第26話 一条の過去④

 もちろん、教師や大人はいじめを解決できないと思ってるわけでも、自分のしていることが全て正しいとおごってるわけでもない。

 佐々木なりに頭を捻った結果、この結論が出た。

 正しかったかは、やってみないと分からない。


「話を戻すと、いじめが解決した思える状況といじめが解決した後、自分がどうなっていたいかを想像するんだ。それが一条の目標になる」

「目標……」

「そこまで難しく考えなくていいよ。『普通に学校に通えること』とか、そんぐらい大雑把でいい」

「なら、それにもう一つ加えていいかな?」

「一条の目標だ。ご自由に」

「あ、そっか……じゃあ……えっと……私もあそこにいけるようになりたい、かな……」


 一条は佐々木が登っていた塔屋を指差した。


「あそこに?」

「うん……あのね? 私も自分に人としても女としても魅力がないのは分かってるの……ずっとこのままじゃ駄目って思ってはいたんだけど、ただ思ってただけっていうか……だから、いい機会だって思ったんだ」

「自分を変える……てことか?」

「うん。どうせなら見た目も中身も変えたい……よくばりすぎかな……?」


 不安そうに一条が尋ねる。

 佐々木はその顔を見て、不敵な笑みを浮かべた。


「そんなことねぇよ。一条がそうしたいなら俺は協力する」


 一条に足りないのは自信。

 これはおそらく、いじめを受ける前からそうだったはずだ。

 修学旅行の班別行動での行き先を決めるとき、ノートのことを佐々木に促されるまで言い出せなかったのがそれを物語っている。

 痩せたことで、以前とは違う自分になれた。なれるように努力した。その努力が実った。

 その事実は、これからの一条に自信を与えてくれるはずだ。


「よし……! 目標も決まったことだし、さっそく今日から毎日一時間ランニングするね……!」

「はい、ストップ」

 

 意気込む一条に、佐々木が待ったをかける。


「確かに、脂肪燃焼に有酸素運動は有効だけど、ダイエットは続かなきゃ意味がねぇ。いきなりランニングから始めたって、モチベーションが続かなくて辞めるのがオチだ。それにいきなり長時間で高頻度の運動を始めると怪我のリスクもある」


 食事制限やジムに通うなどして短期的に体重を落とすことは不可能ではない。

 だが、ダイエットで一時的に体重が激減したとしても、その反動で体重が戻ってしまうリスクがある。


「いわゆる、リバウンドって呼ばれる現象だ。リバウンドの恐ろしさは、痩せるために頑張ってきた努力が無駄になるだけじゃねぇんだ。急激な減量とリバウンドを繰り返してると、逆に太りやすい体質になっちまう可能性があるんだ」

 

 そのため、まずは痩せやすい体質を作ることが重要になる。

 

「ダイエットは、減量後の体重を維持できて初めて『成功』って言えるんだよ」

「じゃあ、どうすればいいの?」

「勉強だ」

「え……?」


 思わず瞠目する一条。


「さっき言ったこと以外にも、ダイエットって意外とリスクがあるんだ。よく調べもせずに始めて痛い目にあった例なんて枚挙に暇がねぇ。だからまずは調べる。一条はネットにある情報をちゃんと精査できるし——」


 斜め上を見ながら話す佐々木の横顔を、一条はしばらく呆然と見つめて……


「佐々木くんって……ほんとに凄いね……」


 やがて、心の底から感服したように言った。


「私は目先のことばっかなのに……ちゃんと先の先まで考えてくれて……」

「立場の差だよ。俺は協力者で当事者じゃねぇ。だから客観的にものを言えるってだけだ」

「それでも凄いよ……なんだか尊敬しちゃう……」


 屈託のない顔で言われて、なんだかむず痒い。

 照れたように、佐々木は人差し指で頬を軽く掻いた。


「と、とにかく今日から始めるからな」

「う、うん……! よろしくお願いします……!」




 ——こうして、『普通に学校に通えるようになる』『佐々木と田中の秘密基地に行く』という一条の目標達成のため、特訓の日々が始まった。

 佐々木主導で行ったのは、大きく分けて「言い返す力の育成」と「ダイエット」の二つ。

 いじめられやすい子供は、嫌なことがあった際に「やめて!」と言い返せないケースが多々ある。一条もこのケースだ。

 どうして自己主張が少なくなったのかは、今回は置いておく。

 重要なのは、今後将来においてもいじめ、またはその発端になりうる行動をされた際に、適切な自己主張ができなければ、そのままいじめの領域まで入っていく可能性もあること。

