第1章 魔力駆動のパワードスーツ [1/3]

 東京都下某所。沙坂さざか那渡なとはモノレール終着駅の階段を降り、帰路を急ぐ。残業が長引き、時刻は夜の十時を回っていた。

 等間隔に並ぶ街灯が夜道を照らしている。歩く人の姿はごくまれで、自動車がときおり、街道を通り過ぎるばかりだった。


 斜め掛けにしたショルダーバッグのベルトを両手で握り、自然と速まる歩調で進む。自宅は、駅から徒歩で九分の物件だ。

 退勤がこんなにも遅くなることは、前の職場では数えるほどしかなかったなと、少し考える。自分なりにやむを得ない事情があっての退職だったため、選択を悔いるつもりも、まったくないが。


 那渡は女性だった。一八〇センチメートル近い上背。すらっとして垢抜けているというよりは、ひょろりとした薄い体格。

 短く切りすぎて毛先があちこち跳ね上がった髪の下には、丸い頬の顔にオーバルの眼鏡。仕事で会う人からは不本意ながら、軟弱な若者という印象を持たれることが多い容姿だ。

 閑散とした夜道をひとりで行くのは心もとない。できるだけ明るい場所を選びつつ、那渡は早歩きを続けた。


 二月の空気が冷たく澄んでいる。ダッフルコートとスラックスを通して、寒さが凍みた。

 進む先には山並みの影が見え、ひとり暮らしをしているアパートは、その手前にある。

 山から上は、星空だった。

 薄曇りながらも北の空でちかちか瞬く星々の中に、こぐま、おおぐま、カシオペア――教科書で見覚えのある、名の知れた星座を見つけることができた。

 ふと、学生時代からの親友のことを思い出す。

 遊びや学校の帰り道、いまと同じように星々を眺めながら、よく話を弾ませていた。


『――せっかくだから長生きして人類の文明が終わるまで見届けたいし、宇宙に出てよその銀河も覗いて回りたいよね!』


 などと壮大な軽口をたたき、彼女がはしゃいでいたのは、十年も前になるか、そこまでの昔ではなかったか……。

 那渡を『サカナ、サカナ』とあだ名で呼んでは、にかっと見上げてきた笑顔が思い浮かぶ。姓名をもじって意図せず付けられた呼び名だったが、決して嫌いではなく、今となっては懐かしい。

 その親友とも、前職を辞めた頃から連絡をおろそかにしてしまっている。思い切って、次の休日にでも電話をかけてみようか。どんな話題で切り出せばいいだろうか。


 変わらず足を進めつつも思索にふけりかけていたとき、行く手の空で、何かが閃いた。

 はっとして歩みが止まる。

 白い光が線になり、まっすぐ落ちていく。

 山の緑が一瞬だけ明るく照らされ、落下物は斜面へ吸い込まれたように見えた。

 地面が、空気が、細かく震えた。地震のような大きい揺れではないが、何秒間か振動が続く。

「……隕石?」

 那渡はあっけにとられ、その場で立ち尽くした。


−−−−−−−−−−


 衛星軌道から落下した柩が、質量を保ったまま山の中腹へ突き刺さり、周囲は衝撃でクレーター状に抉られていた。

 金属質の函はすっかり煤け、黒曜石のような外装板は砕けて散った。

 なぎ倒された草木の、ちりちりと焼ける音。焦げた匂いも漂っている。

 突如として函は重い音を立て、内側から真っ二つに裂けた。機能を全うした部品が分解して飛散し、中身が露わになる。


〝彼〟は、外の地面へ足を踏み出した。

 姿は人間の男だった。骸骨やミイラなどではなく、生々しい肉体。筋骨隆々とした体格。

 肩までの髪が乱れて垂れ下がり、顔を隠していた。

 暗闇の中、その髪は白に近い色で浮かぶ。

 彼は声を上げた。

 はじめは喉の奥を震わせる呻き声。やがて音量が増し、低い唸りが辺りへ伝わる。

 そして男は星空に吠えた。獣のごとき咆哮が、眼下の街並みへと轟き渡る。

 満月が、すべてを見下ろしていた。


−−−−−−−−−−


 那渡は遠くで動物の鳴き声を聴いた。荒々しく、知らない声だった。

 熊か狼の遠吠えだろうか。どちらも、近辺に生息しているとは聞いたことがない。だからといって、猪や狸が出せる声でもあるまい。

 強いて言うならば、ライオンの野太い雄叫びに近い気がした。


 もしかすると隕石が落ちてきて怪我をしたり、驚いたりしている誰かなのだろうか。生き物が困っているとすれば助けになりたいが、あの声量に見合うような大型獣であったなら、近づくのは危険だろうな……という考えに至った。

 那渡は結局こわくなって、自宅への道をことさらに急いだ。


−−−−−−−−−−


 灰色のセダンが、街道を飛ばしていた。

「さっきの光で、間違いないのか?」

 運転席の男性が問いを発する。答えは後部座席から返ってきた。

『はい。衛星函えいせいかんが落下した地点にて、増大する魔力反応を検出しました。磨道鬼まどうきの再起です』

 固有名詞を並べるばかりで要領を得ない回答に、内心いらつく。男は知らず知らずの内、ハンドルを握る手に力を込めた。


『ほぼ確実に〝ネムリ〟です』


 男が語りかけている相手は、人間ではない。後部座席の中央に座しているのは、大きめのアタッシュケースだ。いかにも金属の塊という外観をしており、実際に人体以上の自重をシートへ沈ませていた。

