第二十六話 光溢祭(前編)

 ハーラルトとのお付き合いや公務で楽しく充実した日々はあっという間に過ぎ、大晦日になった。

 マレの年末年始は国教の拝光教にちなんだ「神降節しんこうせつ」というシーズンで、大晦日には「光溢祭こういつさい」という祝祭がある。「光溢祭」当日はその前後に休暇に入る廷臣たちも、みな出仕することになっている。


 このお祭りで有名なのは、夜の十二時ちょうどに大神殿の塔に火が入るのを合図に、ステラエ中の家々がいっせいに窓辺や軒先に明かりを灯すという行事だ。

 その起源は「神降節」の間、地上に降りてきている神々に拝光教にとって神聖な光を毎夜、神殿で捧げ続ける神事だと言われている。

 冬なのに、いえ、寒い冬だからこそ心まで温かくなるようなその光景を幻影宮の二階から見下ろすのが、わたしはとても好きだ。


 今年は、是非ともハーラルトとその光景を見たい。そうすれば、彼に好きだと伝えられそうな気がする。


 そうなの。わたしはまだ、彼に気持ちを伝えていないのだ。

 物心つく前から知っている相手に告白するって、案外勇気がいるものね。

 だけど、ハーラルトはものすごく勇気を出してわたしに告白してくれたのだもの。わたしもその気持ちに応えたい。

 ……そう思っていたのだけれど。


「ハーラルト・ロゼッテを見なかった?」


 わたしはリシエラと手分けして、東殿中の女官や侍従、その侍女や近侍、果ては召使いにまで彼の居場所を訊く羽目になっていた。

 リシエラによると、わたしの秘書官となったハーラルトの有能さに周りのみなが気づき始めたのが、そもそもの発端だったのだという。


「光溢祭」という一年のうち一番とも言える忙しい日に、仕事のできるハーラルトは色々な人に手伝いを頼まれ、いつもいる控えの間から忽然と姿を消してしまったのだ。ハーラルトは基本、人がいいので断れなかったのだろう。

 有能さが周囲に認知されるというのも良し悪しだわ。


 さすがに、王室が主催する、貴族や廷臣を招いたパーティーまでに戻らないということはないだろうけれど、こちらとしては少しでも長くハーラルトと一緒にいたいのに。


 結局、わたしがハーラルトと再会できたのは夜になってから、つまりパーティーの直前だった。ハーラルトもわたしを捜していて、広い幻影宮の中で入れ違いになっていたのだ。

 リシエラも含めた三人でそのおかしさにひとしきり笑ったあとで、ハーラルトが言った。


「まあ、君と一緒にいられなかったのは残念だったけど、その代わり、色々な人とお近づきになれたよ。俺がリズの恋人で秘書長官の息子だから、大した能力もないのに秘書官になったんじゃないか、って思っていた人たちの誤解も解けたみたいだ」


