第二十九話 リシエラの調査
ヴィエネンシスの王太子が幻影宮の
東殿の一階にある女官の詰所で、同じく休憩中の、ディーケ付きの女官とカトライン付きの女官が話しているのを聞いたのだ。
ヴィエネンシスの王太子といえば、一時はフェイエリズの縁談相手だった人物だ。
(ふむ)
リシエラは詳しい話を聞くために、会話に加わることにした。
「それは確かな話ですか?」
リシエラは他の女官たちとつるんで噂話に花を咲かせることはめったにないが、両親の地位とその美貌、そしてなんといっても頼りになることから一目も二目も置かれている。
年上の女官が答える。
「ええ、西殿にお勤めしている女官から聞いたから、確かな話よ」
「そうですか、さすが先輩。王太子殿下はマレにはどのような理由でいらっしゃったのでしょう?」
「そこまでは知らないわ。マレとヴィエネンシスは仲が悪いから、両国の友好のためじゃなくて?」
「そうかもしれませんね」
頷いてみせながらも、リシエラは内心では納得していない。
話に聞くヴィエネンシス国王リュシアンはそんな殊勝な男ではない。何より、リシエラは他の女官が得ていない情報を知っている。
(国王陛下がリズさまとヴィエネンシスの王太子との縁談を断ったあとに、当の王太子がマレを訪れた……。偶然にしてはできすぎている)
事はフェイエリズにも深く関わっている。もっと情報が欲しい。
しかし、調べた情報をフェイエリズに伝えるかどうかは、細心の注意を払わなければならない。
最近のフェイエリズはハーラルトと一緒にいるだけで、大輪の薔薇も霞んでしまうような笑顔をみせる。主であり親友でもある彼女の幸せを壊したくない。
リシエラはお茶を飲むのもそこそこに、扉に向けて歩き出す。
「あら、リシエラさま、もうお戻りになるの?」
うしろからかけられた女官の問いに、リシエラは振り返りながら応じた。
「少し、野暮用ができましたので」
*
リシエラは西殿に足を踏み入れた。
西殿は賓客の客室として使われる他に、宴席の場として使われることもある。そのため、東殿よりも数は少ないものの、配属されている侍従や女官はある程度いる。
内外の貴人を接遇する必要があるので、数か語学に堪能で、諸外国の礼儀作法やしきたりに詳しい者が配属される部署だ。外国に興味の強い令嬢などには、東殿の女官職より人気があると聞く。
国王陛下はやはり名君だ、とリシエラは改めて思う。
以前の貴族女性には、少しでもいい条件で他家に嫁ぐしか選択肢はなかった。そして、外で働くにしても、メタウルス子爵夫人のような例外はあるにしろ、王室にかしずく女官くらいしか就ける職業がなかった。
それなのに、教養のある女性に別の道を用意してしまったのだから。
狭き門とはいえ、水が石を
そんなことを考えながら、リシエラは侍従や女官の姿を探して、西殿の廊下を歩いていく。
東殿とは
ちょうど、目当ての部屋から女官が出てきた。リシエラは彼女に近づいていく。
「恐れ入ります。東殿で第二王女殿下付きの女官を務めております、リシエラ・メーヴェ・グライフと申します」
「まあ、あなたがあの……」
こういう時、両親の知名度は役に立つ。リシエラは目を丸くする女官に畳みかける。
「実は、ヴィエネンシスの王太子殿下がこちらにご滞在なさっているとお聞きして、大変興味を惹かれたのです。それで、ここまで参りました」
「まあ……あなたも若い女性ですから仕方のないことですわ。実際、西殿の女官にも、王太子殿下とお近づきになりたい、という者は多いですから。ただ、直接お世話をするのは侍従なので、わたしたちはあまり接する機会がないのですけれど」
国王シュツェルツは側妾制を廃止してからというもの、隣国シーラムを手本として、王室の男性メンバーには同じ男性である侍従を、女性メンバーには女官をお付きとすることを徹底してきた。
その決まりは客人にも適用され、一昔前のように女官が男性の貴人の世話をするということはない。
それはともかく、ヴィエネンシスの王太子が西殿に滞在しているという情報は本当らしい。
リシエラは話を合わせるために残念そうな顔をしてみせる。
「さようでございますか……。王太子殿下をおもてなしするパーティーでも開かれればよいのですが。あら? ということは、王太子殿下は進んで女官にお声をかけるようなお方ではございませんのね」
「はい。とても紳士的なお方ですよ。良くも悪くも、ご結婚前の国王陛下とはずいぶん違う、と先輩女官たちが噂しているくらいです」