「どこに向かえばいい」

 アタッシュケースにはスピーカーと思わしき部品はないが、筐体の一部を振動させ、合成音声を出力してくる。中性的な、落ち着いた声だった。

『ネムリがサカナに接触する地点を算出しました。三分以内に、指定する場所へ急行してください』


 ダッシュボードの上に固定されたカーナビゲーション端末が、遠隔操作による干渉を受けて目的地を示す。後部座席で喋っているアタッシュケースの仕業であることは、明白だった。

〈実際の交通規則に従って、走行してください〉

 デフォルトの録音音声がカーナビから流れた。眉間に皺を寄せ、男はアクセルペダルを踏み込んだ。


−−−−−−−−−−


 棺の残骸を後にして、〝彼〟は走った。

 山の斜面を駆け、木々の間を抜け、道路に面した崖を飛び降りる。

 再生したばかりの肉体は本調子とは言いがたいが、問題ではない。

 町に出ると、そこかしこにある灯りが眩しかった。

 彼を目にした人間は驚き、声を上げる者もいたが、意に介す必要はなかった。

 体を慣らすように跳躍して人家の塀を越え、最短距離を突き進む。

 どこへ向かうべきなのか、迷うことなくわかる。すぐ近くに、標的の存在を感じていた。


−−−−−−−−−−


 那渡は、自宅まであと百メートルというところまで来ていた。

 途中何度も目を凝らして、先ほどの落下物があると思わしき場所を凝視してみたが、暗くて遠くてなにも判別できない。

 既に、なにかしらの情報が出回っているかもしれない。家に着いたらニュース速報をチェックしようと決め、路地の交差点に差しかかるときだった。


 何かの音が、聴こえた気がした。風を切るような音。

 何かの匂いがした。生臭い血の匂い。

 ふと足を止め、辺りを見回す。体ごと振り返っても、その何かは視界に入らない。


 那渡の背後に、降り立つものがあった。べたりと、裸足で路面を叩く音が鳴る。

 向き直ると男がいた。一切の衣服も纏わぬ、全裸の男だ。

 那渡の喉から、引きつった声が漏れた。びっくりして倒れ、尻餅をついてしまった。

 見上げれば、その男と目が合った。

 街路灯が上から男を照らし、逆光だったが不思議とよく見えた。

 伸びた白っぽい髪。ゆるくうねっているのが、ゴールデンレトリバーの毛並みを思わせた。


 髪の隙間から、男の片眼が覗いていた。

 深い穴のごとくに昏い瞳で、感情が読み取れない。

 濃厚な血の臭気。


 那渡は逃げることも、叫ぶことも忘れていた。

 男が片腕を振り上げた。

 五指を鉤爪のように立てた手が自分を狙っていると、那渡は理解した。

 暴力の矛先を向けられて身がすくみ、危険を感じても、抵抗ひとつできない。

 ぎこちなく手足を動かしてどうにか後ずさりする程度が、精一杯だった。


 次の瞬間、男が真横に吹き飛んだ。


 代わりに視界へ割り込んできたのは、灰色の自動車。

 男を跳ねた車は、那渡を素通りしたところで急停止した。

 跳ねられた男は、数メートル先で道路に手足を突いて着地する。

 運転席のドアを開け、別の男性が出てきた。こちらは、ちゃんと服を着ている。

 年齢は四十歳ほどだろうか。白髪まじりの頭髪と高めの鼻が印象的な外見だった。

 そして、目つきが鋭い。


「あんたがサカナか? 俺はカセだ」


 低い声で言いつつ、男性が手を差し伸べてきた。那渡は、その手を握り返すよりも先に手首を掴まれ、立ち上がらされた。互いの背丈は同じくらいだった。


「乗ってくれ! あんたを助けたい」


 そのまま彼はドアを開け、那渡の肩に手を回して車内へ押し込む。

 さからう余裕もなく、那渡は後部座席に収まった。ドアが外から閉められる。

 普段であれば、知らない車に放り込まれるこの状況こそが緊急事態だったが、裸の男から隔離され、彼女は若干の落ち着きを取り戻した。しかし奇妙なことに車内でもなお、血生臭さが薄れる気配はないのだった。

 那渡の左手に、ひんやりとした硬いものが触れた。


『はじめまして、サカナ』


 持ち手が付いていて四角く、声を発するので大きなラジカセかなにかだと思ったが、違う。明らかに、こちらへ向けて話しかけてきている。

「あ、はい……」

 古いあだ名で自分を呼んでくる金属製のアタッシュケースを、那渡は訝しんだ。思えば服を着ている方の見知らぬ男性も、同じ呼び方をしてきたのだった。


『――私は戦闘用パワードスーツ〝ハガネ〟です。あなたの脅威に対抗する装備となり、目的の達成を補助します』

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