第11話 違和感

 気付けば、この勉強会も五回目を迎えている。


「あれ、今日も緋川いねぇの?」


 佐々木が図書室に来ると、いつものメンバーの中に緋川の姿だけがない。

 勉強会は強制ではないが、緋川はこれで三回連続の欠席になる。

 流石に少し気になる。


「なんかあれでしょ? バイトだっけ?」


 如月が若月に尋ねる。


「そう。なんか急に忙しくなったらしくてさ」

「うへー、最悪じゃん。緋川のバイト先って試験とか考慮してくれない感じなの?」

「詳しいことは分かんないけど、今回の件は店長の責任じゃないって言ってた」

「ふーん。ま、庇うってことは、あんま悪い店長ってわけじゃないんだろうね」


 緋川がいなくても勉強会は恙無つつがなく進む。

 が、今日は少し違った。


「過去問?」

「そう。男友達がコピーしてくれたやつを渡してくれたの。どうせなら、みんなで解いて点数勝負してみない? 誰が一番なのか決めよーよ。まぁ結果なんて分かってるけどさ」


 ニヤッと挑発的な笑みを浮かべる若月。

 すると佐々木の隣に座っている如月からピシッ、と何かが聞こえた……ような気がした。


「いいじゃんやろ。ここで一発、完全無欠と名高い『櫻大の陽の女神』さまの鼻っ柱を折って分からせてあげる」


 どうやらプライドにさわったらしい。

 眼光を鋭くさせた如月が、自信の色に満ちた顔で若月へ突っかかる。


「へぇ……でも教科はこれだよ茜?」

「——っ」


 若月はカバンの中から一枚のプリントを取り出すと、如月の前に突き出した。それは、前に如月が愚痴を溢しながら佐々木に教えてもらった苦手科目だった。

 

「どうする?」

「ふんっ。苦手から逃げる奴に勝ち目はない……これ、ちゃんと受験勉強した奴ならみんな知ってることね」


 つまり不戦敗は論外らしい。


「そうこなくっちゃ! 燃えてきたー!」


 こうして佐々木、田中、若月、如月、小野田の真剣勝負は始まった。

 大問一から二が基本問題なのに対して、それ以降は応用問題が並んでいる。よく見る一般的な構成ではあるが、最後らへんの問題の難易度はえげつない。

 それから若月の「終了」の合図で一斉にペンを置いて、それぞれが適当に自分の解答用紙を誰かへ回した。


「それじゃ答え合わせね」


 ひとまず解説は省いて、答えだけをチェックする。

 佐々木が採点しているのは如月の解答用紙。苦手というだけあってバツが多いが、基本問題は全て押さえている。総合得点で見れば、単位を貰える最低ラインの六割は上回っており、そこはさすがとしか言えない。

 教えた甲斐があった、と佐々木は顔を綻ばせた。

 すると……


「あ、ありえねー……」

「いやこっちのセリフだから」


 若月の解答用紙を見て、驚愕する田中。

 それに対して若月は、採点した田中の解答用紙を見て呆れたように言い放った。


「なんなのこれ!? 五割も当ってないじゃん!」

「んじゃこりゃ!? ほぼ全問正解じゃねーか!」


 声を揃えて言う割には、結果は真逆。


「まぁ、祥平は櫻大に入学できたこと自体が奇跡みたいなもんだしな」

「おいそこ! 今馬鹿にしたな!? 事実だけどもう少し言い方考えよーか!?」

「言い方……」


 佐々木はしばらく考えた素振りを見せ——


「マグレだもんな」

「もっと悪くなってるッ!? お前ひょっとしなくてもバカだろ!?」

「お前に言われたくねぇし事実だろーが!」

「よぉーし、表出ろや親友ッ! 俺は久々にキレちまったぜ……ッ!」


 言いたい放題の大騒ぎをする佐々木と田中。

 今にも取っ組み合いを始めそうなその様子は、とても収拾はつきそうになくて。


「佐々木田中うるさい! ここ図書室!」

「「はい! すみません!」」


 響くは若月の一喝。

 瞬間、佐々木と田中がサッと居住まいを正した。


「まったく……田中はともかく、佐々木ってそんなキャラだっけ?」

「あれ? 俺またバカにされた?」

「してないしてない。でも、田中はなんとかしないとね……試験までそんなに時間ないし……」


 若月が「やれやれ」といった様子で肩をすくめる。

 

