獣を駆るリーフ

Hazai

プロローグ 旅に出る理由、君と会う理由

(メル視点)


 身も心も、全てを凍えさせてしまうほどに極寒。見渡す限り白く染まる山々……そんな土地にに私は住んでいた。ここは獣人の暮らす小さな集落で、何不自由ない生活が約束されている。


 ……そんな私が、ある日この村を離れることを決意した。

 山を下り、血に飢えた魔物の住む邪悪な森を抜け、海と見間違えるほどの大河を越え、そのまま異国の街へと辿り着いた。

 そしてそこで、人生最大の出会いがあった。



 今から話すのは、私が旅に出る理由と、その先で待つ「幸」と「不幸」の話だ。



 自分の選択したことが、全て間違っているように思えるのは何故だろうか。漠然と、そんなことを考えていた。



 いつも通りの雪道が、その上で歩む一歩が、最近妙に重く感じる。

 母が病気で倒れてからかなりの時間が経つ。だというのに、一向に良くならない。恐らくこのことが原因だろう。十五歳になる私だって、やはり母には沢山甘えたい。しかし、このままでは母の病気が治ることはないだろう。


 理由は、母を治療できる回復術師が、この街にはいないからだ。


 たまたま医学と無縁の土地にに産まれたから?

 偶然病気にかかったのが私の母だったから?

 だからこんな思いをしなきゃいけないの?