国王に関する噂話は聞かなかったふりをして、リシエラは切羽詰まった表情を作った。
「ますます興味が湧いて参りました。王太子殿下のお世話をなさっている侍従の方には、どこに行けばお会いできますか? 是非とも、もっと王太子殿下に関することを知りたいのです」
「そうですね……では、侍従の詰所をお教えいたします」
西殿の侍従の詰所は東殿とは違い、一階にあるそうだ。リシエラは礼を言って、女官に教えられた通りの部屋に赴き、扉をノックした。
応対に出た侍従は見慣れないこちらの姿にきょとんとしていたが、リシエラが名乗った上で「王太子殿下のことを少しでも知りたくて」と訴えると、納得したような表情になった。
「セレスタン殿下は大変な美男子ですからね」
セレスタン、という以前はどうでもよかったその名をリシエラは脳裏に刻む。
「はい、噂は東殿まで届いておりますの。ご本人にお会いするのは無理でも、是非、王太子殿下にまつわるお話をお聞きしたくて」
人のよさそうな侍従は困ったように笑った。
「王太子殿下はこの国の女官や貴族令嬢には、あまりご興味があられないようですよ」
リシエラはことさらに驚いてみせた。
「え? どういうことですか?」
「我が国の女性に関してセレスタン殿下がお訊きになったのは、マレの王女殿下方のことだけでしたから。もちろん、独身の方々のことですよ」
その言葉だけで十分すぎた。おそらく、セレスタンはマレ王室との縁組を諦めていない。
西殿から東殿に帰る途中、リシエラは足取りも重く、様々なことを考えていた。
このことをフェイエリズに伝えるべきなのか。
彼女に伝えないならば、ハーラルトには教えておくべきか。
それよりも、セレスタンについて知っているだろう父に裏を取り、情報を精査したほうがよいのではないか。
気づくと、フェイエリズの部屋の前に辿り着いていた。ちょうど午後の二時を告げる大神殿の鐘が鳴る。休憩時間が終わったのだ。
昼食後の今の時間なら、フェイエリズは奥の間にいるはずだ。ノックをして奥の間に入ると、部屋の椅子にフェイエリズが腰かけていた。
その張り詰めたように美しい横顔を目にし、リシエラはハッとした。
「リズさま……? どうかなさいましたか?」
フェイエリズはゆっくりと振り返る。
「……リシエラ、ごめんなさいね。考え事をしていて」
リシエラはなぜかためらってしまったあとで、柔らかい口調で尋ねる。
「どんなお悩みでしょう? よろしければ、このリシエラがお役に立てるかもしれません」
「ヴィエネンシスの王太子殿下が西殿にご滞在なさっていると聞いたの」
思わず、「あ!」と大声を上げそうになってしまい、リシエラは手で口を塞いだ。
(わたくしとしたことが……他の女官の口止めをするのを思いつきもしなかったなんて!)
リシエラ以外のフェイエリズ付きの女官は、以前、フェイエリズにセレスタンとの縁談が持ち上がったことを知らないのだ。なんの他意もなく、耳寄りの話としてセレスタンの来訪を話してしまったに違いない。
自分も今回の件でよほど動揺していたらしい。その感情の揺れをまぎらわすために西殿まで赴いたようなものだ。
血の気の引く思いのリシエラに、フェイエリズが問いかけてくる。
「リシエラ、お父さまは縁談を断ったとおっしゃっていたけれど、もしかしてヴィエネンシス側は諦めていなかったのかしら」
リシエラともあろう者が、何も答えられなかった。
「前にお父さまから聞いたわ。ヴィエネンシスの国王陛下はわたしを王太子殿下の縁談相手に指定したわけではなくて、マレ王室との縁組をお望みだった、と。だから、ベルノルトと別れたばかりで王太子殿下と歳の釣り合うわたしに、お父さまは話をお持ちかけになってみたらしいの。そうよね、カトラインはまだ十三歳だもの。恋人がいたこともないのに、八歳も年上の異国の方に嫁ぐのはあんまりだわ」
フェイエリズが言葉を発するたびに、リシエラは胸が締めつけられる思いがした。
悲しげでいて何かを決意したような顔で、フェイエリズはリシエラに問う。
「リシエラ、知っていることがあれば教えてちょうだい。王太子殿下がマレにいらっしゃった理由は何?」
言うべきなのか、黙っているべきなのか。
だが、この話を黙っていても、いずれフェイエリズの耳には入るだろう。
それならば、言葉を選んだ上で、自分が伝えたほうがいい。
リシエラは緊張でカラカラになった口を開いた。
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