓を叩く音がした。目をやると皓也が窓の前に立っている。

「あ、皓也」

 つぶやいてガラガラと窓を開けると、甘い匂いが漂ってきた。

「陸玖、かぼちゃでケーキ焼いたけど食べる?」


 料理が趣味だという皓也は、よくお菓子を作ってはおすそ分けをしてくれる。特に秋は食材が豊富なので、彼が台所に立つ機会も増えるそうだ。


「食べる食べる! ありがと皓也」

 俺は裸足で庭に下り、つま先立ちで歩いて皓也の家の縁側に飛び乗った。

「一応、お茶も淹れたから……」


 窓から皓也の家に入ると、かぼちゃのいい匂いがした。すでに皿には一切れずつ切ったパウンドケーキが載っていて、切り口からかぼちゃの粒が見えた。

「すごいよこんなの作れるなんて」


 俺はもちろん、母さんでもケーキなんて焼かない。やっぱり皓也はすごい。料理もできるし、お菓子も作れるし、勉強もできる。俺にないものを全部持っている。

 皓也はティーポットから二つのカップにお茶を注いだ。俺が知っている紅茶とは違い、色が薄くて黄色っぽかった。


「ああ、これはジャスミン茶」


 疑問が顔にも出たのだろうか、皓也は説明した。なるほど、言われてみれば香りもジャスミン茶のそれに近い。


「そうなんだ。――皓也は何でも知ってるんだね」

「そんなことないよ……さあ、食べよう」


 フォークを取ってケーキを口に運ぶ。舌に優しい甘みが広がり、俺は少しの間噛まずにその甘みを味わっていた。


「どうかな……」


 皓也が不安そうに訊いた。俺は何も言っていなかったことを思い出し、慌てて口を開く。


「ご、ごめん。すごくおいしいよ」

「ほんとに? 変な味しなかった?」

「しないよ。おいしすぎたから、頭から言葉が吹っ飛んじゃった」

「それなら、良かったけど……」


「あ! 頭から布団が吹っ飛んだ!」

「……くっ」


 自分でもくだらない駄洒落――文字通り「駄」洒落だと思ったけど、皓也は笑ってくれた。


「はは、あはははっ。だめだ、面白い……っはは、ひいい」

 滅多に声を出して笑うことのない皓也が体を捩らせて笑っている。笑いすぎて目尻には涙さえ浮かんでいた。

「もう陸玖、面白すぎるよ」


 やっと笑いが収まった皓也はジャスミン茶を一口飲んで、冷めちゃったと顔をしかめた。

 ――面白い、って。俺は自分が面白いと言われることがほとんどない。何か言うたびに滑ってしまうのだ。俺を面白いと言うなんて、そんなもの好きは皓也くらいなものではないだろうか。

 でも、そう言われて悪い気はしなかった。


「ああ、本当だ。変な味はしないね」

 皓也は自分でも一口かぼちゃケーキを食べると安心したように言った。皓也の笑いに気を取られてその存在をすっかり忘れており、俺は慌ててフォークを手に取った。


「ねえ、皓也って行きたい高校とかあるの?」

 かぼちゃケーキを食べ終えた俺は、何の気なしに訊いた。

「まだ完全には決めてないけど……」


 皓也は愛知県の中でも進学校である名古屋のとある学校の名前を挙げた。


「やっぱり皓也はすごいね」

 定期テストはいつも五位以内に入っていて人に教えるのも上手な皓也。それに対して俺はいつも三百人ほどいる一年生の中で百位かそこらだ。

「そんなことないよ……。言ってるだけじゃ受かんないし」


 本当ならば、俺も行きたいと言いたい。でも、今の成績を考えるととてもそんなことは言えない。


「陸玖は? 都心の高校行くの?」

「無理だよ、俺馬鹿だから。市内でいい」

「勉強すれば伸びると思うけどなあ」


 勉強は嫌いではないが、好きでもない。大して行きたい高校があるわけでもなく、どこかに行ければいいやと思っていた。当然やる気なんて起きず、成績も中の下だ。


「――じゃあ、勉強したら皓也と同じ高校に行けるの?」


 勉強って楽しいのかな。今までの分からないところが少しずつ少しずつ積み重なって、いざ勉強しようと思ってもすぐに壁にぶち当たる。宿題として出される毎日の家庭学習も多い量はできなくて、夏休みの宿題などはいつも皓也のお世話になっている。


「それは、陸玖次第だよ」

 皓也はそう言って微笑んだ。もともと細い目がもっと細くなって糸みたいになる「無理だ、って言うと思ったのに」

「無理じゃないでしょ。勉強したら誰だって成績上がるよ」


 皓也は頭がいいからそんなこと言えるんだ。才能は関係ないとか言う人に限って大抵はその分野で優秀な成績を収めている。


「……じゃあ、勉強教えて」


 俺はむきになって言った。なんでだろう、皓也を困らせたいわけじゃないのに。

 そういえば、皓也は無理だ、とか嫌だ、とかほとんど言わない。幼稚園のころから一緒にいるけれど、思えばあのころから皓也は何を言ってもにこにこしていた。そのせいか、無性に意地悪してみたくなった。


「いいよ」

 俺の期待は見事に裏切られ、むしろ嬉しそうに皓也は即答した。


「もう嫌だー!」

 俺は思わず叫んだ。ああ、だからうるさいってみんなに言われるのか。

「どうしたのいきなり。変なものでも食べた?」

「違う! 変なものって、皓也が作ったんだろ! もう知らん! 皓也の馬鹿っ!」


 俺はやけくそになって叫んだ。自分で言ったくせに笑いがこみあげてきて、俺はげらげら笑いながらフローリングの床を転げ回った。皓也はやっぱり怒らずに、困ったような表情をしながらそれでも笑っていた。


「ねえ、勉強ほんとに教えてほしいの?」

 笑いが収まった俺に皓也は言った。

「ええー……。勉強嫌いだよ。でも、そろそろちゃんとやらなきゃまずいよなあ……。」

「うん、まずいよねー。やったあ、ついに陸玖、勉強やる気になったかあ」


 皓也はにやにやしながら嬉しそうにしている。たまに皓也が分からなくなる。普通人に勉強を教えるなんて面倒くさいと思うだろうに。


「はいはい、やる気になりましたよ! もういい、明日帰ったら教科書とか持って皓也の家行くから!」

  夏休みも終わって中間テストが近づいてきている。さすがにテスト数週間前になったら俺でも勉強する。しかし、今までと同じやり方では平均点程度しか取れないだろう。


「そりゃよかった。待ってるよ」


 こうして俺は、半ば丸め込まれる形で皓也に勉強を教えてもらうことになったのである。

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