第七話 ラリサ伯との引見

 リシエラと合流したわたしは、一階に下りてから寝室に戻った。リシエラは言葉少ななわたしの様子から、何かを察したようだった。

 正直、すごく落ち込んでいる。でも、わたしは答えを出さなければならない。王女としても、ハーラルトの幼なじみとしても。


 王女としての責任を選べば、ハーラルトの気持ちを踏みにじることになる。我ながら最低だ。


 お見合い相手がヴィエネンシスの王太子だと知っていれば、ハーラルトに自分の正直な気持ちを伝えることもなかっただろう。そのほうが事態は丸く収まり、ハーラルトを空喜びさせることもなかった。


 でも、今ならまだ、お互いに傷が浅くてすむかもしれない。

 それだけに、選択は慎重にしなくては。

 申し訳ない気持ちで、ハーラルトからもらった指輪を小箱に戻す。


 わたしは奥の間に移動し、リシエラに座ってもらった。本来なら、わたしが席に着いてから彼女が座るのがしきたりだけれど、今は友人としての彼女と話したかった。

 わたしもティーテーブルの前に腰かけ、「実は……」と切り出す。


「お父さまに会って縁談を断ろうとしたところまではよかったのだけれど、お見合い相手がヴィエネンシスの王太子だということが分かったの」


 リシエラが青玉サファイア色の目を見張った。頭の切れる彼女にとっても想定外の出来事だったらしい。

 わたしは言葉を続ける。


「これは、冷え切った関係のヴィエネンシスとの仲を取り持つ千載一遇のチャンス。断ったら国のためにならないわよね。いいえ、マレだけじゃない。義兄あにの祖国、シーラムにとっても有益なことだわ」


 リシエラは遠慮がちに相槌を打つ。


「確かに……シーラムはマレとは長らく友好・同盟関係にありますが、我が国以上にかの国とは犬猿の仲でございますからね。ですが、リズさまはハーラルトさまとお付き合いなさりたいのでしょう?」


 わたしはゆっくりと頷く。リシエラに嘘はつきたくなかった。


「……ええ。わたしのことを小さな頃から好きでいてくれた人だもの」


「そういうことでしたら、ハーラルトさまを愛人になさればよろしいかと」


「何を言っているの!?」


 リシエラは可愛らしく、くすりと笑う。


「冗談です。かようなことをよしとされないのがリズさまですものね。リズさまはいつもまっすぐです。殿方とお付き合いなさる時は、いつもその方だけを見ておいでになる……」


「そ、そうかしら……」


「さようでございますよ。リズさまは、よく『自分には取り柄がないから』とおっしゃいますが、ディーケ殿下に負けないくらい聡明で、カトライン殿下に劣らずお可愛らしい。しかも、どなたにも増して慈悲深くていらっしゃる。ハーラルトさまもきっと、リズさまのそういうところを好きになられたのだと存じます」


 どうしよう、すごく褒められている……。リシエラったら、そんな風にわたしを見てくれていたのね。

 わたしは自然と笑顔になった。


「ありがとう、リシエラ。わたし、素晴らしい親友を持ったわ」


 リシエラはほのかに頬を染めると、視線をさまよわせた。あ、照れている。可愛い。


「リズさま、一度、父にヴィエネンシスについてお尋ねになってはいかがでしょう?」


 リシエラのお父君といえば、お父さまの左腕とも称される大法官、ラリサ伯爵レシエム・エタイン・メーヴェ・グライフだ。ちなみに右腕はハーラルトのお父君の秘書長官。

 わたしは目をぱちくりさせた。


「ラリサ伯に?」


「はい。本来なら外国のことは外務大臣に訊くべきなのでしょうけれど、父も外交には明るいですし。もしかしたら、リズさまがお抱えになっていらっしゃる問題の突破口になるかもしれません」


 リシエラの口調からはお父君への信頼が汲み取れた。……少し羨ましい。

 それに、ラリサ伯はお母さまが絶大な信頼を寄せるリベアティア夫人の、ご夫君でもある。

 わたしは決断することにした。


「分かったわ。ラリサ伯との引見を取り次いでちょうだい」


   *


 ラリサ伯はとても忙しい上に、お父さまと違って真面目な方なので、当日は時間が作れず、引見は翌日に行われることになった。場所はわたしの大広間だ。


 午後の二時きっかりに扉をノックする音が響き、リシエラが返事をすると長身の男性が入室してくる。リシエラと同じ長い黄金色の髪と青玉色の瞳が、端正な美貌に彩りを添えている。


 ラリサ伯は一瞬だけリシエラと目を合わせたあとで、わたしに向けて完璧なお辞儀をしてみせた。

 しかし、改めて見ると、お父さまに匹敵するくらいのお顔立ちだなあ。今、三十代後半だっけ?

