第27話 剥離していく熱いルビィ

 それから、長い間縛られたまま荷車に揺られ、お母様の妹君―――叔母様が嫁がれたという外国へ連れていかれた。

 そこで叔母様に手違いを伝えれば保護してもらえると思っていた。お母様はきっと私を探しているはず。まず思い付くのは、ここに違いないと思っていたのよ。

 だから過酷な状況に怯えつつ、叔母様へ引き渡される時を待った。


 月の光が上弦から下弦へ左右にクルリと入れ替わる頃、うっそうとした密林の国に辿り着いた。悪の一行はそこで旅を終え、私を叔母様の住まう宮殿へと突き出した。

 私は、ついにこの時が来たと、ホッとして思った。

 そこは自分が暮らしていた宮殿よりも、とても小さ――こぢんまりとしていた。

 

 私はようやく助かるのだと安堵して、希望に胸を高鳴らせていた。

 けれど、連れていかれた小部屋で初めて会う叔母様は、人違いですと訴える私に対し、冷笑しか与えてくれなかった。

 叔母さまは部屋から人を払い、持っていた扇子を空いている手の平にピシャリと音を立てて打ち付け、言った。


「ホホホ、私を騙そうと言うのか。まだ幼いのに、卑しい血を引いているだけあるな」


 私は叔母様の言いように驚いて、抗議した。


「お父様もお母様も高貴な血よ!」

「なにを言う! お前の母は階級外の流れ者ではないか! その子となれば、もはや人以下。姉上様はそんな娘を、よくもまぁ、ここまで育てたものだ」

「え……? ど、どういう事です?」


 戸惑う私に、さも楽しそうに叔母様は微笑みました。


「おや、知らぬのか。お前が母と思っている高貴なお方は、最初の娘を死産されたのよ……」

「……何を仰っているのです……? そんな筈……」


 お姉様は生きて成長していた。

 そう訴えようとする私に、叔母様は被すように言った。


「同じ時期に、夫の拾ってきた妾も娘を産んだ。万が一地位を奪われては敵わないと、死んだ赤子と健康な赤子を無理矢理取り替え、自分の娘だと偽っていたのさ。それがお前だ」


 叔母様は呆然とする私を、「そうか、知らなかったのか」と、さも面白そうに見て笑った。


「ああ可笑しい。すぐに次の姫をご出産された事だし、お前は随分疎まれただろうねぇ、ククク……」


 叔母様の笑い声と一緒に、お母様の声が私の頭の中で響き渡った。


『お父様は苦労してその鳥を捕まえたの』

『お姉様には秘密』


 刺繍靴。


『お母様が、生まれて来るわたしの為に刺繍してくれた靴なのですって』


―――あれは、の為に縫った刺繍靴……お姉様の為の贈り物ではなかった……?


 私への甘い言葉と、お姉さまへの棘の言葉。

 あの人とお姉様の、息を飲む様な美貌。

 真鍮の鍵と鳥かご。

 私のお姉様……。


『待って、どうしてあの人は鳥かごから出なかったの?』

『わたしと離れたくないと……』



 私は稲妻に打たれた様に全てを理解し、膝から崩れ落ちた。


「そんな……」

「ホホホ、人以下風情が、今まで夢を見れてよかったではないこと? しかし、夢は終わりだ。これからはこの宮殿内で卑しく穢らわしい仕事をさせてやろう。……それにしても姉上様は、随分な面倒を押し付けてきたものだ。ああ、忌まわしい」 


 叔母様の言葉に、私はハッとして急いで顔を上げた。

 叔母様が、私の事をお姉様だと思っているままだったので、慌てて説明をした。


「ま、待ってください!! 本当に私は末の姫です!! ダミニ……キャッ!?」


 縋りつこうとする私の頬を、扇子の芯が打ちすえ、皮膚を切り裂いた。

 ツと血の伝うぬるい感覚に、恐怖を感じて身体がブルリと震えた。


「寄るでないっ!! 卑しいものが高貴な姫の名を口にするとはなんという事か!! ああっ、本当に面倒な娘を押し付けられた。――そうだ。これから宮殿の周りは水に覆われ退屈になる事だし、その間にじっくりと躾てやろう」

