皓也side

 夕食を食べた後、イヤフォンで音楽を聴いていると寝間着姿で陸玖は窓を開け僕の部屋に上がり込んできた。我が物顔でベッドにごろりと寝転んだので、僕は隅の方に浅く座る。


「あれ、何聴いてるの」

「二胡だよ。中国や台湾の弦楽器で、ユーチューブに動画があるんだ。――これは、『晩安曲』だね」

「晩安、曲……?」

「台湾に昔からある歌で、『おやすみの歌』って意味だったかな。聴いてみる?」


 イヤフォンを片方耳から引き抜いて陸玖に渡す。彼はしばらく二胡の音色に耳を傾けていた。


「ねえ皓也。好きな人いないの?」


一重なのにぱっちりとした猫のような目がこちらに向き、本日二度目の問いが放たれた。

 いないわけではない。でも、言えない。

 なぜなら、僕の好きな人は――。


「いない、よ」


 湧き上がる想いももどかしさも全部胸の奥に押し込んで、僕は表情が変わらないように努めながら言った。そうだ、いないんだ。伝えることのない想いは、初めからないのと同じ。

 そう自分に言い聞かせるようにして「うん、いない」ともう一度繰り返した。


「とか言ってどうせモテるんでしょ、このっ」


 陸玖はにやにやしながら更に言う。


「モテないよ」


「絶対モテるって。勉強もできるし優しいし、かっこいいし」 


 ――勉強できるし、優しいし、かっこいいし。

 陸玖の言葉が頭の中をぐるぐる回った。


「………モテない、よ。かっこよくなんかないし……。」


 思わずうつむくと、身体中の熱が集まったかのように耳が熱くなった。


「どうしたの? 顔赤いけど熱でもある?」

「……っ、ない……」

「なんなんだよ。……もう十一時かあ。なんか眠くなってきた……」

「寝ようか。明日起こしてね」

「うん。皓也、一緒に寝よ」


 陸玖はこちらに向かって腕を広げた。


「……いいよ、床で寝るから」


 まだ僕の方が高いけど、陸玖は最近どんどん背が伸びている気がする。クラスでも後ろから二、三番目らしい。今僕が百七十に少し足りないくらいだから、大体百六十を超えたあたりではないだろうか。

 僕のベッドはシングルベッドだから、さすがに中一と中三の男二人では少し狭い。――というのは言い訳だけれど。


「いいから。なんでそんなこと言うんだよ」


 言い返せずに、僕は少し距離を取りながら隣に横になる。


「ん。じゃあ、電気消すね」


 陸玖は満足そうな顔をして電気のひもに手をかけた。パチンと音がして部屋は闇に包まれる。カーテンの隙間から差し込む月明かりが陸玖の顔を照らしていた。


 ――綺麗だな。


 色白の肌に、程よく整った眉。今まで気にしたこともなかったけれど、閉じられたまぶたの端にほくろが二つ並んでいた。よく見れば、寝間着の隙間から覗く首筋にもいくつかある。

 陸玖が寝返りを打ち、僕の背中に腕を回してくる。ほっそいな、本当に。顔も小さいし。バスケ部で鍛えられたのか、筋張っていて筋肉はついているけれど折れそうに細い脚。


 ――顔も整っているし、僕なんかよりもよほどモテるだろうなあ……。


 僕は陸玖みたいにぱっちりとした目をしているわけでもないし、初対面の人とすぐに仲良くなれるわけでもない。あの底抜けの明るさは僕には到底真似できないものだった。

 それに比べて僕は一重で細い目で、無口で、しかも料理とお菓子作りが好きという女子みたいな趣味で。唯一の取柄と言ったらテストではいつも上位五位に入っていることくらい――。そんな僕がモテるわけがない。


 高めの体温を胸に感じながら、思わず僕は陸玖の頭をぽんぽんと撫でる。シャンプーの匂いが鼻をくすぐった。僕の胸に額をつけた彼はもう寝息を立てている。それを確認して、僕は小声でつぶやいた。


「――陸玖だよ」


 俺の好きな人。


 最後を呑み込んだ言葉は、誰に届くでもなく宙ぶらりんのまま闇に消えた。

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