 だから自己主張ができるようになる必要がある。


「でも何を言えばいいのか……」


 考えなしにただ「言い返せばいいじゃん」と言う人間はいる。

 だが、それは実情を知らない人間の言葉。


「事前にシミュレーションすればいいと思う。どういう時に、どう切り返すのか……一問一答みたいな感じで」

「そっか……そうすればスムーズに文句が言えるかも……」


 だがいくらシミュレーションしても、実際に言えるかは別問題。

 だから二人はダイエットを優先した。

 自信がつけば、自然と言葉も出せるようになる。

 そもそも一条が痩せてしまえば、赤間達の悪口はなんの効果もなさない。

 ダイエットの効果が現れるまでは、佐々木が手を回して一条を守ればいい。佐々木は男子にも女子にも顔が利く。それとなく赤間達を封じるぐらいどうとでもなる。


「お母さん……」

「絵梨花……どうしたの?」

「お願いがあってさ……お弁当と夕食の野菜を増やしてくれない……?」


 その言葉だけで、一条母は察したようだ。

 詳しく尋ねるようなことはせず……


「分かったわ。野菜を増やせばいいのね」


 優しく微笑んで、一条母はさっそく冷蔵庫の中を確認した。

 ダイエットにおける食事の工夫はいくつかある。

 よく噛んで食べる。食事は野菜を増やし、最初に野菜を食べる。空腹のときは無理せず間食をとるなどだ。

 理論的な話をすれば、「消費カロリー」が「摂取カロリー」を上回れば、体重を減らすことができる。

 だからダイエットは、必ずしも運動をしなければいけないというわけではない。

 そう佐々木は伝えたが。


「でも運動した方が効率的でしょ……? それに秘密基地にも行きたいから、筋トレはしたいかも……」


 そう言うのであれば、と佐々木は一条の特訓に付き合った。

 とはいえ、実際にジムで筋トレを始めたのは当分先のことなのだが……

 そして、ダイエットをして二ヶ月。

 秋が過ぎ去り、冬が訪れ始めた頃。


「おはよう、緋川さん」

「え、あ……おはよう……」


 まだ一条と緋川しかいない朝の教室で。

 一条は昨日の席替えで自分の前の席になった緋川へ、初めて挨拶をした。


(い、言っちゃったー……っ!)


 席に座って内心で悶絶する一条。


(で、でも挨拶ぐらい普通だよね……! クラスのみんなもしてるし……あれ、でも……挨拶って友達同士でするものだよね……? 私と緋川さんって友達……? いやいや! 緋川さんと話したこともないくせに何言ってんの私!? こんな超絶美女を友達と思ってるとかただの勘違い女じゃん……! うわー、恥ずかしい……!)


 心にできた余裕と、少しの変化。

 それに気付かずに、一条は穴があったら入りたい気持ちで一杯だった。


「ねぇ、一条さん……」

「は、はい……!」

「最近変わったよね? 痩せたのもそうだけど……少し明るくなったっていうか……何かあったの?」


 シミュレーションにはない会話。

 だが驚きながらも、一条はゆっくり口を開いた。


「えっと……私が変われてるんだとしたら、佐々木くんのおかげかな……」

「佐々木くん……?」


 意外な人物の名前に、緋川が首を傾げる。


「長くなるんだけど……聞く……?」


 緋川にとって、学校ここは誰も彼も等しく敵の世界。

 その中で。 

 

「うん、聞かせて?」


 始めて、興味を持った人だった。




あとがき

 chukkichukichuki58様、サポーターになって頂きありがとうございます。これからも邁進してまいります。

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