「本当です!! 間違って攫われたのよ!! お母様に確かめてください!!」


 叔母様は叫ぶ私を再び扇子で打ち、悲鳴を上げて倒れた私を置いて小部屋の扉を閉めてしまった。

 

 それからは、恐ろしい日々だった。

 叔母様は、私がいつまでも「人違いだ」と訴えるので、毎日私を懲らしめに来た。

 否定と蔑みと体罰は、私をどんどん蝕んでいった。

「私は人以下です」と、復唱を強要された。

 それを言わせる為に、叔母様は何でもした。

 幽閉されて日が浅く、どうしても服従の言葉を言わない私の小指を、甲側に曲げて、それでも言わないと、踏みつけて潰してしまった。

 私は絶叫して床を転げまわり、薬指に手をかけられるとすぐに屈してしまった。


「もうやめて! 私は人以下です!」

「『お止めくださいませ、ご主人様』でしょう? 本当になんの躾もされなかったのね」

「お止めくださいませ、ご主人様……! お願いします。もう……お願いします」


 鋭い痛みの日々だった。

 自分の中で輝いていたものがどんどん剝がされ、その度に心から温度が奪われていく様だったわ。

 自分が何者か分からなくなってきて、それでも度々繰り返した。「私はお姉さまではない」そのせいで、叔母様は余計にお怒りになって……酷い悪循環だった。


 ある日、叔母様は屈強くっきょうな男を小部屋に連れ込んで、「お前は何者だ」と、可笑しそうに尋ねた。

 私は、自分の中に残っていた最後の輝きを――自分の名を――答えようとした。

 その瞬間、男の持っていたむちがうなった。鞭はバキッと大きな音を立てて床板を撃ち、撃たれた箇所はえぐれてささくれだった。


「ホホホ、娘の背後へ構えよ」


 叔母様は男に私の背後へ回るように命令し、ニヤリと笑った。 


「ひ……」

「さぁ、答えよ。お前は?」

「……わ、私は……ダミ……」


 その瞬間、炎の様に熱い衝撃が背を駆け抜けた。

 声も出せずに床に伏す私に、声が叩きつけてくる。


「お前は名がない人以下の娘だ!」


 ヒュッと、恐ろしい音が聞こえて再び炎の様に熱い衝撃。先に受けた痛みと重なって、目の前がチカチカと光った。

 私は思わず「助けて、お母様!」と叫び、叔母様の不興を買って三度目の激痛を撃ち付けられた。

 恐ろしくて目を閉じる事が出来ず、自分の血が飛び散るのを目の端に見た。


 そして、私の中で何かが剥がれ落ちた。

 固く蹲って、恐怖から逃れる為に偽らなくてはいけない事と、失いたくない思い出を何度も心の中で繰り返した。


――――私はお姉様。あの人の子供。

――――お姉さまは優しく、おしとやか。

――――あの人はお話をたくさんもっている。


 繰り返している内に、心の中でお姉様とあの人の印象が混ざり、一人の少女の姿を模して私を見つめた。

 私はこの少女にならなくてはいけない、と、自分に命じた。

―――そして、は目を閉じた。


* * * * *


 大人しくなった私に、は満足気に


「さぁ、お前は誰だ」

「……」


 痛みに朦朧とする私の顔を掴み、お妃様は私の目を覗き込みました。

 お妃様のお顔は誰か懐かしい方にそっくりで、とても恋しいのに思い出せず、涙が零れました。

 お妃様はそんな私の顔に唾を吐かれ、顔をしかめさせます。


「おお、イライラする。薄汚くて卑しくて、図々しく傲慢な女の娘。奴隷以下、人以下の娘」

「……その通りでございます……」


 私はとうとう、素直に毒を飲み込みました。

 私はその毒で死にました。


「これこのように、私はもう物語の中からでしか語る事が出来ない、憐れな姫でございます」

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