 わたしも軽くお辞儀をする。


「ラリサ伯、今日はよくおいでくださいました」


「フェイエリズ殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう。此度は拝謁の機会を賜りまして、恐悦至極に存じます」


「そんな、お忙しいところをわたくしがお呼び立てしたのですから、楽になさって」


 瞬間、ラリサ伯がこちらを見定めるような目をする。ちょっと怖い。

 大広間に入り、ラリサ伯と向かい合って座る。わたしのうしろにはリシエラが静かに控えている。


「伯爵もご存知でしょうけれど、今日は先日持ち上がったわたくしの縁談についてご相談したく、お呼び立ていたしました」


 ラリサ伯の謹厳な態度がにわかに崩れた。


「──は? 縁談、とおっしゃいますと?」


「え、ご存知なかったのですか!? 国王陛下から直接伺ったお話なのですけれど……」


「……あの国王……相談もなしに……」


 うわ、めちゃくちゃ低い声だけれど、確かに聞こえた。お母さまも縁談のことをご存知なかったし、もしかしてお父さま、周りに相談せずにあの縁談をわたしに持ち込まれたのかしら。


 それはちょっと……まずいような。仮にも王女の縁談──しかもデリケートな関係の国からのお話なのだ。

 怖い顔をしていたラリサ伯が冷静な表情に戻った。


「失礼いたしました。殿下、よろしければ、そのご縁談のことを詳しくお聞かせください」


「わたくしも込み入った話は存じ上げておりませんが、ヴィエネンシスの王太子殿下とのものだそうです。あちらの国王陛下からいただいたお話だとか」


 ラリサ伯の表情がまた険しいものに変わる。


「なるほど……ヴィエネンシス国王リュシアンは、我が国との関係改善に前向きなようですね。これはシーラムとも協議したほうがよい問題でもございます」


 ラリサ伯はお父さまと違って、リュシアン王に敬語を使っていない。わたしは内心で首を傾げながらも頷く。


「やはり……そうですよね」


「これは好機であると同時に、絶対に失敗できない事案と言えましょう。リュシアン王は大変危険な男です。殿下、『ラトーン事件』をご存知ですか?」


「いいえ」


「ラトーンとは、国王陛下が十代前半の頃にご留学なさっておいでだったシーラムの学院の名です」


 お父さまがシーラムにご留学なさっていたという話は、ご本人から聞いたことがある。

「フェイエリズ」というわたしのファーストネームがシーラム風な理由はふたつあるのだそうだ。ひとつ目は、わたしの父方の曾祖母がシーラムの王女だから。ふたつ目は、お父さまが留学先だったシーラムに親しみを持っていらっしゃるから。

 わたしはラリサ伯の次の言葉を待った。


「同じ頃、ジェイラス殿下のご母堂であらせられる、現シーラム女王マルヴィナ陛下も学院にご在学なさっておいででした」


 シーラムの第二王子であるお義兄にいさまの名が出たことで、わたしはその事件が現在にも深く関わっていることを理解した。


「当時、まだ王太子ではなく、第二王子であらせられた国王陛下は宮廷で王太子派にお命を狙われており、国外に避難なさるために留学という形を取っておいででした。王女であられたマルヴィナ陛下もまた、王位継承権を巡り、リュシアン王にお命を狙われるお立場でした」


 頭の中に各王家の系図が思い浮かぶ。


「確か、国王陛下とマルヴィナ陛下、それにリュシアン陛下は再従兄弟姉妹はとこでおいででしたね。シーラムから嫁いだ二人の王女のうちの一人が、わたくしの曾祖母で、もう一人の王女の孫がリュシアン陛下」


「さようでございます。国王陛下とリュシアン王──あなたさまもですが──はシーラムの王位継承権をお持ちなのです。当時のリュシアン王のシーラムでの王位継承順位は第二位。シーラムを手に入れるためにはマルヴィナ陛下を邪魔だと思ったリュシアン王は、マレ宮廷の王太子派と結託し、国王陛下とマルヴィナ陛下を亡き者にしようとしたのです」


 よく分かった。ラリサ伯がリュシアン王に決して敬語を使わない理由が。


「それが、『ラトーン事件』──」


「国王陛下はお笑いになりながらおっしゃいましたよ。『その場にいたみんなのおかげで助かった』──と」


 お父さまは何度も命を狙われながら、ようやく王位を掴んだのだ。その結果、今のわたしたち姉妹がある。わたしはなんだか、呆然としてしまった。

 ラリサ伯の青玉色の瞳が、より真摯な光を灯す。


「お分かりいただけましたか? リュシアン王の恐ろしさが。彼は血縁者だろうが、自分より年若い少年少女であろうが、己の利益のためなら平気で暗殺しようとする男です」


 わたしは考えをまとめ、ひとつの可能性を口に出した。


「……もし、縁談を断れば、何をしてくるか分からない、ということですか?」


「おっしゃる通りです。ですが、縁談を受ければ、マレ王室はヴィエネンシス王太子の姻戚となり、当面は友好的な関係が築けるでしょう」


「お父さま……!」


 リシエラが制止するような声を出す。

 ラリサ伯が次に何を言うか、わたしにも分かってしまった。


「此度の縁談、わたしは賛成いたします」


 ラリサ伯の顔をじっと見つめる。彼の顔には苦渋の色がにじんでいた。ラリサ伯だって、何もわたしが憎いわけじゃない。わたしの恋愛騒動を知っているだろうし、わたしが政略結婚向きでないことも薄々は分かっているだろう。


 それでも、国政にあずかる大法官として、国にとって最善と思われる選択をしなければならないのだ。

 そして、それは王女であるわたしも同じこと。

 ……ハーラルト、ごめんなさい。調子に乗って、告白の返事なんてしなければよかった。


「──そうでしょうね」


 ラリサ伯に応えたわたしの言葉は、小石みたいに無機質に響いた。

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