「よし決めた! これからは私が田中に勉強を叩き込む!」

「えぇえええええ——ッ!?」


 ——絶望。

 それ以外の言葉では形容できない顔をする田中。

 聞いた話では、若月主催の勉強会は相当スパルタらしい……加えて、よくわからないが参加した若月ファンはなぜか変態になるらしい。


「そ、そんな……俺はただ——」

「うるさい。これは決定事項! もう甘やかしたりしないんだからね!」


 若月が有無を言わせず言い放つ。

 晴れて地獄が確定した田中は、今この瞬間から若月の勉強会しごきに強制参加させられた。

 そして一時間後。

 絶望していた顔はどこへやら。

 田中はなぜか、どこか悦んだ顔をしていて……


「明日もやるからね」

「頼む若月! そんで飲み込み悪いときは、ビシッと一発入れてくれ!」

「え? しないよそんなこと」

「えぇ……」

 

 なぜか落胆した声を漏らす田中。


(ま、まさか!?)


 田中が一体何に落ち込んでいるのか、若月は理解できていない様子だが、佐々木には分かってしまった。


(祥平……お前新しい扉を開いたのか……)


 新しい扉……それは新発見。

 どうやらあまりの厳しさに、田中は内なるマゾヒズムを開花させたらしい。

 田中の性癖レベルが上がった。

 その後、如月と小野田がバイトで勉強会を離脱。

 さらにその後に、テスト勉強を終えた佐々木、田中、若月が図書館の外に出た。


「玲、お前いい感じになってきたんじゃね?」

「? なにがだ?」


 要領の得ない田中の言葉に、佐々木が首を傾げる。


「俺と取っ組み合いをしてた時だよ。昔に戻れたみたいで嬉しかったぞー俺は!」


 田中が勢いよくガバッと佐々木の肩に腕を回す。


「へー、佐々木って昔はあんな感じだったんだ」

「そうだぞ〜。今はこんなだけど、こいつも俺と同じ馬鹿だったんだ」

「俺は勉強できたけどな」

「それを言うなら俺のほうが運動神経は良かっただろ!?」


 また佐々木と田中のくだらない言い合いが始まる——


「なに? また喧嘩?」

 

 その直前。

 隣から吹き荒れんばかりのブリザードを感じ取った二人。

 見れば、若月が絶対零度の瞳でこちらを睥睨していて——


「ははは……そんなわけねぇだろ……? なぁ祥平?」

「お、おうよ! 俺ら大親友だし!」


 引き攣った笑顔を浮かべる佐々木と田中。


「(おかしいぞ玲? 俺らの隣にいるのは『陽の女神』だよな?)」

「(口を閉じた方がいい祥平……マジでコロされるぞ……)」


 なんとなく小声で話し始める男性陣を見て、若月がさらに訝しんだ表情をした。

 状況判断が早かったのは田中の方だった。

 

