第十一話 少しは前進?

「ランテアの間」を出たわたしとハーラルトは、資料編纂室の前で別れることになった。

 どちらからともなく「じゃあ……」と言い、でも、不思議と名残惜しい気持ちで別れがたい。不思議ね、初デートをしたあとみたい。


「リズが先に歩き出してよ。俺はしばらく見送っていたいから」


 ハーラルトにそう頼まれ、わたしは少し照れながら「またね」と言い、彼に背を向け歩き始める。

 そうして、わたしは東殿の奥の間に戻ってきた。

 出迎えてくれたリシエラは、わたしの帰りが遅いことを心配していた。二人で椅子に座ってから、お詫びも兼ねて、中庭に出てからのことを彼女に話す。


「──というわけなの。一歩、前進したかしら?」


「十分でございますよ。リズさまが中庭にお向かいになった時には、本当に心配いたしましたから」


「心配をかけてごめんなさいね」


 リシエラは首を横に振った。


「構いません。それよりも、わたくしは嬉しいです。リズさまにはご希望通り、恋愛結婚をなさって欲しいと存じておりましたから」


「ありがとう。まだ、お付き合いしようって意思確認をしたばかりだから、結婚まで辿り着けるかどうかは分からないけれど」


「ふふ。今回はいける! とわたくしは予想しておりますよ」


「予想が当たるように努力するわ。……でも、あなたのお父君の勧めを断ることになってしまったわね。せっかく、お時間を割いてお会いいただいたのに」


 リシエラは澄まし顔で断言した。


「よろしいのですよ。リズさまに政略結婚をお勧めしたことが母にバレて、父は叱られておりました。……まあ、バラしたのはわたくしなのですが」


「え! わたしが戻ってくるまでに、そんなことがあったの?」


「はい。王妃陛下がこちらにおいでになった際に、母も随行しておりましたから」


「そうだったわ。わたし、中庭を出たあとに、あなたのお母君たちを連れたお母さまにお会いしたの。そう、あのあと、お母さまたちはこの部屋にいらっしゃったのね」


「はい。リズさまのご様子を不思議に思し召した王妃陛下が、わたくしに詳しい事情をお訊きにおいでになったのです。もう、洗いざらい告げ口……いえ、お話をさせていただきました」


 うわあ。お母さまの怒りの矛先が、お父さまだけでなくラリサ伯にまで向かないといいけれど。

 わたしは若干、頬を引きつらせた。


「それは……お父君がちょっとかわいそうなような……」


「人の嫌がることをしたのですから、当然です」


 リシエラは言い切った。わたしは苦笑する。


「リシエラは厳しいわね」


「わたしはこれでも父に怒っているのですよ。自分は恋愛結婚をしたくせに、リズさまには政略結婚をお勧めしたのですから」


 リシエラがわたしのために怒ってくれるのは、本当に嬉しくてありがたい。

 それにしても、わたしの両親だけでなく、リシエラのご両親も恋愛結婚だったのね。ちょっとその辺りの事情も気になってしまうわ。

 リシエラはしかめていた細く形のいい眉を心持ち下げる。


「……まあ、そうは言っても、父は自分の役割に対して生真面目で責任感が強いだけなのだとは存じますが」


「リシエラはお父君のことを客観的に分析できるのね」


 わたしにはできないことだ。

 だって、わたしは、さっきお父さまが取り乱した理由がよく分からない。

 用意した縁談を断られたからあんな調子になってしまったのか。それとも、昨日ハーラルトが心配していたように、「男親だから」娘が彼氏を連れてきたのを見て、動揺してしまったのか。


 それだけじゃない。お父さまが本当はどんな人なのかさえ、わたしには想像もできないし、分からないのだ。


 一瞬、不安になる。

 お父さまのことを理解できていないのに、お付き合いを認めていただけるのかしら。


 ううん、そんなことじゃいけない。わたしはお父さまにハーラルトとの交際を認めてもらいたい。家族、なのだから。

 幸いなことに、わたしにはとても頼りになる親友がすぐ傍にいてくれる。


「ねえ、リシエラ。わたし、ハーラルトとのお付き合いを認めていただきたいのに、お父さまが何をお考えなのかよく分からないの。どんな風に説得すればいいと思うか、よければ意見を聞かせてちょうだい」


 リシエラは、わたしがお父さまに嫌われているだろうことを知らない。彼女が相手でも、いえ、大切な彼女だからこそ、そういう相談はできなかった。

 でも、いつも冷静なリシエラなら、正解は無理でも、限りなくそれに近い答えは導き出せるかもしれない。

 リシエラはくすりと笑う。


「それは、思いがけず、リズさまがハーラルトさまとお付き合いなさりたいとおっしゃったので、男親としてどうしたらいいのか、戸惑っておいでになるだけだと存じますよ。国王陛下にとって、ハーラルトさまはご親戚も同然でしょう? きっと、複雑なお気持ちなのですよ」


「ご自分から縁談をお持ちかけになったのに……?」


「それとこれとは別なのではないでしょうか。縁談に関しては、ご自分で吟味も可能ですし、心の準備もできておいででしょうから」


 お父さまが……。


「縁談をお持ちかけになったのも、きっとリズさまをご心配なさってのことだと存じますよ」


 そういえば、最初にお見合い話を持ちかけてきた時、お父さまは「親としては少し心配でね」とおっしゃっていたような気がする。あれは、本心だったのかしら。

 リシエラは優しく笑った。


「時間をおかけになってでも、よくお話し合いになるのがよろしいかと」


「そうね……」


「ところで、リズさま。ハーラルトさまのどんなところがお好きなのですか?」


 不意打ちに、わたしはびっくりする。


「え、ええ!? どうして……?」


「ハーラルトさまのどんなところを好ましいと思ったか、国王陛下からご質問をお受けになるかもしれません。あらかじめ言語化しておくことは大切でございます」


「え、えーと……」


 なんだか、説得力があるなあ。

 思わず考え込む。


「……誰に対しても穏やかで公平な物腰には、前から好感を持っていたわ。普段は頼りなく見えるのに、決める時は決めるところがすてきだと、さっきの話し合いの時に思ったわね。それに、わたしを好きだと言ってくれるし……あと、彼の外見について、前は『お顔がいいなあ』としか思っていなかったのに、ここのところ、かなり好みの容姿に見えてきてしまって……変かしら?」


「自然なことだと存じます。いくら外見が好みでも、性格が最悪だとお嫌いになるでしょう? 内面をお好きになりつつあるからこそ、ご容姿も好ましくお感じになるのですよ」


 確かに! 元彼のベルノルトなんて、まさしく外見から好きになったけれど、今では顔も見たくないし。

 な、なんか、リシエラって、恋の噂を聞かないのに恋愛上級者かも……。


「まあ、これは母の受け売りですが」


 あ、そういうことなのね……。

 わたしは口元をほころばせた。


「ありがとう。とても参考になったわ。……そういえば、ハーラルトの家では家族会議が開かれるそうよ。一体どんな話をするのかしらね」


「さようでございますか。それは実に興味深い」


 リシエラの目が、そこはかとなく光ったような気がした。

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