三話


(どうしよう。胸がドキドキしちゃう。これじゃ、世話役どころかこっちが世話されちゃう係だ……)


 村の待合室、中央の観葉植物に見下ろされた丸いベンチの周りを、シスターの少女――シルルが落ち着かない様子で歩き回っていた。


「これこれ、シルルさんや、気持ちはわかるけどねえ、少しは落ち着きなさいな」


「は、はいっ」


 齢90を優に越えそうな白髪頭の受付嬢ステイシアから苦笑いとともに注意され、シルルは歩みを止めるとともに背筋をピンと伸ばす。


(ステイシアさん、威厳ありすぎ。もうマグナさんに代わって村長様になってもいいくらい)


 それにしても遅いわね、とシルルは溜息をついたのち、服の裾を掴みながら思う。来訪してきたという新入りが中々やって来ないのだ。


(もしかして、マグヌス村のあまりの惨状を目にして、こんなはずじゃなかったって逃げ出したのかな?)


 ただ、壁がなかった数年前と違って、今は許可なく壁の向こう側へは戻れないので、ほかに行けるような安全な場所なんてないんじゃないかとも彼女は思う。


「はっ……」


 シルルはそこまで考えて、はっとした表情を浮かべた。現在は昔と違って罪を犯したならず者が辺境へ流されてくるケースもあるため、ここに来る前にそこら辺で飲み歩いている可能性もあると考えたのだ。


(変な人が来ちゃったらどうしよう。タトゥーが入った怖いお兄さんとか。今すぐ脱げよとか命令されたら……ヤダヤダヤダ、そんなお世話係ヤダよお――)


「――あのぉー……」


(でもでも、断ったら殴られるかもしれないし、この村の未来のために一肌脱ぐべきかなぁ。うー、やだあ。あ、実は女装してる男ですってことにしようかな。それかあ、闇女キャラ全開で、おいこの野郎、おせえぞって脅かそうかしら――)


「――あのー、聞いてる!?」


「ひえっ!? もー、驚かさないでくださいよ! あっ……」


 いつの間にか後ろに立っていた男を見上げて、しばし唖然とするシルル。まもなく、我に返った様子で男の顔を二度見した。


「も、もしかして、新入りの方ですか!?」


「うん、僕はシャド――いや、シェイドっていうんだ。君は案内係の人? ここに行けば案内してもらえるって聞いたから」


「はぃ。私は案内&世話係のシルルといいますぅ。シェイドさん、考え事をしてしまって、申し訳ありませんですう」


「…………」


 中々の好みだったこともあり、慣れない猫撫で声を出してみたシルルだったが、明らかに不快そうな顔をされたため、慌てて方針を変えることに。


「ふ、不快だったらごめんなさいです。寝起きってこともあって、思わず舌足らずになってました。えへへ――」


「――い、いや、大丈夫。そういう口調の元仲間のことを思い出しただけだから。それより、凄いね、この村」


「へ……?」


「かなり荒れてる感じだけど、生活感があるっていうか、活気に満ちててワクワクする」


「は、はあ。まあ、忙しいですからっ。それより、住民登録とかギルドとか、色々ご案内しますね」


「ぐー……」


「えっ!?」


 シルルが驚くのも無理はなく、それまで隣で座って会話していたシェイドという男がいきなり眠ってしまったからだ。


(よ、よっぽど疲れてたのかな。色々聞きたいことあったのに――)


「――あー、よく寝たあ。おはよう、シルル……」


「おはようございます、シェイドさん……って! 寝るのも起きるのも早すぎ!?」


「あははっ。僕の睡眠時間は質が高いからこれくらいでちょうどいいんだよ」


「そ、そうなんですねっ」


 んなわけあるかと内心突っ込みつつ、シルルは違う意味で変な人が入ってきたと思うのだった。




「――へえ、シェイドさんって、バフ使いなんですね」


「うん。大したことはないけどね」


 あれから、シルルはシェイドをマヌグス村の住民としてだけでなく、冒険者ギルドでも彼の登録を済ませたのち、F級の依頼である薬草採集をこなすため近くの山へと向かっていた。


「私も似たようなものですよ。薬草使いと回復師をやってますけど、どれも中途半端で」


「へえ、二刀流なんだね」


「ですです」


 バフ使いとは聞いたものの、いまいちイメージが湧かないと首を傾げるシルル。


「バフ使いって、スピードやパワーを上げられるんでしたっけ?」


「うん。まあ、それは初歩中の初歩の技術なんだけどね。試してみる?」


「いいんですか?」


「いいよ」


「やったー、楽しみですうぅ」


「あんまりそうやって語尾を伸ばさないほうがいいよ」


「あ、ごめんなさい……」


 相当に嫌な思い出でもあるのかなと思いつつ、シェイドの嫌がる反応を見てほくそ笑んでしまい、やっぱり自分が闇女だと痛感するシルル。


「あれ、バフはまだですかー?」


「ん、もうやってるよ」


「ええっ!?」


 そんな予備動作は一切なかったため、冗談かとシルルが眉をひそめたのも束の間、彼女はまもなく自身の進むスピードが急激にアップしていることに気付いた。


「す、すごっ、はやっ! わーいわーいっ!」


 シルルはしばらく夢中で山の中を走り回ったあと、驚くほどに先へと進んでいることに気付いて我に返った様子になる。


「ご、ごめんなさい。子供みたいにはしゃいじゃって――」


「――シルル、じっとしてて……」


「あ、シェイドさん、怒っちゃいました? ごめんなさい」


「…………」


(ま、まだムッとした顔してるし、なんで許してくれないのよ。亭主関白かよこいつ……!)


「こっちに来て!」


「うっ!?」


 怖い顔をしたシェイドに口を手で塞がれて木陰へと入り込むシルル。


「え、えっと、私、せめて最初はお布団で……」


「僕たち、モンスターに囲まれてる。弓を持ったハイオークだ」


「えっ……!?」


 シルルが木陰からそっと顔だけを覗かせると、豚の顔をした人間、すなわちハイオークの群れが、こちらに向かって弓を構えていたのだ。


 ハイオークは短気かつ獰猛で知られる種族だが、ただのオークと違ってその技術は人間に匹敵するとされ、特に弓の腕は一流だといわれている。


 モンスターが出るほど遠出してないはずなのに何故? シルルが疑問符を頭上に浮かべたとき、自身のスピードがシェイドのバフによって通常よりずっと速くなっている事実に気付いた。


「わ、私のせいで……ひっく……ごめんなさい。シェイドさんだけでも、逃げて……」


「心配はいらないからそこで見てて」


「シェイドさん!?」


 シルルが目を見開く。シェイドが木陰から飛び出したからだ。


 その直後、待ってましたとばかり大量の矢が隙だらけになった標的に対して放たれた。


「いやあああっ!」


 シルルの叫び声が響き渡る中、シェイドは何事もなかったように立っていた。


「え、ど、どうして?」


「動体視力を極限まで引き上げたから、矢なんて止まって見えるんだ。だから言ったでしょ、心配ないって。さて、貰ったものはお返ししなきゃね」


「「「「「ガッ……!?」」」」」


 シェイドは浴びた弓矢を両手の指で挟み込んでおり、それを投擲していずれもオークたちの額に命中させ、全滅させるのだった。


「う、う、嘘……」


 衝撃のあまり倒れるシルル。その際、彼女の脳裏には有名な【英雄】の一人であるグレンデの二つ名『神に祝福されし蜂』が浮かんでいた……。

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