「じゃな、玲! 若月! また明日!」

「あ、おい」

「バイバーイ」


 サラッと裏切った田中は正門から出てすぐ、脱兎の如く家に帰って《逃げて》いった。

 その背中を佐々木が恨みがましそうに見るが、やがて諦めたように息を吐く。ちょうど若月に話しておきたいこともあったから、まぁよしとしよう。


「若月、ちょっと相談があるんだけど」

「あら、めずらしい。なに?」

「緋川のことなんだけど……少し気にかけてやって欲しいんだ」

「あぁー……実は私もそれ頼もうとしてたんだよね」

「え、マジ?」

「うん……ほら、最近の理佐ってちょっと変じゃん?」


 バイトが忙しくて勉強会に参加できない。それはいい。

 問題なのは、最近の授業態度だ。

 参考書を忘れる。授業中に居眠りをする。高校の頃から付き合いのある佐々木からしても、およそ緋川がするような態度ではない。

 寝顔は眼福ではあるのだが……それはそれ。これはこれだ。


「あいつはたぶん、露骨に声をかけたりするともっと無理すらから、さりげなくを心掛けてくれ」

「佐々木はほんとよく見てるね。鋭敏な観察眼ってやつ?」

「そんな大層なものじゃねぇよ」


 謙遜を言う佐々木ではあるが、その実、観察眼が鋭いのは高校の時から自覚していた。なぜそうなのかは……まぁなんとなくは分かっている。あの特殊な兄の前では、こういう力が必要だったのだ。


「じゃあ、私はこっちだからね。また明日ね」

「おう。またな」




 ◇◆◇◆




 その日、どうやらこの時限中の図書室は穴場らしい。

 以前と違って利用者はかなりまばらだ。

 学習スペースにたどり着くと、見知った女子学生が座っていた。

 赤茶の髪に、トレードマークの黒マスク。


「緋川」

「……ン? 佐々木……?」


 緋川は佐々木を一目見ると、また自分の手元に視線を落とした。


(反応薄いな……)


