十二話


「う……?」


 ふと目を覚ますリリン。はっとした顔で起き上がると、そこは教会の個室だった。


(……な、なんでわたくしがこんなところにいますの? うぅ……やたらと頭が痛いですし、何故か記憶が曖昧ですわ――)


「――起きたようですね」


「はっ……!?」


 振り返ったリリンの視線の先には、メアルの姿があった。


「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ」


「大丈夫ですって!? 人間どもはわたくしたちの仇にすぎませんわ!」


「はあ。あれを見なさい」


「えっ……?」


 メアルに促されてリリンが窓の外を一瞥すると、そこでは配下のゴブリンたちが村人たちに混ざり、村長のマグナに素振りをさせられている光景があった。


「あ、あのおバカたち! あんなところで何をやっていますの!」


「あなたたちは負けたのですよ、リリン。もう、あなたはプリンセスではないのです」


「そ……そんなの出鱈目ですわ!」


「その証拠に、あなたの格好を見てみなさい」


「なっ……」


 リリンは自身がシスターの格好になっていることに気付いた。


「……そ、そんな……」


「ようやく思い出し始めたようですね。よく似合っていますよ」


「…………」


 頬を紅潮させるリリンを見て、メアルが口に手を当てて微笑む。


「どうです、可愛いでしょう。ふふっ……。表情が落ち着いてきたら、もっと様になるかと思いますよ?」


「で、でも……わかりませんわ。拷問するならまだしも、どうして許すことができるんですの? ああいう風に村を襲撃しただけでなく、あなたを人質に取って危害を加えようとしたわたくしたちが憎くはないんですの……!?」


「あのときのことを覚えているのは、極一部です」


「え?」


「私と、もう一人……。その方が、ほかの関係者の記憶を消したのです」


「……な、なんですの、それ。記憶を消すなんて、一体どんな化け物なんですの!?」


 リリンは見る見る青ざめると、まもなく警戒した様子で周囲を窺い始めた。


「そんなに用心しなくても大丈夫ですよ。その方はここにはいません。ですが、悪いことをしたらすぐにでもここへ参られるでしょう」


「わ、わたくしを脅す気ですのね……!?」


「否定はしません」


「フ、フンッ! 人間嫌いのわたくしをこんな窮屈なところに閉じ込めたこと、いずれ必ず後悔しますわよ!?」


「それでしたら、既に充分悔やんでます。、もういいですよ」


「へっ――?」


「「「「「――わーっ!」」」」


「っ!?」


 個室の扉が大きく開き、押し寄せてきた子供たちに囲まれるリリン。


「ちょ、ちょっと……!? これは一体なんの真似ですの!?」


「歓迎会みたいなものですよ? はあ。また修道院ここが騒がしくなりそうです。あなたが新人のシスターとして入ってきたせいで」


「そっ、そんなの、わたくしが知ったことじゃありませんわ、なんとかしてくださいっ!」


「ふふっ。それはどうかご自分で打開なさってください」


「ちょっ、無責任すぎますわよ!?」


「この人、肌が緑色だー!」


「なんか可愛いっ」


「ねぇ、触ってもいい?」


「お、おやめなさい! べたべた触らないで! わ、わたくしは王女なのですわよ!?」


「「「「「お姫さまーっ!」」」」」


「は……放してくださいましいぃぃぃっ!」


 子供たちに揉まれ、リリンの悲鳴が周囲に響き渡った。




(――ふう……。とんでもない目に遭いましたわ……)


 子供たちが去ってようやく静かになった個室内、リリンが安堵した表情でふと窓の外を見やる。すると訓練している村人たちがいて、その中にを見つけて彼女ははっとする。


(あ、あれは……。どうしてなのかしら。あの人間を見ているとドキドキしますわ……)


 まもなくその男は忽然と姿を暗まし、リリンが鏡を見ながら自身の服装の乱れを直していると、やがて扉がノックされることに気付いた。


「だ、誰ですの……?」


 もしやあの男が訪ねてきたのかもしれないと思い、彼女が胸を高鳴らせながら扉を開けると、そこにはが立っていた。


「……お、おおっ、お前は……!」


 そこにいたのは、紛れもなくリリンの宿敵クレアであった。


「ク……クレアアアァッ! 決着をつけるためにここへ来たのですわね!? 望むところですわ!」


「…………」


 だが、敵愾心を剥き出しにして構えるリリンとは対照的に、クレアは項垂れたまま戦う姿勢を見せることはなく、それどころか剣を床に置いてひざまずいてきた。


「どっ、どういうつもりですの!?」


「……メアルから事情は聴いた。自分をどうか殺してほしい」


「はあ? さてはしおらしくなった振りをして、わたくしを油断させてから襲うつもりですわね。そうはいきませんわ!」


「……では、。自分が騙し討ちをしようと思っても間に合わない」


 両手を後ろにやるクレアを前にして、それまで警戒する様子を見せていたリリンがニヤリと笑みを浮かべた。


「本当に殺されに来たのなら話が早いですわ。お父様の墓前に仇の首を捧げてみせますわよ!」


 剣を拾い上げるとともに振りかぶるリリン。


「さあ、一思いにやるといい」


「お黙りなさい! 言われなくてもやりますわ!」


 だが、リリンは憤怒の表情を浮かべながらも中々剣を振り下ろすことができない。


(……あ、あれ? 何故殺せないんですの? あれだけ憎んだ仇が目の前にいるというのに、どうして……)


 そのとき、クレアの左目から一筋の涙が零れ落ちた。


「な、何故お父様を殺したお前が泣きますの? まさか、わたくしに許しを請うつもりですか!?」


「……違う。未熟なのが悔しいからだ」


「は? どういうことですの?」


「自分はずっと引きずってきた。まだ幼いお前が見ている状況で父親を殺してしまったことを。だが、そうしなければ自分がやられていた。もっと力があれば、助けることができたかもしれないのに。だから、己の無力さが腹立たしくて泣くのだ……」


「…………」


「どうした、リリン。早く父上の仇を取ってくれ」


「……興醒めですわ」


「え……?」


「もう、わたくしが知っているクレアはどこにもいないのですわね」


「そ、それはどういう――」


「――こういうことですわ」


 リリンは剣を床に置くと、クレアの肩を叩いた。


「わたくしが憎んでいたクレアは今日死にました。ですから……自分がそうであるように、お前もそろそろ楽になるべきですわ」


「…………」


 クレアの両手に、とめどなく涙が零れ落ちた。まるで何かを洗い流すかのように。

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