4 藤沢千尋

1)令和4年12月29日

 母に年末年始どうするか聞かれて、とくに出かける予定がないと伝えたら、家の掃除を手伝って、ということだった。家というのは、母が数年前から同居している姉夫婦の家である。


 それで今私は、姉の家で古紙をまとめている。今は出かけている姉が午前中、この数年でたまった保険のお知らせとかパンフレット類とかでもう要らないやつを選び、段ボールに放り込んだので、窓付き封筒のセロファンとかを分別してから紐をかけるのだ。

 その中に裁判所からの茶封筒があった。封は切ってある。中身を開いてみた。やっぱり、私のところに来たのと同じやつだ。お父さんの遺言書を開くから何月何日何時に裁判所に来てね、それだけの内容。私はそれを持って裁判所に行き、別の封書をもらったので、この封筒はもう捨ててしまったのだけど。

 姉は裁判所には来なかった。そしてこの、チケットみたいな手紙をこれまで、自分では捨てられないでいたみたい。

 手を止めていると後ろから母の「読んでたら終わらんよ」という声がした。私はその手紙を慌てて封筒の中に戻し、「これで最後やから」と答えた。


 お昼をおにぎりで簡単に済ませたので、三時にもなるともうお腹がすいてくる。食卓でひとやすみしていると、母は私が持ってきたコンビニのおかきの小袋を器にあけてテーブルの真ん中に置き、それから「お茶とコーヒーどっちにする?」と聞いてきた。

 姉の家にあるインスタントコーヒーは、大神先生が出していた、大神先生のおじいさん好みのと同じ銘柄のだ。私はコーヒーを所望した。


 母がマグカップを二つ持って、向かいに腰掛けた。ひとつを私のほうによこしてくる。私は、ありがと、と言ってそれを受け取った。両手で持って暖をとっていると、狭い水面の波はすぐに収まった。自分の顔が映っている。

「ねえお母さん」

「ん?」

「遺言書を裁判所で開いたときさあ。弁護士さんが来てて。その人が、バス停の近くでインスタントコーヒー出してたんよね」

「知ってる。大神文章くんやろ」


 私は驚いて顔を上げた。なんで知ってるんだろう。しかも「くん」て、なんだ? 眉を寄せている私を見、母は「沙織の同級生なんよ」と言った。

「中学の途中で転校してきて、すっごい頭のいい子がいるって。その子がクラスの子を、あだ名であっても決して呼び捨てしないで『さん』をつけるんやって。そのせいで、真似した男子が沙織のことを、これまでフジサオって呼んでたのにフジサオさんって呼ぶようになったって。その時期沙織、やたら機嫌悪かったんよ」

「そうなん? フジサオさんがそんなに嫌やったんかなあ」

 母は、さあ知らん、と笑いながらコーヒーをすすった。


 姉は母にそんな話をしていたんだ。私は「私も機嫌悪い時期あったかなあ」と聞いた。聞くまでもないことなのに。それに母はあっけらかんと答えた。

「あったやん」


 私は急におかしくなり、「うん、あったな」と言うと、おかきに手をのばした。

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