5.

「あれ。響、最近ご機嫌だね」


 いつもみたいに母親が子ども部屋まで響に会いに来る。

「そうかな」

「うん。何か、全体的に柔らかい感じがする。何でか分からないけど……何か良いことあった?」

「ふふ。詳細は秘密だけど」


「新しい友達ができたんだよ」




「知的な友達さ」




 あれからというもの、あの本棚の町の奥。もう一つ次元をくり貫いた先にある彼の家に通う日々だ。

 毎日が安全に暮らせているようでとても安心している。

 彼から色々な本を教わった。

 谷崎潤一郎の『刺青』、江戸川乱歩の『人間椅子』、田山花袋の『少女病』……。

 まだまだその内容は響さんには早いねって時々ばかにされる。そんなことはない! って彼から取り上げて一生懸命読んでみるけれど、字や文章がちょっと難しくてすぐに断念してしまう。そしたらまた「あなたは子どもだから」とくすくす笑う。

 馬鹿にされてるみたいでちょっとイライラする。

 僕はあなたと同じ空間にいて話もしている。


 それにもう小学生じゃない。

 成人はしてないけど、大人な筈なんだ。


 そんなこんなで約一か月の殆どを彼と暮らした。

 外はすっかり冬の気温。紅葉は全部死に絶えた。


 * * *


 そんな優しくてちょっと生意気な彼だけど。

 僕にたった一つだけ、どうしたって明かしてくれない秘密を抱えている。


『良いですか、響さん』


『移動はあなたの自由ですがね、この部屋の戸だけは絶対に開けてはいけません。中を見ることは勿論、入るなど言語道断』



『だってあなたにはが無いのだから』



 そう言って彼はいついつでもその戸に厳重なる鍵をかけていた。

 その戸を僕は勝手に「虫の戸」と呼んでいる。

 安直だけどあながち間違ってもいないと思う。何故ならその戸に耳を付ければ虫の羽音が聞こえるから。――松虫鈴虫じゃない。本当にただの羽虫。コバエあたりが近いかもしれない。

 だから敢えて開けようともしなかった。気持ち悪いのは好きじゃないし、扉越しに羽音が聞こえる量の虫なんて考えたくもない。


 でも「ちから」があなたには足りないという彼の発言はいやに気になった。

 彼のいう「ちから」とは一体どういうもの?

 僕に「ちから」がないというのは僕だけ仲間外れにされているということ?

 いつまでも子ども扱いしてくるのもその「ちから」がないから?


 気になったらすぐに彼に聞くようにしていたが、この「虫の戸」関連の質問だけは微笑むばかりで絶対に答えてくれなかった。



 ――ある日虫の戸の鍵を、彼がかけ忘れるまでは。



 * * *


「――見たの?」


「響さん」

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