 私は、そんな散らかった考えを雪と一緒に振り払い、辿り着いた小屋の扉をノックした。


 ボード大陸北部特有の急勾配の山肌に、縋り付くように住居が立ち並んでいる。他国から来た旅人は、この景色をやけに珍しがったりもするらしい。他国、この村の外か……。


 ついさっきついたため息が、真っ白なモヤになって視界を覆う。それが消えてなくなる頃、中から返事が聞こえた。


「どうぞ」


 随分聴き慣れた、心地よいトーンだ。それと同時に、弱々しくもある。母の声が、私の不安を加速させた。


 扉をそっと開けると、横になっている母が見えた。部屋は薄暗く、よく顔は見えない。しかし、かろうじて見えた口元は笑っていた。


 命をじわじわと削る、呪いみたいな病気らしい。だから衰弱から逃げるように、この小屋で毎日安静にしている。が、治る気配など少しもない。


 きっと苦しいだろうし、寂しいだろう。

 私は、なるべく優しいトーンで、けれど覚悟をもって言った。


「母さん、私やっぱりラースに行くよ。病気を治すにはそれしかないんだから」

「何を言ってるの、メル。まだ子供なんだから、そんな危険なことしなくていいのよ」

「子供じゃないってば……もう剣士なんだよ。向こうの国でしっかり学べば、回復術士にだってなれる。お父さんもそう言ってたよ」


 母は首を横にふると、小さく手招きした。

 ぐっと顔を寄せると、母は微笑みながら私の頭を優しく撫でてくれた。そしてまた、いつもと同じように話を逸らそうとする。


「それより、いつ男の子を連れてくるのかしら? 子供じゃないんでしょう?」

「この国の男には興味無いんだって! だって、皆優しさが足りてないよ。殺伐としてるというか……」

「ふふ、なにそれ。獣族はそういうものでしょう? しかも、ロッドとは良い感じだったじゃない?」

「それはあいつが……って、本題はそっちじゃなくて!」


 私は、母がもう諦めていることを知っていた。聞いた話だが、自分に近づいてくる死に対して、人は敏感になるらしい。


 ……それだけじゃない。死ぬ前に、せめた私が幸せになって欲しいと思っている。


 けど私は、そんなの嫌だ。


 この村に代々伝わる、堅苦しい獣族の掟。それに従って生きることには多少の不満はあるものの、わざわざ村の外に出たいなんて思っていなかった。けれど、今は違う。


 確かにこの村は大好きだ。しかしそれ以上に母が大切だ。誰よりも、そして私自身よりも大切なたった一人の母親だから。


 村の戦士を集めて海を渡れば、ラースに行って帰ってくることだってできるはずだ。けれど、それを皆は反対する。仕方ないと思いつつも、内心悔しかった。


 また部屋が静かになった。松明の火がパチパチと、私を急かすように耐えず鳴っている。


「…………」

「メル、あなたにはまだまだ時間がある。その時間は自分に使いなさい」

「……うぅ」


 私は何も言えぬまま、その場を離れた。少しだけ強くに扉を開け、小屋から飛び出す。

 遠くでは住居と生活の灯が、ポツポツと並んでいる。さっきまでの雪は少しだけおさまったみたいだ。


 その場で動けずにいると、後ろから声をかけられた。


「あ、メル! どうしたんだ?」

「ロッド……」


 振り返ると、立派な獣の耳を持つ青年が立っていた。彼は私と同い年の戦士で、その腕前から将来獣族の長になるだろうと言われている。

 ロッドはやけに元気そうだ。それもそのはず、どうやら彼は私のことが好きらしい。これは思い上がりとかではなく、村の中では有名な話だ。お陰様で、何かと気にかけてくれることが多い。しかし彼に興味はない。


「またお見舞いか?」

「うん……まぁね」


 少しだけ魔が差した。


「ロッド、頼みがあるんだけど、いいかな?」

「なんだ? なんでも言ってくれ」

「用意してほしいものがあってね……」

「ほう?」


 彼はまた、嬉しそうに笑った。その純粋な瞳を見ると、罪悪感でいっぱいになる。人を騙すことが、こんなにも苦しいなんて……。

 けど、仕方ない。母のためだ。



 あれから数時間が経過した。

 私とロッドは、村の前にある大きな門の前に集まって、荷物のチェックをしていた。


 この村から出るためには、何らかの理由が必要になる。でないと門を空けることができない。それが掟の一つだ。

 そして、長旅になる。食料をはじめ、ランタンなど、なるべく沢山の物資が必要になるだろう。それらをすべて、ロッドに手配してもらったのだ。


「これが地図だ。こんなに広範囲である必要があるか分からないがな。この短剣も、錆びてはいるが中々の代物だ。俺が元々使っていた、なかなかに良い剣だ。大切にしろよ!」

「うん、ありがとう」

「しかし、一人で狩りに出かけるとはな。怪我だけはするなよ、助けが欲しいなら角笛を吹いて助けを呼ぶんだ。いいな?」

「うん……」


 荷物はこれで大丈夫。


 次に、指笛を吹いて相棒を呼んだ。

 すると、森の奥からガサガサと音を立て、私の三倍ほどある大きな体をした狼が現れた。銀色の毛をした、凛々しくもチャーミングな相棒だ。

 この子にはウルフという名前をつけた。幼い頃の私は、随分と捻りのない名前をつけたんだなと思いつつも、気に入っている。


 ウルフの背中に荷物を乗せ、沢山毛皮を撫でてやり、そして飛び乗った。


「よろしくね」


 そうつぶやくと、ウルフは喉を鳴らして返事をしてくれた。


 そしてロッドは、どうか……私を追いかけたりしないでね。あとはその、いい女の子でも見つかるといいね。なんて心のなかで呟いてみた。


「じゃあ、元気でね」

「……えっ? あ、おい!」


 ウルフに『全速力で走れ』と指示をする。それに答え、一気に加速する。遠く聞こえるロッドの声も、私には届かない。


 追いつかれないように、フルスピードで駆け抜ける。絶対に振り向かない。


 絶対に……。


 私は、胸にこみ上げる複雑な感情に飲まれそうになり、ウルフの背中にしがみついた。罪悪感と恐怖、それからほんの少しの後悔に駆られる。


 けど、もう引き返さないと決めたんだ。

 次に帰るのは、立派な回復術師になってからだ。待っていてね、母さん。


 …………。


 万が一、私が死んでしまったら、こんな薄情な私のためにみんな泣いてくれるのかな……? 掟を破り、勝手に村を出た私になんて言うのかな?


 いや、やめよう。今はそんなこと考えない方がいい。前だけを見なきゃ。


 それでも、一度だけゆっくりと振り返ってみた。

 けれどそこにロッドはいない。母さんもいない。村の皆も、私の家も、最高の焼き加減の肉も、フカフカのベッドも……何もなかった。


 誰もいない雪道に、足跡だけがぽつぽつと浮かび上がって見える。しかしこの足跡でさえ、あと数時間もすれば雪に埋もれて消えてしまうだろう。


 何もかもが消えていく。

 本当に、これで良かったのだろうか。


「ねぇ…………」


 私はウルフの毛皮に顔を埋めた。


「自分で決めたはずなのに、なんで後悔しちゃうんだろうね……」



 山を覆う雪が、次第に溶けていった。

 私はもう、引き返すことができないみたいだ。

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