 緋川に近づいて手元を覗いて見れば案の定だ。

 教科書とノートを開き、一心不乱に試験対策をしている。

 本来なら褒められた行為なのだが……生憎と佐々木にそんな気は起きなかった。


「緋川……お前、最近寝てる……?」

「ン……大丈夫」


 手は止めないまま、気の無い返事が返ってくる。


「……嘘つけ」


 呆れながら緋川の顔を横から覗き込む。

 酷いくまだ。一日、二日の寝不足ではこうはならない。

 それに緋川の全身からは、隠しきれない色濃い疲労が滲んでいる。


「そんな状態でやっても頭に入ってこないぞ?」

「…………」


 返事なし。ペンを止める素振りもなし。


「おい、緋川」

「うるさいなぁ、佐々木には関係ないじゃん」


 佐々木を睨みつけ、不貞腐れたように突っぱねる緋川。

 別人に思えるぐらい普段とは大違いだ。


「ばか。関係大ありだ」

「はあ? なんで?」

「俺は緋川のことを友達で仲間だと思ってる。具合悪そうな友達を見て何も思わないほど薄情でもない」


 佐々木は有無を言わせず、机に広げられていたノートと教科書を取り上げて、隣のイスに置かれている緋川のカバンに突っ込む。

 使っていた筆記用具も片し、奪うようにカバンを肩に掛けてそのまま緋川の腕を掴んで図書室から出る。


「さ、佐々木? どうしたの? ねぇ、どこ行くの?」


 後ろから困惑した声が聞こえるが無視を決め込む。

 今は授業中だが、構内を歩く学生がゼロなわけではない。すれ違う学生から怪訝そうな視線を向けられる。

 また変な噂が立つだろうが、それこそ考慮する必要もないだろう。

 目的地に着いたところで、緋川の腕を離す。


「ラッキー。誰もいねぇ」


 緋川を連れてきたのはフリーブースと呼ばれる場所だ。

 ソファと椅子が並べられていて、幾つかの敷居が部屋を仕切っている。

 一見休憩所のように見えるが、本来はサークルや部活のミーティングに使われる場所だ。


「……ねぇ、佐々木」


 さっきまでどこかイライラしていた緋川だったが、フリーブースに入る頃にはすっかり意気消沈していた。

 緋川は佐々木の前に回り込むと——


「その……ごめんなさい……!」


 丁寧に頭を下げる。


「え、なんの謝罪?」

「アタシ……さっき図書室で佐々木に八つ当たりした……」


 あぁ、そんなこともあったな。

 別に不快に思ってない。

 寝不足が原因で、少し情緒が不安になるなんてよくあることだ。

 だが緋川が罪悪感を感じているなら……


「許して欲しい?」

「……ン、佐々木が許してくれるならなんでもする!」

「言ったな?」

「う、うん! あ、いや……でも……エッチなことをするなら……佐々木の家に帰ってからで……」


 途中まで必死な表情だったが、緋川は急に顔を真っ赤にさせて、ゴニョゴニョと何かを話し出す。「でも……」からは何を言ってるのかほとんど聞き取れなかった。


「じゃあ、緋川。許して欲しかったら、今すぐ寝ろ」

「えぇっ!?」


 緋川はなぜか顔を真っ赤にさせ、驚愕の表情を浮かべる。


「え?……え?……ほんとにの? アタシはいいけど……佐々木は大丈夫なの?」

「何がだ? 寝るのは緋川だけだぞ?」

「アタシだけ……?」

「最近まともに寝れてないだろ? そのくまじゃ嘘ついたって誰でも分かる」

「ぁ…………なるほど、そっちか……」


 緋川が落ち込んだような、安心したような、読み切れない顔をする。


「えっと……ここで寝るの……?」


 てっきり「緊張して寝れない」って言い出すと思ってたんだが、緋川は不安そうに周りを見渡している。

 何かを気に掛けているような動きだ。


「大丈夫、俺がずっと見張ってる。寝顔も見ないようにする」

「そう? じゃあ、お言葉に甘えて……」


 緋川は一度ソファに座り、そのまま横になって占領する。

 あまりいい行為ではないかもしれないが、緋川の体調をかんがみれば仕方ない。

 他に利用者はいないから迷惑もかからないはずだ。


「ん?」


 緋川が横になって約一分。

 僅かに緋川の身体が規則的に上下し始める。

 近づいて確かめてみると、やはり寝ているようだ。

 上着をかけてやるべきかと思ったが、そもそも今は夏なので手持ちがない。

 佐々木は緋川が起きるまで大人しくスマホをいじることを決めた。




 一時間後、授業終了のチャイムが鳴る。

 音に反応して目を覚ました緋川がゆっくり起き上がる。


「体調はどうだ?」

「ン、だいぶ回復した……今日バイトあるからもう行くね」

「休んだ方がいいと思うぞ?」


 たった一時間の仮眠で全快するわけがない。


「同じ店のバイトの子が骨折しちゃったらしくてさ、そのヘルプに入んなきゃいけないの」

「あー……なるほど」

「そんなに心配しないで。私も無理なときは無理って言ってる。試験もあるんだし、それぐらいの調整はできるから」

「ならいいけど……あんま一人でなんとかしようとするなよ?」

「ン、分かった。もう行くね。また明日」

「おう」


 緋川はカバンを手を取って、フリーブースから出た。

 それぐらいの調整はできる……か。

 あんな顔色でよく言える。疑うなという方が無理な話だ。

 佐々木は今日の出来事を若月に伝えようとスマホを開き、トーク画面を表示する。


「……」


 文字を打とうとして、

 ——もし……もし仮にその調整が良い塩梅あんばいで出来ていて、勉強とバイトを両立しているのだとすれば……緋川が寝不足に陥り、体調を崩している原因は全く別のものだということになる。

 勉強でもない。バイトでもない。全く別のナニカ。

 もしくはその全部か。


「ん……?」


 フリーブースの奥から人影が現れる。


(やべ、人いたのか)


 フリーブースへの入り口は俺が入ってきた箇所以外に部屋の反対側にもある。

 ちょうどここからは敷居で遮られてて見えないため、スマホに集中している間に入ってきたのかもしれない。

 その人影は真っ直ぐこちら側に駆け寄り、扉を開いて外へ出ていった。


(あいつ、たしか……)

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