 さすがハーラルト。転んでもただでは起きない。


「ハーラルトらしいわ」


 わたしはくすりと笑い、ハーラルトとリシエラとともに、パーティー会場になっている南殿の大広間に向かう。

 東殿と南殿を繋ぐ渡り廊下を通り、中央広間に足を踏み入れたところで、身体が硬直する。


 元彼、ベルノルトの姿を見かけたのだ。


「光溢祭」のパーティーには貴族たちが招かれるから、顔を合わせることも覚悟はしていた。ベルノルトは侯爵家の嫡男だから、出席する権利があるのだ。

 だけど、実際にその姿を見ると、どうしても裏切られた記憶と彼に対する怒りがまざまざと蘇ってしまう。


「リズさま……」


 リシエラが気遣わしげに声をかけてくる。彼女もベルノルトに気づいたらしい。

 わたしはハーラルトを振り返る。彼はベルノルトのほうを見ていないから、多分、気づいていない。ベルノルトがわたしの元彼だということは知っているだろうけれど。


 とにかく、変なトラブルになる前に席に着いてしまうに限る。

 わたしはリシエラに目配せし、長大なテーブルに向け歩き出す。

 テーブルは何列にもなっていて、王室メンバーが座る席は最上位にある。

 既に姉夫婦とカトラインは着席している。わたしが自分の席を確認できたその時。


「リズさま……!」


 あろうことか、ベルノルトが近づいてくる。リシエラがわたしを庇うように前に出る。リシエラの動作にハーラルトもピンときたのか、すっと彼女の隣に立った。


「ああ、リズさま、ひと目お会いしたかった!」


 芝居がかった台詞を口にしながら、ベルノルトがわたしたちの前で立ち止まる。

 わたしはきつい口調で言い放つ。


「わたしはあなたに会いたいなんて、あれから一度も思ったことはないわ。どいてくださらない?」


 ベルノルトの貴公子然とした顔が屈辱に歪む。本当に、どうして以前は彼のことが好きだと思ってしまったのかしら。

 周りの貴族たちのひそひそ話が聞こえてくる。


「フェイエリズ殿下のあの冷たさ……ベルノルト殿が浮気をして殿下と別れることになったというのは、本当のことらしいな」


「その浮気相手とお付き合いを始めたものの、彼女のわがままに振り回されていらっしゃる、ともっぱらの噂ですわよ。どうして王女殿下をないがしろにして、そんな性悪女にひっかかったのかしらね」


「フェイエリズ殿下との交際を棒に振ったことで、ご両親からは白眼視されていらっしゃる、とわたくしは聞きましたよ。浮気相手と結婚することになったら、廃嫡されるのではないかしら。ご本人もそれを分かっているからこそ、今ここで殿下とのよりを戻そうとなさっているのよ」


「まあ、浮気が原因では、たとえ同性でも擁護しかねるな」


「あら、あなたは耳が痛いんじゃなくて?」


 忙しかったせいと周囲の気遣いのおかげでわたしの耳には入ってこなかったけれど、そんなことになっていたのね。噂話をしている人たちと同じで、わたしも一切同情できないわ。


 貴族たちの声はベルノルトにも聞こえているのだろう。彼の顔色が蒼白になっていく。ベルノルトはわたしの前に立つハーラルトを指さした。


「き、貴様のせいだ。貴様が秘書長官の権威を笠に着て、リズさまをたらし込んだから、わたしがこのような目に遭っているのだ!」


 は!? 全面的に悪いのは自分なのに、ハーラルトに責任転嫁するつもり!?

 しかも、わたしとハーラルトがお付き合いすることになったのは、あなたと別れたあとなんですけど! そもそも、あなたの浮気が全ての元凶なんですけど!


 ぶちっ、と頭の血管が切れる音が盛大に聞こえたような気がした。

 わたしを守ろうと前に立ってくれているハーラルトの前にずずいと出、ベルノルトと正面から対峙する。


「あなたこそ何様のつもり!? ハーラルトはわたしの恋人だということはもちろん、秘書長官の令息だということを笠に着たことなんて一度だってないわ! 第一、わたしはあなたに愛称で呼ぶことを禁じたはずよ!」


 別れを告げた時よりも激しいわたしの剣幕に、ベルノルトは目に見えてたじろいだ。


「あ、あなたはだまされているのです! 侯爵家のわたしとよりを戻したほうが……」


 苦し紛れなのか、ベルノルトが一歩足を踏み出す。

 その瞬間、ハーラルトが再びさっとわたしの前に出た。


「金輪際、リズに近づくな」


 いつになく低めた声。ハーラルトのまとう雰囲気は氷のように冷たかった。こんな彼は初めて見る。きっと、よほど怒っているのだろう。


 ハーラルトの表情に何を見たのか、ベルノルトがひっという情けない声を出し、自分の席に退散していく。

 リシエラは眼光鋭くベルノルトを睨みつけていたけれど、ハーラルトは既に彼のことを見ていなかった。いつものように柔らかくほほえむと、わたしを振り向く。


「リズ、庇ってくれてありがとう。嬉しかったよ」


「わたしのほうこそ……彼を追い払ってくれてありがとう。あなたのおかげですっきりしたわ」


 わたしたちはお互いに、ふふっと笑い合う。


「まあ、ご覧になって。お二人の仲のよろしいこと」


「本当に。美男美女でとてもお似合いだわ」


「フェイエリズ殿下はよい恋をなさっておいでね」


 周囲の声が恥ずかしくなってきて、わたしたちは赤面しながらそそくさとそれぞれの席に向かったのだった。

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